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小國裕美 オフィスイマジン office imagine

お四国巡り 

2021.11.17 01:26

コロナ禍、約2年ぶりの旅行。

最近は四国は4県感染者ゼロの時もあり、全国でも100人を切っている。


思えば平成1年の6月に母を亡くし、その年の12月までに愛犬を続けて3匹亡くした。

7月アポロ、10月アリア、12月ルーシー。

うつ病にならなかったものの…


その年の暮れにコロナが発生した。

前回の旅行は平成2年の2月、フランス語の交流会で大阪に一泊旅行したのが最後だったが、その時はまだマスクは義務づけられてなく、食事もオードブルを普通に食べた。


出かけることの恐怖…

コンサートもあきらめて、ステイホームを続けた。


今回の旅に出かける前々日、寝る前に、昼間の食事はどこでするか…など考えながら寝たら、旅好きの義姉がコロナにかかる夢を見た。

これは私の中のコロナへの不安感の現れではないか。


さあ松山に出発

松山は過去に夫の転勤で約四年間過ごした所で、温泉、魚が美味しい、便利の良い所。

三津浜港に近い古三津という所に暮らし、松山の中心街デパートも近く、空港も近く、良い所だった。


温泉好きの私は、道後の温泉つきのマンションにあこがれていた。

香川県から来るのにちょうどよい距離である。

フランスのロワール地方に行った時は一軒家にあこがれ、気に入った所では住んでみたいと思う私の別荘願望である。


まずはお四国巡りの寺を48番から50番まで予定通り打つ。

冬日和の盛りを過ぎた紅葉が散る中、今回は亡くなった両親の供養を兼ねて、父母の戒名を書いたお札をおさめた。

なかなか覚えられない戒名も書けば覚えられた。

生前は両親とも四国四県を巡りお参りした。


母は寺を打ちはじめたら次々と打ちに行きたい性格だったが、夫も同じ。

父は旅行先では、足が痛くなったり下痢をしたり、体調が狂い、普段から運動をしていない生活習慣のせいだと言っていた。

私はフランス語を習っていた頃、父は生きていたので、 

「フランスに行かないかんのー」

と言っていた。


父は80歳を超えて、入退院を繰り返したが、力尽きるまで父の生命力を見た。

ろうそくの炎が燃えつきるように…

そして私と夫は父の最後を見届けた。

私は父は亡くなってもそばにいると思っていた。


いくつになっても親が生きていたら子供は子供。

この年になるまで子供でいさせてくれ、家族を見守ってくれたこと…

片親になったこと…

これからは強く生きていかなければならないと実感した。


私はその翌年(正確には約9ヵ月後)はじめてのフランスへの個人旅行に渡った。

今思えばこれが良かったのだ。

フランス旅行がなければ、ずっと悲しんでいたと思う。

滞在中はフランス語を実践し、毎日ハプニングを経験し繰り返しながら、自立心を養い強くなった。

(かわいい子には旅をさせろ)

である。


平成27年のレコーディングも上手くいった。

その時……

3日間のレコーディングが終了した次の日の明け方、枕元にはっきりと父が現れたのだ。

何も言わずにぬっと立っていたのだが、とても暖かいものが流れた。

フランスにも来た!

喜んでくれたのだと思っている。


それから6年後、母も老衰していった。

血圧が40歳代から高く、心臓が不整脈で、薬で調整をし気づかいながら、長生きができた人生だった。

亡くなる2、3ヵ月前は、人にも会わなくなり、食べる力も失せていた。

弱っていく母を看ながら、いつも頭の中には母のことがあった。

両親の長い人生は波乱万丈だったかもしれないが、愛があったし、母はどんなことでも辛抱ができる人だった。

とうとう永遠の眠りについた母は、安らかな顔をしていた。



こうしてお四国巡りをして、父母のことを思い出すのは一番の供養かもしれない。



真言を唱へるごとし散銀杏


鐘楼や雲流れゆく小春空


裕美