小数をかける・割るという意味。
5年生は計算領域を今やっていますが、小数をかけたり割ったりという意味は数式上は結構簡単な操作であるにも関わらず、その真意を本質的に子どもたちが理解するというには実に多様な問題を解かなければなりません。
小数の積や商は、基本的にかける数や割る数を整数にしてあげると具体性が保てます。そのためには、”仕組み”と呼ばれる内容をエンジンとしてしっかり仕掛けていかないといけません。0.7は0.1が7個とか、12の100分の1は0.12のとか。この辺は生徒も割と分かった感じになって、計算の方が実際結構解いたっていう感じがあって初期はそっちにすぐ移りたくなりますが、実際は”仕組み”の方が重要であって、計算は生徒自身が編み出せるものであるのです。
例えば、1.7×0.3なんていう計算があります。これは、1.7の1/10が3個分と考えますと、0.17+0.17+0.17という式に置き換えることだって可能なんですね。だから、筆算をする時も、かける数に着目し、かけられる数にあらかじめ1/10や1/100を仕掛けておいて先にずらしてあげるような方法も考えられるのです。実際こんな話を中学生なんかにすると”なるほどな〜・・・”なんて言っちゃうので、”おや?”と心の中で思ってしまうこともあるわけなのですね。だから、難解な方程式で立式ミスが起こっているのかな?とか。
既存の教材の解説を読んでますと、1.7は17の1/10、0.3は3の1/10だから、17×3÷100とかになっています。これ、多分子どもたちは何のことやらかあんまり分かっていないけど、とりあえず熱心に小数点移動の法則を学ぶのでしょう。事実、筆算に直すとこの考え方でやった方が表記としてスッキリいくので良いのですが、いきなり先に計算方法から入ってしまうと、スッキリしないものを半ば強引に押し通して理解したことにしなければならないことあってあるわけです。だから、小数点の付け間違いが起こるし、時々”凡ミス”とか言って移動のミスが起こるのでしょう。はっきり言って凡ミスっていうのはほとんど存在せず、思考のエラーとして何か核になるような認識ミスも結構あるのではないでしょうか。大きさを概数で推論できれば答えが大きく違うということにも途中で気付けますし、小学生の基本的な事柄における計算ミスというのはおよそ認識の範疇におけるエラーであることが多いのです。算数は、概数計算ができると検証の余地が多く出来上がり、しょうもないミスを減らすことができるのです。
まあ、何にしても小数の仕組みを最後に固める学年が小5であり、分数の仕組みを最後に固めるのが小6でありますから、思考のエンジンとなるその部分をないがしろにしたまま進めると、応用問題をいざ解いていこうとするときに、何も考えられないという事故も起こったりするのです。中学数学は文字式によって簡略化できるのである程度誤魔化せもしますが、結局応用問題を解く段階においては算数的な具体性も必要となったりしますので、小5〜6年での出来は結構先々を占うものになると私は思っているんです。
色々あってから、受験指導はなるべくそういった認識面でおかしなところがないかのチェックが多くなり、応用問題は”基本的に認識がちゃんとなっていたら考えることができるものだ”というように考えるようになりました。事実、扱う内容はこれまでよりも易しくしたのに、応用問題を解けるようになる時間がもともと40分かかっていたのが10分とかまで短縮できるケースもありまして、特に文章題を解かせるときに随分楽になりました。その認識の度合いを最も正確に図れるのが、作図という作業なのです。怪しいものがあれば、図を書いて、あるいは表を書いて説明を求めてみます。出来なければ、それは分かっていないのに答えが出せる方法だけを持ってしまったに過ぎないわけです。「分かっていないのに出来るっていうのはヤバいパターンだな」と思います。
本来学校でやるはずの内容ですが、一応生徒たちがそういうことをちゃんと考えて授業を聞いているのかというチェックも入れてあげることによって一種の保険をかけているような側面もあります。いちいちそれをやり、エラーをできるだけ少なくすることによって幅広く応用問題を解いていく素地ができるわけですから、ちまちましたことにある程度時間を突っ込んでいくことも厭わないのです。
学習はプロセスが大切とは言いますが、時折それは生徒たちの努力によってのみでは成り立たないケースも存在します。プロセスとは何かと申しますのは、実際のところ上で述べたような物事の理解のことを言いまして、人に力強く自信を持って説明できる力のことを言うのです。