ナポレオン36-ナポレオンとゲーテ
2021.11.19 10:03
1808年10月2日、ナポレオンとゲーテは、エアフルト会議で会った。ナポレオンは、大陸封鎖を確認するために、ヨーロッパ中の皇帝や王を集めたのだ。ゲーテは、ワイマール公カール・アウグストの名代としてである。公国は、プロイセンと合したが、プロイセン崩壊の後、仏軍がなだれ込んで略奪された。
そのときは公が逃亡し、公妃がナポレオンの相手をして、多額の賠償金をかけられて、なんとか取り潰されず、ライン同盟へ入れられた。ゲーテの家にもフランス兵が侵入たり、彼はその始末に忙殺された。そしてナポレオンは、会議の名簿にゲーテの名を見つけ、「ここに人有り」と言って会談が実現した。
実はナポレオンは、「若きヴェルテルの悩み」を7回も読んだというファンだった。2人は国家を離れて話をして、後日ゲーテは、ナポレオンは「大した男だった。いつも開悟し、いつも明晰で、決断力があった」と述懐する。ゲーテはナショナリストではなく、コスモポリタンである。
しかし現実のゲーテは、嵐の中を小公国の中で右往左往していた。この年にファウスト第一部が発表されたが、グレートヒェンの悲劇を中心とした個人的体験である。第二部では国家や世界、歴史が物語の中に入ることになり、この間の体験が反映されることになる。