勤労感謝
本日は、ご存知のように勤労感謝の日です。
起原は新嘗祭と言う事です。
日々勤労できることに感謝する事を、改めて考えましょうと言う事。
令和の時代に入っても、未だに、戦争をしている国。紛争に明け暮れている国。
いつの世も、自分たちの考えだけで、自国民を、他国民を平気で戦火に交える。
降りかかる炎は、払わねばなりませんが、「聖戦」等と言うものは本来ないのです。
「聖戦」であっても、戦争は戦争なんです。
「働ける」日々が、意識するとしないとにかかわらず毎日続けられる時を過ごせる事の幸せを感受出来る国に生きている事にも、最大の感謝が本当は必要なんです。
勿論、生活していくには、それに見合ったお金も必要です。
「働けど働けど我が生活楽にならず。」「じっと手をみる」等と言う時代ではないにせよ、コロナで、命まで奪われることにも遭遇する時があります。
東北震災もそうですが、明日の命は、分かりません。
「人間生きているだけで丸儲け」です。
勤労に感謝すると言う事は、同時に、人としてこの世に生まれてきた事、そして生きて行ける事に感謝もすべき事でしょう。
このような日が祝日法によって制定されていることも大事な事です。
「祝日だから、連休だから遊べる」と思えるわけでもありますが、それも、日々働いて生活費を稼いでいるからにほかなりません。
それに、健康でなければ働けません。
(体が)若くなければ働けません。
ちなみに1992年11月23日に起きた事件のひとつに、「風船おじさん事件」が有ります。
泣き砂の保護を訴えに、アメリカへ風船で渡ろうとしたそうですが、多分太平洋の藻屑となって消えたようです。
この話は、ジュールベルヌの「80日間世界一周」や「太平洋独りぼっち」「翼よ、あれがパリの灯だ」を連想させます。
生きていれば、色々な夢をいだけます。
それには健康で幸せな生活をして行ける事が必要で、そのためにはお金が必要で、そのためにも、健康に働けることに感謝すべき…だと言う事です。
ただそれでも、生きているとそれ以上に、悲しい、苦しいことは多いのも確かです。
だから、勤労に感謝するどころではないと言う事も有ります。
それでも「物事に感謝する」と言う姿勢だけはいつも心の隅にでも持っていましょう。
そうであれば、少しは、心に安らぎが生まれることもありましょう。
よく「明日に向かって生きよう」と言います。
私たちは、多くの悲しみ苦しみを味わいながら生きています。
過去の悲しみをやり直そうにも出来ません。
「明日」しかないからです。
以前アメリカで「タイムマシンの理論が完成した。後は作るだけだ」と言った科学者がいたそうですが、それは無理です。
未来は行けても過去はいけないと言います。
過去は消えるものです。歴史が残るだけです。
過去を表した映画に、スチーブンキングの「ランゴリアーズ」と言うのが有ります。
SFなので作り話ですが、その構想は面白いものです。
でも、どこか納得いく物語です。
私たちの幸福の原点は、「人としてこの世に生まれてこれた事」です。
そうは言っても「雲になりたい」「風になりたい」時があるでしょう。
人間って、難しいですね。
「今生きていられること」を少しは思ってみてはどうでしょう。
心を、気持ちを、楽にさせる方法の一つになりませんか。