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kojinkai

作文へのツッコミ。

2017.04.18 15:55

先日、先生紹介の作文を書いてもらったグループは、


多くが”先生はやさしい”と書いていたので、


ほとんど全員に「どんな点から優しいと判断したか説明しなさい」


という書き直しをさせた。


 


先生を形容するときにやさしいと書けるほどに


関わりを持っていない子たちなのに、


その言葉を安易に選択してしまった子は、


「どこが優しいんだっけ・・・」とずっと悩んでいた。


これは、まるで読書感想文に行き詰まる様子の


デジャブである。


 


 


安易に選べる言葉、というのがある。


 


楽しいとか、優しいとか、嬉しいとか。


 


ポジティブで、悪い印象がないし、


多分先生”一般”に漠然とそういうイメージを


持っているということは大いに理解されたけど、


それでは作文にならないのだ。


 


 


これは、世間に存在するソーシャルメディアの言説にも


当てはまるのではないだろうか?


大体の雰囲気で賛同するとか、


大体の雰囲気で意見を書くとか、


そういう漠然としたものに漠然とした評価を下して


それで説明し抜けた気になっている。


 


自分の意見を書く、というのは


決してそういう次元に止まってはいけないものだ。


 


 


ついでにもう一点付け加えておいた。


「人は、そんなに優しくないし、


そもそも優しいっていうのはどういうことなのか、


俺だって考えるくらい難しいよ。


だから、その言葉は安易に使うべきではない。」


 


その点、小4の子の作文は実に真っ直ぐであった。


 


「先生はすごく面白そう。


自己紹介の時に、自分のことを


●●(苗字)ウサイン・ボルトだって言ってたから。


そのときは本当に楽しくて、いい先生だと思った。」


 


みたいなね。


 


変にカッコつけず、ありのまま書かれたその作文は、


私にとっては最も好印象だった。


ああ、先生は陸上部出身で足が速かったんだろうな、とか、


生徒にジョークをいっぱい言って楽しませてくれる


にこやかな先生なんだろうな、とか、


色々想像できる文だった。


 


親御さんが表現者だからだろうか。


その子は絵にしろ文にしろ、


何か人を引き付けるようなところがある。


 


 


かっこいい言葉っぽいのを選んで、


書けた気になっている魂の抜けた文を書くような、


一見スマートに見えるような作文は、今後は書かせない。


 


書いて欲しいのは、綺麗な文ではない。


グッと周りを引きつけるほど”その子”が表現された文だ。


 


その点を絶対勘違いさせず、


自己表現としての文作を楽しんで欲しい。