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平和と反戦を祈り続けた、戦後を代表する俳人

2018.11.16 14:33

https://booklog.jp/hon/news/kanekotouta-20180221 【【おくやみ】金子兜太さん逝去─平和と反戦を祈り続けた、戦後を代表する俳人】より

『私はどうも死ぬ気がしない』

2月20日、俳人の金子兜太さんが急性呼吸促迫症候群のため亡くなりました。98歳でした。ご冥福をお祈りします。

毎日新聞「金子兜太さん98歳=俳人 前衛俳句、戦後をリード」(2018年2月21日)

経歴:金子兜太(かねこ・とうた)さん 1919年9月23日-2018年2月20日)

埼玉県比企郡生まれ。幼少は父の勤務地・上海で過ごし、4歳で帰国して以降は七五調の「秩父音頭」を聞きながら秩父の地で育つ。1937年旧制水戸高校在学中に俳句と出会い、東京帝国大学経済学部入学後に加藤楸邨(しゅうそん)さんに師事。1943年東京帝国大学を卒業し日本銀行に入社するが、海軍へ。ミクロネシアのトラック島へ赴任し、同島で終戦を迎える。捕虜生活を経て1946年に帰国。戦後も日本銀行に勤務し定年まで勤め上げながら、俳句の活動を続けた。

戦争と捕虜生活から大きな影響を受けて、戦争のない世を願っていた(澤地久枝さんの依頼を受け、2015年7月に「アベ政治を許さない」というプラカードの揮毫に関わった)。思想性と作品を通じて「社会性俳句」や「前衛俳句」といった潮流にいた一人と見なされる。俳句造型論の提唱、社会性俳句論争など、俳句界の言論活動も旺盛で、様々な俳人に影響を与えた。1974年に日本銀行を退職後、1983年に現代俳句協会会長に就任。

長年の活動は各方面から高く評価されており、1956年第5回現代俳句協会賞、1988年に紫綬褒章、1996年第11回詩歌文学館賞(句集『両神』による)勲四等旭日章、2001年に第1回現代俳句大賞、2003年日本芸術院賞、2008年に第4回正岡子規国際俳句賞大賞、文化功労者。2010年第51回毎日芸術賞特別賞、第58回菊池寛賞、2016年朝日賞など、多数の受賞歴がある。

金子兜太さん代表作に近づくための入門作:『金子兜太自選自解99句』

『金子兜太自選自解99句』

金子兜太さん『金子兜太自選自解99句』

代表句「おおかみに蛍が一つ付いていた」をはじめ、多くの自作について、自ら解説する一冊。金子さんは多くの著作を刊行していますが、その句にふれたことがない人が最初に読む一冊として、お薦めです。

俳句入門の著作:『金子兜太の俳句入門』

金子さんは多くの俳句入門書を著していますが、その中で特に最初の一冊として推されるのが本書。中学生や高校生の作った俳句なども題材に織り交ぜて、全く俳句を知らない人でも分かりやすい内容となっています。

戦争体験を語った自伝的著作:『あの夏、兵士だった私』

従軍中、特にトラック島にいた時期の生々しい現実が記されています。トラック島が軍事的価値を失い孤立した結果、米軍は素通りして激しい戦火からは免れたものの、食糧不足による仲間の餓死などに直面することになります。2016年、金子さんが90歳を過ぎて語った、貴重な資料です。

金子兜太さんのおすすめランキング

今後も、多くの作品が言及されていくことでしょう。たくさんの人に金子さんの業績が伝わることを願ってやみません。


https://www.chunichi.co.jp/article/311359 【<戦後76年> 「平和の俳句」特集】より

 戦後七十年に読者からの投稿を募って始めた「平和の俳句」。戦後七十六年の今年も、四千七百八十六句を寄せていただきました。あの戦争の壮絶な記憶、平和への感謝と願い、コロナ禍の日常−それぞれに思いが込められた十七文字。それらの中から、選者の二人、作家のいとうせいこうさん、俳人の黒田杏子(ももこ)さんが選んだ十五句ずつ、合計三十句を紹介します。

平和の句作、衰え知らず ― いとうさん

 『平和の俳句』は衰えを知らない。ここまで何年も続ければ戦争体験者の方々も減っていくし、同工異曲の句がいずれ大勢を占めるのではないかと危惧していたが、少なくとも選句をする限りすべて杞憂(きゆう)でありました。

 そこには改めて思い出された切実な経験や、現在の世相への不安と怒りと改革への意思、あるいは希求されるべきほんわかとした大事な時間の描写があふれていたのです。

 コロナ禍によって家で過ごす時間が増えたり、平和とは真逆の世界が我々の目の前によりはっきりとあったり、それをなんとかしたいと願う心の日々の強まりが詩に昇華したのかもしれませんが、何よりもそれらを『平和の俳句』として書き留める習慣が投句者の皆さんにすっかり根付いたように感じます。

 句はすでに自然にできていて、こちらはそれを募集するだけ。むしろ募集しなければ皆さんのせっかくの俳句が滞ってしまって困るという、いわば逆転現象のような状況があるのかもしれません。

 この夏の分はこうなりました。また次回、お会いいたしましょう!

いとうせいこうさんが選んだ15句

 いとうせいこう 作家。1961年、東京都生まれ。日本語ヒップホップの先駆者と呼ばれるなど多彩な分野で活躍中。「想像ラジオ」「福島モノローグ」など著書多数。2015年の「平和の俳句」誕生時から選者を務める。エッセー「日日是植物(にちにちこれしょくぶつ)」を本紙夕刊で連載中。

驚きと感動につつまれて ― 黒田さん

 凄(すご)い句。すてきな句。魅力あふれる句がどっと寄せられました。驚きと感動につつまれて選び抜きました十五句。これぞ「平和の俳句」という、本年の秀作をじっくりとぜひごらんください。

 ◎前出ひろみさん=ぶち込んでが絶妙。◎藤井千恵子さん=戦地で結核になった兄と、結婚できず生涯を閉じた妹、おふたりの墓前で。◎小玉美津江さん=金子兜太先生は永遠です。◎鹿子木真理子さん=無数の犬達を想(おも)われて…。◎倉島雄太郎さん=この金メダルは凄いです。◎広瀬昭和さん=その髪と爪の存在感。◎神道美知子さん=「ほんとだよ」で決まりました。◎太幡琉美花さん=兜太先生の出身地、秩父・皆野町の中学三年生です。◎黒崎ミヨシさん=許せませんね。◎高山清子さん=カブトムシと兜太先生は重なりますね。◎倉橋千弘さん=九条は富士山。すばらしい発想です。◎板倉亜澄さん=いつも沖縄を想われる作者。同感です。◎太田幸代さん=そんな父上に作者は批判的でしたと…。◎平村欽一さん=いつもスマホでひ孫さんの姿を眺めておられて。◎近藤敏夫さん=身体検査で不合格。おかげで今おだやかな百歳の日々なのですよと…。

黒田杏子さんが選んだ15句

 黒田杏子 俳人、エッセイスト。1938年、東京都生まれ。俳句誌「藍生(あおい)」創刊主宰。「平和の俳句」誕生時から選者を務めた俳人金子兜太(とうた)さん(故人)とは50年近く交流。金子さんらが語る「証言・昭和の俳句」の増補新装版(コールサック社、15日発売)の聞き手・編者。

平和の俳句とは

 「平和の俳句」は、本紙が読者の皆さんから「平和」を自由な発想で詠んだ句を募集し、入選句を紙面に掲載して伝え合う、“軽やかな平和運動”です。戦後70年の2015年1月1日から毎日、17年末まで掲載しました。この3年間の応募総数は13万1288句に及びました。

 「平和の俳句」誕生のきっかけは、14年の終戦の日に掲載した俳人の金子兜太(とうた)さん(18年2月に死去、享年98)と、いとうせいこうさんによる対談でした。

 当時、<梅雨空に「九条守れ」の女性デモ>という俳句が、さいたま市の公民館の月報に掲載を拒否された「九条俳句」問題があり、2人は戦前の新興俳句運動に対する弾圧事件に重ねました。戦争に向かう時代の空気に抗(あらが)おうと呼び掛けたのが「平和の俳句」でした(「九条俳句」問題は、市の違法性を認める判決が18年末に確定。翌19年には市教育長が作者に謝罪し、句も月報に掲載されました)。

 選者は金子さん、いとうさんの2人で始まり、金子さんが体調を崩して退いた17年8月以降は、金子さんから託された黒田杏子(ももこ)さんが後を継ぎました。毎日の連載終了後も再開を望む声をいただき、18年からは毎年夏の特集という形で復活、継続しています。また今年3月には「平和の俳句 東日本大震災10年」も掲載しました