篠山市黒岡 春日神社例祭2011(春日神社)
◎篠山市黒岡 春日神社をwiki
さすがに長くなるので、単独で記事にしておきます。
●歴史
平安時代初期の876年当時、日置荘を領有者であった藤原基経、藤原時平父子により藤原氏の氏神である春日大社より分祀し黒岡村南部の当時は笹山と呼ばれた現在は篠山城のある小山に勧請し、祀り氏神としたのが起源とされる。
後の1609年、篠山城築城の際に現在の地に遷された。
●秋の祭礼
秋の祭礼に使われる4柱の神霊を移した金神興は、2基を黒岡村より元禄7年6月に、他の2基は安永8年9月(元禄13年の説もある)篠山町より寄進されたもの。
9台の『ちんちき山』と呼ばれる鉾山は寛文3年以降に各町内より寄進されたもので、京都の祇園の山鉾を模し造られており、絢爛豪華である。
明治後期までは鳳凰・孔雀・蘇鉄・猩猩等の鉾をつけ巡行したが、電線が障害となり現在は鉾を付けずに巡行される。
また太鼓御興は、文化・文政のころに、王地山焼の陶工たちが担ぎ始めたのが始まりと伝えられる。
●鉾山
長さ6メートル、高さ約5メートル、屋根までの高さは京都祇園祭・山鉾の約三分の二ほどの規模ながら京都の祇園祭に強い影響を受けている。
初期の鉾山は現在よりも小形で簡素なものだったが、江戸時代中期頃に現在の規模となり華麗さを増した。
初めて鉾山が作られたのは1663年の三笠山 (上河原町)と伝えられる。篠山市指定文化財。
●神輿
1694年および1779年に寄進奉納されたが、4基あるのは春日神社の4祭神にちなんだもので、4祭神とは天児屋根命(あまのこやねのみこと)、武甕槌命(たけみかつちのみこと)と経津主命(ふつぬしのみこと)比売神(ひめのおおかみ)である。
●能楽殿
篠山藩主13代藩主青山忠良によって江戸時代末期である1861年(文久元年)に建てられた能舞台。
建築は稲山嘉七、永井理兵衛、舞台背景に描かれた松の絵は松岡曾右衛門によるもので、当時箱根以西において最も立派なものであると称えられた。
正月の1月1日には、翁奉納および毎年、桜の咲く時期の4月上旬に「篠山春日能」が催される。
2003年に国の重要文化財に指定される。
●絵馬堂
1952年8月に平和記念に建立された。
内部の馬絵は、当初は旧拝殿内にあったものだが慶安2年に松平忠国が奉納した狩野尚信作の黒神馬は、精緻なもので価値が高い。
この絵馬だけには金網が張ってあったが、それはこの馬が夜な夜な絵から抜け出しては黒岡の田畑の豆を食い荒らしたという伝説があるためである。
多紀名宝にも指定されている。
※絵馬殿内、右に写っているのが黒神馬。