定期テスト期間の始まり。
定期テストの期間って、塾休みたくなりませんか?私はそのタイプだったので、親御さんの世代はどうなのかな?とお伺いしたいのです。
私は、中学生だった当時、送り迎え付きの塾へ通っていました。自宅から塾へ行くのに30分、帰るのに30分の合計1時間が浮いた時間になっていました。指導も、自分が分かっていることを”定期テスト対策だ”って言われて授業されるのが嫌でしたし、”定期テスト対策だ”って言ってストックされた過去問を解くのも本当嫌いでした。特に後者は、そんなんで点数取っても、な〜んも楽しくないじゃないですか。いや、むしろそれで本当に嬉しいのか?と聞きたいのです。当時一回それを出された時に、はっきりと「見たくない」と言ったことをよく覚えています。自分の能力や努力を馬鹿にされた気がしたのです。
それは、大学の時のテストの時もそうでした。友人が、先輩から過去問を仕入れてきた、ということを言っていたことがあり、「この人はそれがないと単位すら取れる自信ないのかな?」と思うと同時に、そうでなければなれない教員像を自分に当てるのが嫌すぎて、一緒に集まって学ぶことを辞めた経緯があります。一緒に学んだらむしろバカになるとすら思ったほどでした。一緒に学ぶことは否定しませんが、学ぶ相手は選んだほうがよろしいでしょう。
テストは、どこが出るかわからない、じゃないのです。学習の要点をつかめない、そういう学習の視点がないということが問題なのでしょう。いつまでも、人に頼って結果を出している状況ではない、まずは生活時間の浮きを全て学習にあてるくらいやってみないと、その視点は切り開かれていくものではありません。一回、自分で切り開こうと思わないと、君はいつ視点という切り口を持つことができるのでしょうか?最良の方法なんて、真似してもうまくいきっこないことが常です。
だから私は極力定期テストを無視して授業を進めるようにしているのです。もちろん、質問があれば対応出来る時間を作っていますが、質問を用意できるというのは、もうほとんど対策が終わってる段階の話でしょう。
そもそも、これを聞こうと思った時点で、なぜ調べない?なぜ考えない?なぜそこにワンクッションを求めている?ここが私には分からない。「分かりませんでした」って言うのが君たちの仕事か?もうギブって言うくらいまで考えて、それを持ってきたのか?一体その質問までに、君は何をやってきたのか?
毎回ギブまで考えた、という生徒がほとんどいない。そういう生徒は学年1位になっていたということも記憶に新しい(もう引っ越しちゃったけど)。分からないところを持ってくるくらいじゃもう足りない。分からないところはない、と持ってきてくれて、普通に授業を進行できて初めて私にとっては自然なことだと思っているからこそ、そう思う。まだ、やっていないだろ、と。授業中気になれば、すぐに学校の先生に質問をしてもいいだろう。なぜそれをしないのか?それが分からない。すぐに質問すれば解決することを投げっぱなしにして、定期テストに臨んでいる子も多いんじゃないか?
今回の定期テストは、普段からメッセージを投げているように、要求をもっと引き上げていく予定でいる。甘さを残すな。自分でもっと考えろ。
なんて、言わなくていい次元が、さらに上の理想なんだけど・・・。