感情フィルター
知人から前回ブログの書き方だと「故郷(群馬)が陰湿」だと間違われるのでは、と言われた。文脈では個人的体験であり、高校時代、大学時代の心象を書いただけ。
私達に心には、選択バイアス、先見フィルター、感情フィルターがあり、簡単に情報がとれるネットでは、無意識に、非意図的に、自分の意見に合った、あるいは支持してくれる意見を取り込んでしまう傾向がある。
飲食店、美容院、クリニック、病院など、ありとあらゆる対象がグーグルでポイントがつく。それを信じる人も多い。しかし、食堂やレストランとは異なり、精神科クリニック評価では「的外れ」は少なくない。
例えば、リストカットなどする人に、少し強い態度を見せて父親的態度で患者さんに「注意」や「指示」したら、患者の父親葛藤が刺激されてしまい、医師が「all bad」になったりもする。すぐに、その日に否定的評価が下される。
そういう時は、「親の心、子知らず」だと思ったり、「ちょっと介入が早かったか」と自分を収めたりする。親や上司に向ける感情を医師に向けるのが「転移」であるが、それを踏まえて指示、注意、アドバイス、支持を考えるのが精神療法である。そこまで踏み込まず医学モデルで症状だけチェックして処方という方法もあるが、精神療法を専門としている以上、そうはいかない。あまりに評価を気にすると、自分の専門性に影響も出るので、私は自分のクリニック評価はどうでもいいと思っている。
時々、他の先生のクリニックを見ると「人格否定」的なところまで書かれているのもあって、「これは、酷い」「そうじゃないのにな」と思ったりもする。
メンタルクリニックは食堂のように一回で「味」がわかるものではない。
ということで、話を戻しますが、私は群馬県を愛しているのです。故郷ですから。
死期が近い恩師を見舞った時「ワタナベ、故郷の北海道が懐かしい、故郷というのはそこにある匂い、風、ああいうものが懐かしいんだよ」と言っていた。
群馬といえば「風」。そして「人情」。私にそういうものを教えてくれたのは「木枯らし紋次郎」であった。幼い頃、赤城おろしの突風で転ばないようにと私と弟の手を両手で握ってくれていた母の手の感触は今でも心に残っている。市川崑監督、中村敦夫主演、思春期に見ていた私の男性イメージには、上州の「父親」的内的対象として紋次郎が内在化されている。