顔対顔があるものへの新たな気づき 〜受け入れることは好き嫌いを超えている〜
髙木さんの主催する会に何度も参加しており、その度に新たな発見、気づきがありますが、
10月22日「私とは本当に何かを見る実験の会」にて、
これまで以上に自分にとっては衝撃的とも言える気づきがありました。
実験の会では、ダグラス・ハーディングが考案したいくつもの実験が紹介され、
みんなで実際にその場でやってみます。
その中に紙袋を用いた、「顔対顔がないもの」という実験があります。
それは両端が開いた紙袋に、自分と相手が袋の中で顔を見合わせます。
密閉された中で間近に他人と顔を突き合わせることはそうないので、
なかなか強烈なインパクトがあります。
その状態で髙木さんから、「袋の中に顔はいくつありますか?
今現在の証拠に基づいて、顔対顔になっていますか? それとも顔対顔のないものですか?」と問いかけがあります。
何度もこの実験を行なっているので、「顔対顔がないもの」という理解はすぐに生じますが、この度の会では、資料を元に?木さんから更なる説明があり、それによって新たな発見がありました。
資料から引用します。
「一元的見方をすれば、 今、あなた(主体)は、この写真の男性(対象物)と顔対顔で向き合っていますか?
向こうには顔、こちらには顔がないという、「顔対顔がない」、の状態ではないでしょうか?
私たちはいつも、どんなときも、「向こうには顔、ここには顔がない」、
という状態で、人と出会うのではありませんか?
私たちの思考はあれこれコメントしますが、それにもかかわらず、
私たちは目の前の人をいつも無条件に自分の世界に
ゆるし入れているのではありませんか?
その事実に気づくことが、主体対対象物の分離を融合へと変えます。
分離が幻想で、融合が現実です。
だからといって、私たちが目の前の人に人間的愛情や好感をもつかどうかは、別の話です」
このような説明は今までも聞いており、表面上では理解したつもりでしたが、
今回は大きなシフトがありました。
今までは顔対顔のないもの、の理解で終わっていましたが、
資料には「私たちはいつも、どんなときも、向こうには顔、ここには顔がない」、という状態で、人と出会うのではありませんか?
私たちの思考はあれこれ コメントしますが、それにもかかわらず、
私は目の前の人をいつも無条件に自分の世界にゆるし入れているのではありませんか? 」とあり、実験後髙木さんが資料を読み上げ説明を受けているとき、
「そうだ。実験の時だけでなく、私はいつも顔対顔のないもので人と出会い、
その際にマインドはあれこれコメントしたりジャッジしているけど、
本質では目の前の人、あらゆる事象を無条件に受けれているんだ」という気づきが起こり、
それはものすごく大きなシフトをもたらしました。
さらに資料では、「その事実に気づくことが、主体対対象物の分離を融合へと変えます。
分離が幻想で、融合が現実です。だからといって、
私たちが目の前の人に人間的愛情や好感をもつかどうかは、別の話です」とあります。
私は今まで分離ではなく融合であり、どんな人でも受け入れることが大切で、
そのためには愛情や好感をいだく必要がある、と思い込んでいましたが、
それはマインドの働きであり、本質では好きであろうが嫌いであろうが、
そんなことは関係なく、無条件に受け入れているのだという理解が生じ、
それが今回の回における一番のシフトでした。
好ましくない、嫌いな対象が目の前に現れると、
マインドは「こいつは気に食わない、でも受け入れなければ……そうは言ってもできないなあ」などと揺れ動きます。
ですが、本質では無条件で受け入れており、そこには思考も感情の働きもありません。
だから嫌いな対象を無理やり好きにならなければ、ということはないのです。
私達が世界を見て、聞いて、感じる際、その瞬間においては、
何のジャッジもなく全てを無条件に受け入れています。
そこからマインドが動き出して「あれは良い、これは嫌だ」というジャッジが始まります。
よく「ジャッジしてはならない」、ということが言われますが、
マインドにジャッジをしないようにさせようとしても不可能です。
しかし本質では思考も感情もなく、何のジャッジもせず、無条件に受け入れています。
そしてそれこそが真の愛であると実感しました。
それは思考や感情によるものではなく、無条件にただ受け入れている。
特別なものでも何でもない、極々当たり前のことです。
私はスピリチュアルでよく語られる愛に違和感がありましたが、
この無条件の愛は何の抵抗もなく受け入れられました。
このことは思考や感情では決して理解できません。
実験や瞑想などでまずは実体験する必要があります。
そして実験も一度や二度ではなく、何度か繰り返すことで、より深い理解、気づきが起こります。
今回はまさにそういう状態でした。
実験の会はいつも私にとって大切なものですが、
今回は今まで以上に大きなものとなりました。
ここで生じた気づきを大切にして、これからも伝わる人には伝えていきたいです。