「やこうれっしゃ」西村繁男
西村繁男さんの代表作でもある「やこうれっしゃ」は、1980年の出版以来、多くの子どもたちや、読み聞かせをする大人たちをも魅了し続けてきた絵本ではないでしょうか。
この絵本を眺めていると、不思議と懐かしい気持ちになります。
私は1980年代前半の生まれですので、だからこの絵本に描かれている情景、それは恐らく1970年代後半の頃だと思うのですが、こうした情景に何となく見覚えがあり、それで懐かしさを感じている、ということもあるのでしょうが、でもそれだけではない気がするのです。
この絵本は上野駅の発着場の風景から始まります。
ここで気付くのですが、ここが上野駅だと言うことが、何故か私にはわかるのです。横浜で生まれ育った私にとっては、特に馴染みのある駅でもなく、幼いころにまだこんな感じだった上野駅に何度かは行ったこともあると思いますが、記憶に残っている、と言えるほどのものでもないのですけれど、それでも何故か分かるのです。
(もう大人になった私にはそこに描かれている猪熊弦一郎さんの壁画にすぐ気付きはするのですが)
東京近郊で暮らす人にとっては、こうした雰囲気の駅が上野だった、ということが、意識せず大きく共有しているイメージとしてあるのではないでしょうか。
ページをめくっても懐かしさは続きます。
夜行列車へ乗りこむ人の風景が描かれています。別れの挨拶をする人、売店の売り子、それぞれの人の大きな荷物、そしてやっぱりこうした光景に見覚えがある気がするのです。
映画とかで…テレビ?それとも小説で読んだことのあるイメージなのかな…などとも思うのですが、きっとそのどれもが違い、そしてどれもが正解なんだと思います。
日本の懐かしいイメージの抽象、これは映画や小説で、またテレビなどで恐らく意識的に、そしてまたまた無意識的にも繰り返し描かれたもの(フィクション)から生まれていると思うのです。そしてそうしたものを見て、読み、多くの人々がある典型的な日本の風景のイメージを持った/持ち続けているのではないでしょうか。
この「やこうれっしゃ」で描かれているものは、そうした風景なんだと思います。見たことがないのに、実際に見たことがあるものよりも見たことがある気がする風景なんです。
作者の西村さんがここまでの表現に行き着くまでにどれだけ苦労されたのか、想像に難くありません。ちょっとの思いつきで描けるほどのものではない、フィクション(つくりもの)が現実を超えるほどのリアリティを持った、すごい作品だと思うのです。
この列車には様々な人が乗っています。そして多様な時間の過ごし方をその列車の中で過ごしています。そしてその過ごし方からは、その人たちが個別に持つ物語、そのひとたちの生きてきた背景から、今置かれたその人の状況まで、楽しく想像することが出来るのです。
若者たち、家族で乗る人々、年配のグループ、仕事の出張で乗っていると思われる人、年齢も職業も異なり、様々な過去と、そして様々な目的を持って、この同じ列車に乗った人々がいる。
西村さんが日本人の心象風景を描きながら、そこにこうした幸福な多様性を持ち込み、それを読んだ人々の胸に刻んでくれたこと、日本というイメージの中のひとつにこうしたものを刻んでくれたことは、出版から30年経ったこの時代に尚、とても偉大な仕事だったと思うのです。
当店在庫はこちらです。
「やこうれっしゃ」西村繁男