橋本周延 川中島合戦
最後の浮世絵師は誰かと言うと周延をあげる人も多く、幕府御家人で徳川の大奥を描いたり、文明
開化の女性を描いたり、他の浮世絵師が誰も真似できない資料的価値の高い浮世絵師です。
明治期の役者絵、上杉謙信が武田の本陣に乗り込み武田信玄に太刀をあびせる場面。
上杉謙信 市川団十郎(9代目)
九代目は最も有名で浅草の浅草寺の裏奥の境内に今も立派な銅像があります、写真も残ってい
て、細面で彫りの深い顔立ちをしています、この浮世絵の似顔と当たり前ですがそっくりです・・・
武田信玄 中村しかん(4代目)
武田信玄が軍配で上杉謙信の太刀を受ける・・
原大隈守 助高屋高助(4代目)
1561年第4次川中島の戦いで上杉謙信が武田信玄に馬上より切りかかり信玄は軍配によりそ
れを防ぎ、右の信玄の家臣の原大隈守は槍で馬を突く・・
戦いの概要は啄木鳥の陣を山本勘助が提言し陣を張るが事前に謙信側は察知して夜に川を渡り車
懸の陣で攻撃してくる、対する信玄は鶴翼の陣で応酬し一杯くわされた別働隊も昼頃には
本体と合流して信玄側が盛り返す、戦いは痛み分けだがどちらも勝ったと主張し両軍で7千人の死
者を出す・・・・
赤絵
明治期の浮世絵は海外よりベロ藍、アニリン、ムラコ等の科学的な人工顔料が導入された為に
どぎつい印象があり旧来の浮世絵とはだんだん別物になっていきました。この絵も赤のアニリン
と紫のムラコが強く、ハデで落ち着きのない色彩になっています。
この楊州周延は、誰もが知らなかった大奥の風習・風俗を維新後に大衆に知らしめ、また文明開
化の女性を克明に描き後世に伝えた功績は大きいです。
江戸幕府は徳川家や安土桃山時代の天正年間以降の大名家を描くことを禁じていました。
国芳が存命の頃は武者絵に関しては平家、源氏等時代が古い作品にかたより、この
川中島の武者絵はセーフの時代でした。周延は崩壊した徳川家の内側から描いた
数少ない浮世絵師です。