篠山市黒岡 春日神社祭礼 2011(宵宮)
例年土曜日に開催される為、なかなか見ることができなかった宵宮ですがやっと見れました。
とはいえ、春日神社に着いたのは20時頃だったので下町の太鼓神輿はすでに宮入りを終えており、上町の一番最後『三笠』が宮入りするところでした。
初めて春日神社の太鼓神輿の宮入りを見ましたが、勇壮というかなんというか・・・迫力がすごいですね。
境内の周りにはロープが張ってあって、見物客が境内中央には入れなくしてありますが、ホンマにすぐ近くまで太鼓神輿が突っ込んできたのでちょっと焦りました。(^^;
そういえば以前鉾山巡行を見たときに「若い男性がいないなぁ・・・」と思ってたんですが、太鼓神輿のほうに『山ほど』いてはったんですね。(^^;
写真は、国の重要文化財である『能楽殿』の前で、上町4台のうち『三笠』『あづま』『孔雀・高砂』が練り合わせ(でいいのかな?)をしているところです。
→ホンマは『鳳凰』もいたんですが、上手く撮れてませんでした。
あと、あまりルールがわかっていないので、ご存知の方は教えていただきたいのですが、上町の4台が、宮入りを終えている下町の太鼓神輿に突っ込んでいく光景を多く見ましたが、これって決まりごとなんでしょうか?
太鼓神輿の宮入りが終わったところで、退散しようかと神社を出ると鉾山が帰って来るところでした。
篠山市観光情報サイトによると、20時過ぎに京口橋から各地区に向かって帰っていくそうです。
写真は春日神社を通り過ぎ、西へ向かう『鏡山』『蘇鉄山』『諫鼓山』。
※白く光ってるのは雨粒です。結構降ってました。
春日神社に戻ってきた『猩々山』。
『万力』を使って鉾山を持ち上げて方向転換しますが、雨で濡れていた為に滑ってしまってなかなか上手くいきませんでした。
太鼓神輿の宮入りは雨の中でもすごく迫力があって、また多少のもめ事があったりして、鉾山巡行の雅な雰囲気と違う、春日神社祭礼の別の一面を見ることができました。
◎春日神社をwikiったり、篠山市観光情報サイトからコピペしたり。
平安時代初期の876年当時、日置荘を領有者であった藤原基経、藤原時平父子により藤原氏の氏神である春日大社より分祀し黒岡村南部の当時は笹山と呼ばれた現在は篠山城のある小山に勧請し、祀り氏神としたのが起源とされる。 後の1609年篠山城築城の際に現在の地に遷された。
●能楽殿
篠山藩主13代藩主青山忠良によって江戸時代末期である1861年に建てられた能舞台。 建築は稲山嘉七、永井理兵衛、舞台背景に描かれた松の絵は松岡曾右衛門によるもので、当時箱根以西において最も立派なものであると称えられた。正月の1月1日には翁奉納、および毎年桜の咲く時期の4月上旬に「篠山春日能」が催される。 2003年には国の重要文化財に指定される。
●絵馬堂
1952年8月に平和記念に建立された。内部の馬絵は、当初は旧拝殿内に会ったものだが慶安2年に松平忠国が奉納した狩野尚信作の黒神馬は、精緻なもので価値が高い。この絵馬だけには金網が張ってあったが、それはこの馬が夜な夜な絵から抜け出しては黒岡の田畑の豆を食い荒らしたという伝説があるためである。多紀名宝にも指定されている。