マゼール指揮『平壌コンサート』
風雪の指揮台に立った
平壌のアメリカ人
341時限目◎音楽
堀間ロクなな
わたしは一度だけロリン・マゼールの指揮姿に接したことがある。1982年にフランス国立管弦楽団と来日した際、東京文化会館でベルリオーズの『幻想交響曲』がメインのコンサートを聴いたのだ。すでにレッキとした世界的巨匠だったが、その厳めしいタクトさばきよりも、第2楽章「舞踏会」のさなかに、燕尾服の左足を後ろへ蹴り上げて拍子を取ったダンサーのようなポーズが瞼に残っている。
1930年にフランスで生まれ、アメリカに育ち、わずか8歳でニューヨーク・フィルを指揮してデビューを飾ったマゼールは、これまでに出現した多士済々の指揮者のなかでもとくに才能に恵まれると同時に、ひときわ謎めいた存在であった。と言うのは、通常の指揮者ならデビューしてキャリアを積み重ねるにつれ音楽が磨かれて存在感を増していくものが、マゼールにかぎってはまったく当てはまらないからだ。残された膨大なレコードを辿ってみると、本格的な活動をスタートさせた1950年代から60年代にかけて、ベルリン・フィルやウィーン・フィルなどの名門オーケストラと繰り広げた演奏がぎらぎらとまばゆい輝きを放っているのに対して、1970年代以降は名声をかちえて音楽界に君臨していくのにともない、徐々に落ち着いて恰幅がいいだけの演奏を行うようになる。わたしが体験した『幻想交響曲』もきわめてオーソドックスな仕上がりだった。
あまりの変貌ぶりに多くのファンが困惑し、失望し、やがて離別していったが、そんなマゼールも最後まで現役指揮者を貫いて2014年に84歳で世を去り、いまにして振り返ってみると謎が解けてくるような気もする。つまり、神童として世に現れたかれは、幼い時分から未知のチャレンジに立ち向かうときに最も集中力が高まって、それが音楽に異常なまでの輝きをもたらしたものの、功成り名を遂げて名誉あるポストに就いたのちは、その責任感から過度の集中力よりも平衡感覚のほうが先に立ってたいてい安全運転に終始したのだろう。実のところ、かれの本来の天才を支えていたのは素朴な冒険心だったのではないか。
そんな仮説を裏づける記録がある。マゼール指揮のニューヨーク・フィルが2008年に北朝鮮で行ったコンサートのライヴ映像だ。手元のDVDには、この歴史的な公演をめぐるドキュメンタリーも添えられていて興味深いことこのうえない。それによれば、アメリカとは「理論的にも現実的にも敵対関係にある」北朝鮮から前年の夏に突如、ニューヨーク・フィルに対して平壌でコンサートを開催するよう招待が届いた。両国の文化交流という大義名分だが、本音はこれをきっかけに経済的な圧力の緩和をもくろんだらしい。いずれにせよ、ニューヨーク・フィルは招待を受け入れて半年後、当時の音楽監督マゼールとともに総勢約300人がボーイング747のチャーター機で平壌空港に降り立つのだが、「これだけのアメリカ人が北朝鮮の地を踏んだのは朝鮮戦争以来60年ぶり」だったという。
オーケストラのメンバーは、見渡すかぎり停電で真っ暗な平壌市街の、そこだけ煌々と光の灯ったホテルへ案内され、この国の人々が深刻な飢餓状態にあるなかで、かれらには贅を凝らした料理がふんだんにもてなされる。しかし、つねに厳重な監視下に置かれて、一切の自由行動は許されない……。
そんな未曾有の状況のもとで迎えた2月26日、公演会場の東平壌大劇場は冷たい風雪に包まれていたが、それ以上に場内は凍りついたように、ステージ上の楽団員たちも客席を埋め尽くした観客たちも顔が強ばり息をひそめていた。そこへマゼールが大股でやってきて指揮台に立つなり、気迫のこもった形相でタクトを振り上げ、北朝鮮とアメリカの両国の国歌をリヒャルト・シュトラウスの交響詩のように荘重に鳴らした。かくして開幕したコンサートは、ワーグナーの『ローエングリン』第3幕への前奏曲、ドヴォルザークの『新世界』交響曲、ガーシュウィンの『パリのアメリカ人』という、いささかちぐはぐなプログラムだったが、それぞれの演奏前にマゼールが英語と朝鮮語を交えてスピーチし、「いつか『平壌のアメリカ人』という曲も書かれることでしょう」とまでリップ・サービスを披露して場内を沸かせた。
いちばんのクライマックスは、アンコールの最後に演奏された『アリラン』だった。それまで暗譜で指揮してきたマゼールが、朝鮮古来の民謡については目の前にしっかりと総譜を広げ、そのタクトから奔流のように感情移入を迸らせた演奏が終わったとき、ステージと客席は万雷の拍手とだれもかれもの笑顔でひとつになった。
「なんと素晴らしい! 自分でもこんな終わりが待っているとは思わなかった」
みずからも頬を真っ赤に上気させての、マゼールのコメントである。とうてい78歳の年齢には見えない。かれはおそらく、生涯を通じてこうした指揮者だったのだろう。