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kojinkai

丁寧に。

2017.04.17 14:11

久々に生徒を叱る。


 


I see.の和訳が「ああね。」になっていたという、


たった”それだけ”のこと。


 


しかし、”それだけ”には幾つかのケースが考えられる。


一つは、ある程度知識を知っていて


訳をわざと雰囲気に合わせている。


一つは、ある程度知識を知っていて


私にそれを見せて楽しんでいる。


一つは、無知識にも関わらず調べもせず、


なんとなくそれっぽいからそう書いている。


 


上二つは、結構英語ができるグループとか、


英語ができて、なおかつ私と仲が良いとか、


そうであるから本番はちゃんと書けるし


特に咎めるということはしない。


しかし、今回は一番最後のケースだったから叱った。


 


そもそも和訳を組み立てよう、という時に


教科書の後ろも辞書も全く開かない、という


その意識の低さに対して叱ったのだ。


 


教科書の和訳は、動詞が何であるかと、


前置詞に気をつけておけば大体可能だ。


I see.のような慣用的な会話表現は教科書の後ろを調べれば


必ず書いてある。


そういう細々とした自立して学ぶための


ルールを一つ一つ教えることによって、


一人で学んでいける準備が出来ていく。


 


私は、勉強しようとしない生徒に対しては


ことごとく冷たい。


なんで先生そんなにキレてんの?って


他の生徒が思うほどに叱り飛ばす。


しかし、それはできるようになる努力もしていないのに、


やり方も尋ねず、やろうと試みもせず、


なんとなく事なきを得ればそれでいいと、


そんな風に思っているのが目に見えて分かるからだ。


 


「悪いことは言わない、そういう意識なら絶対伸ばせないから


無駄な投資は止めてもらったらいい。


君になんて投資しても無駄だから、


君からそう親御さんに言いなさい。


高校も行かなくていいだろう。


出すのは親御さんだけど、意識の低い君が


どんな投資を受けても日本は明るくならない。


今この言葉に対して悔しく思うなら、


いまこの瞬間から何かを変えてみせなさい。


俺は君が変わるか、君が俺に負けて塾を去るか、


そのいずれかに至るまで厳しく接する。


絶対手は緩めない。覚悟しなよ。


俺は君がここに在籍する限り、伸びるまでやる。」


 


と。まあ、その子もまだ入塾してすぐなので、


これからいろんな面で変化があるでしょう。


去年のパーリーピーポーの彼の入塾初期の頃を


随分思い出しましたね・・・