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オールド・キャンパーの独り言

富貴でも時節の菰は着る牡丹

2017.05.14 06:36

 富貴花、花王、百花王とも呼ばれる牡丹の花は、観賞用の花として唐の時代には長安で大流行したと言われています。漢詩で有名な白楽天は、「花開き花落つ二十日、一城の人皆狂うが如し」と詠んで、牡丹の花に酔いしれ、国事も忘れた大臣たちの様子を嘆いていたことが知られています。

 牡丹が日本に伝わったのは、遣唐使が伝えたとも、空海が持ち帰ったとも言われていますが、「枕草子」や「蜻蛉日記」などにもその記述があることから、平安時代には牡丹の花を観賞する習慣ができていたようです。

 その後、様々な改良が重ねられて、冬に花が咲く冬牡丹が作られています。わらで作られた菰(こも)で雪囲いされて咲く風情から「富貴でも時節の菰は着る牡丹」という言葉が生まれたようです。

 「富貴花といわれる牡丹でも、美しい花を咲かせるためには、寒い時期には乞食のように菰を巻いて、寒さに耐えて春を待つものだ」という言葉ですが、「成功するためには、困苦の時節を経なければならない」という喩えとして使われているようです。

 人が生きていく間には、様々なことがあります。辛い時も苦しい時もありますが、その時が過ぎれば、また、楽しい時も幸せな時も来るでしょう。

 牡丹の花は、乞食のように菰をかぶり寒さに耐えれば、美しく咲き誇り、賛辞を独り占めにする時期も来るのです。

 しかし、花の盛りの20日間を過ぎれば、その美しい花も色合いが衰え、やがて花は散っていくのが定めです。