一つになる
https://lifeskills.amebaownd.com/posts/19675627 【PBM】
http://wa-qoo.com/shukubo/wakayama/act160513/ 【宇宙と一体になる!弘法大師空海の希少な遺法『阿字観』体験】より
■阿字観とは
阿字観(あじかん)とは、真言密教の瞑想法の一つであり、瞑想により「世界と自分はひとつである」ことを実感することです。密教の根本経典の一つである「大日経」で説かれ、平安時代に弘法大師空海によって、日本に伝えられたとされています。
現在では、空海がひらいた高野山や真宗系寺院で体験することができます。
■阿字観までの道のり
阿字観は、その字の如く「阿」(サンスクリット語)の字を観ながら瞑想を行いますが、とても高度な瞑想法です。そのレベルに至るまでいくつかの段階を踏みます。
まずは、最終段階の阿字観に至るまでのレベルを順を追ってご紹介します。
(1)数息観(すそくかん)
呼吸に意識を集中させて精神を安定させていく瞑想法で、一般的なのヨガや禅と通じるものがあります。宿坊などでの体験の多くは、心をリラックスさせる方法としてここから始められます。
「ひとーつ、ふたーつ・・・」と呼吸をしながら心の中で1から10まで数を数え、10までいったらまた1に戻ります。簡単そうに聞こえますが、悩みやストレスが多い人は、数えることを中断してしまうことが多くなる傾向にあるそうです。
(2)阿息観(あそくかん)
数息観ができるようになったら、次の段階です。数息観で呼吸を数えるのに対して、 阿息観では「ア」の声を唱えて瞑想します。
息を「アー・・・」と唱えながら口からゆっくりと全部吐き出します。吐き出した「ア」は、少しずつ遠くへ流れていくイメージ。その後、鼻から「アー・・」とゆっくりと息を吸い込みます。
(3)月輪観(がちりんかん)
月輪本尊と呼ばれる、満月をあらわす円が描かれた掛け軸を置き瞑想を行います。この掛け軸は、座ったときにちょうど目の高さに月輪が見えるようになっています。心の中に満月(月輪)を観じて、最終的には自己と宇宙が一体となると感覚を得るのが月輪観です。
(4)阿字観(あじかん)
いよいよ最終段階です。月輪観に習熟したら、満月輪の中に阿字を置いて観想する阿字観に移ります。月輪観と同様に掛け軸(阿字観本尊)を目の前に座り行ないます。月輪観と同様に阿字観でも、宇宙と一体となる感覚を得ます。
■効果
習得するレベルによって得られる内容は異なりますが、基本的に「姿勢」「呼吸」「心」を整えることで、集中力が向上したり、ストレスが軽減し気分が改善したり、疲れにくくなったりといった効果が得ることができます。
なお、月輪観や阿字観の段階となると、不思議な境地に陥り混乱する場合もあるそうなので、しっかりとした指導の元で行ってくださいね。
https://ameblo.jp/shiko-kankaku/entry-12670796630.html 【瞑想とワンネスについて】より
「瞑想とワンネスについて」という一見とても怪しい題名になってしまいましたが……(笑)
全然怪しくありませんので、心配しないでください!
これまで数回にわたってお話ししてきた、哲学者ダグラス・ハーディングの「わたしには頭がない」に関係する話です。
『わたしには頭がない』
瞑想をしているとたまに、頭がなくなってしまった!というような感覚を、体験をする人がいます。
あとは、目を閉じて瞑想した場合に多いですが、自分の体が消えた!と感じる人もいます。
こうなると、自分と周りの世界を隔てるモノがなくなり、世界と一体になったようないわゆるワンネスのような感覚を感じる場合があります。
このような体験は、よく摩訶不思議な神秘体験とごっちゃにされますが、まったく別物です。
ここで言っている神秘体験とは、神様や仏様の姿が見えたり、声が聞こえたりする体験、のことです。そういう体験とは、根本的に違います。
頭がなくなったり、体が消えたり、世界と一体になったように感じる理由は、要するに自分が脳内で作っていた、自分の体や頭のイメージが消えたということです。
「体が消えた」という体験をした人に聞くと、体は消えたけど、体の感覚が一切なくなったわけではない呼吸の感覚や体の感覚はあるという答えが返ってきます。
体が消えても、体の感覚が消えるわけではないんです。
おかしいと思いますか?それが別におかしくないんですよ。
どういうことかというと体の感覚=体ではないということです。
もう少し詳しく言うと、体の感覚=自分が体だと思っているモノではないということです。
「自分が体だと思っているモノ」は、あくまでも「思っているモノ」です。
それは、体の感覚や、自分の写真を見た記憶や、鏡を見た記憶や、体とはこういうモノだという概念、などなど、いろいろなものをつなぎ合わせ、統合して作り出した、自分の体のイメージです。いわば、思考の産物です。
それは、純粋な体の感覚とは別物なんです。
瞑想が深まると、思考が静まっていき、感覚が研ぎ澄まされていきます。
すると、思考が作っていた「自分が体だと思っているモノ」が、消えたように感じることがあるんです。
思考が静まったため、思考が作った体のイメージが消えた、というわけです。
その結果、自分の体が消えた!と感じるわけです。この体験は、神秘体験とは別物です。
神秘体験は、神様や仏様など、実際に目で見えないものが見える体験です。
つまり、頭の中でそれらイメージを作り出す体験です。
逆に、体が消えたという体験は、イメージが消える体験です。
方向が真逆なんです。だから別物なんです。
この感覚は、わかってしまえば何も不思議なことではありません。当たり前のことです。
別にマインドフルネスなどの瞑想をしていなくても、この感覚がわかる人はいると思います。
感覚が優れている芸術家タイプや、アウトドアが好きで、自然の中で過ごすことが多い人などは、なんとなくわかっているのではないでしょうか。
ただ、それがどういうことなのかが、理屈ではわかっていないだけです。
この辺りの話は、私がやっている「自然の中で感覚を開く講座」で、かなり詳しく説明しています。
『10年以上続いた憂うつ感を3日で直した方法【自然の中で感覚を開く講座〈森の瞑想〉】』
どういうメカニズムなのか、どういう意識の使い方をするのかを、詳しくレクチャーして、実際に自然の中に出かけていき、実践してもらいます。
参加された方はほとんどああ、そういうことか!と納得されていますね。
ちょっとスピリチャル系が好きな方などは、よくスピで言われる、ワンネスとか、全ては一体だとか、全ては愛だとか、まったく意味がわからなかったけど、こういうことだったのね!と納得されて帰っていきます。
私はスピリチャル系は全然詳しくないので、なんとも言えないのですが、
体感としての理解なしに、たくさん本を読んで、セミナーを受けて、ワンネスとか、愛とかを、思考で頭に叩き込んでも、あまり意味がないと思います。
それだと、カレーの材料とか、歴史にはすごく詳しいけど、一度もカレーを食べたことのない人のような感じになると思います。
今日はこの辺にしておきます。それではまた!
エネルギー感覚の目覚め・【一つになる体験 】
五感を磨くといわれますが、五感で受け取る情報は断片的であり、過去の記憶(相、自分の作り上げた情報)に則って 自分なりの解釈を加えたものとなります。
情報をありのままに受け取るにはエネルギー感覚(直感・第六感といわれたりもします。)に目覚めることが大切です。
五感の働きは意識を外に向けます。
五感のうちでも最もエネルギーが強いのが視覚です。
視覚と意識を切り離すために 目を開けたまま 内部感覚に意識を向けるエクササイズをします。(頭の後ろ,手等身体の部位に意識移動しながら意識と視覚を切り離す。)
眼を半眼にし、焦点付けをしないで対象を観る事も有効です。
一つになる(共鳴する)ためには意識を対象に留める必要があります。
そのためには、過去の記憶に戻らない。
視覚ではなくエネルギー感覚をつかう。
このエクササイズの目的は「一つになる」のみにおかない。
「意識のコントロール」、「集中力」、「洞察力」、「感情、ストレスのコントロール」、
「リラックス体験など」
:できた、できないに縛られると無心になれない故。
<自分の体験を通しての気づき>
*雨など、視覚、聴覚二つの感覚を使うと意識の移動が重い。(意識の傾き)
*認知できないもの、動きのあるものが視覚に入ると 新皮質に意識が戻る。(意識の傾き)
*一度小さな対象に焦点を合わせ 視野を広げると意識はすぐに対象に移動。一つとなった実感。
*視野を広げたままで、意識を自然に留めていると、魂が震え涙が溢れ始めた。宇宙のエネルギーと共振。
*カーテン、壁など人工のものを見ると視野が閉じる。(見えなくなる)
観念が問題かもしれないという示唆を受け、また壁と一つになる。
自然、ありのままを好む自分が明確になる。
自分を作る人間に対しても 距離を置いてきた自分に気づく。
私も壁も同じ元素、波動を共有しあい、宇宙として一つだと思いながらも、「役割は?」と思う自分がいる。
私であり、宇宙である、個であり全体であると思わずにはおれない自分がいる。
自然であれば何故思わないのかと尋ねられ、もう一度人工のものと一つになる。
【自己イメージを無に戻す。】 (下記の「無我体験))
自分だと感じているもの(ポジテイブもネガティブも)を 前頭葉、後頭葉を手で押さえ(FOフォルディング:前頭葉、後頭葉を結ぶ)ながらイメージで消す。
消したものは疑うと復活するので 唯、消してゆく。
シャワーで流す、
消しゴムで消す、爆破して霧散さす、燃やすなど。
恐怖症のように強烈なものは、その引き金となった出来事を映画を観るように思い浮かべる。それを白黒に変える。出来事のタイムラインを逆に回す。ビデオテープを引きちぎり燃やす。
自分に合った方法を見つけ(筋肉反射テストで確認)全ての情報を消してゆく。
<私の無我になる体験>
全てを消していく。
思いつく情報は金色のバラに入れ、呼吸とともにふっと飛ばし金色の光に戻していく。
消している自分を消すにはその自分をイメージで対象化し 消しゴムで消すのが有効であったが、主体と思っている自分をデジカメで撮り、パソコンで消去する(脳の情報は瞬時に消すほうが消しやすい)ほうが効果的だと思った。
自分を消すと魂が震え、身体のエネルギーが一挙に動き始める。
魂を消すと、胸の湧き立つエネルギーが渦になり、身体の感覚が消え、限りもない平安が訪れた。
五感に意識を傾けると(目を開くと)渦は消え去り、キラキラ光る光の海が広がる。
「自ら宇宙である」涙が溢れました。
消すとは脳の自分が生んだ情報のみであり、存在そのものを消すことではないことにも気づきました。
魂もエネルギーでした。(勝手な、定かではない魂イメージを消すと胸からエネルギーとして立ち現われました。)