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偉人『ヨハン・シュトラウス2世』

2022.01.07 00:00

ウィーンのもう一人の皇帝、ウィーンの太陽といわれたヨハン・シュトラウス2世。彼の甘美で華やかで軽やかなウィンナ・ワルツはいつ耳にしても快いものだ。大好きなブラームスが芸術性の高い強健な音楽であるならば、シュトラウス一家の紡ぎだした音は心軽やかにしてくれる柔軟な音楽である。

父ヨハン・シュトラウス1世がダンスホールや飲食店で演奏した娯楽性の強いウィンナ・ワルツは、長男のヨハン・シュトラウス2世によって芸術の域にまで達した。音楽性の違いから反目しあっていたワーグナーとブラームスでさえもヨハン・シュトラウス2世の音楽を高く評価し、特に『美しき青きドナウ』を賞賛していたというのだから興味深い。軽やかに心から楽しめる音の色だからであろう。

ヨハン・シュトラウス2世は父1世を上回る勢いを持ち18歳という若さで音楽界に華々しく登場したのである。しかし当時楽団デビューができるのは20歳と決まっていた。そこで彼が取ったのは公的機関への陳情である。18歳の彼は父1世が愛人のもとへ走り生活費を入れてくれず、自分自身が母と弟らを食べさせなくてはならないのだと訴え、楽団デビューを特例で認めさせた。

シュトラウス2世の子供時代を解説しておこう。彼は父の演奏を弟らと隠れながら見聴きし育った。彼の才能は6歳でワルツを作曲するほどで、父の演奏スタイルであるヴァイオリンを弾きながら指揮をする姿に強い憧れを抱いた。父1世は当時の教養としてのピアノの習い事は許可していたが、自分と同じヴァイオリンを弾くことも習うことを認めなかった。そこで彼は8歳にしてピアノを近所の子供に教え、そのレッスン代を元手に父に内緒でヴァイオリンを購入した。しかし練習している所を見つかりヴァイオリンはその場で叩き壊されてしまう。

その父の行動に母は怒りを覚えヴァイオリンを内緒で買い与え、父の楽団の第一ヴァイオリン奏者フランツ・アモンにレッスンを依頼したのである。しかしその行動を知った父1世は家を出て入り浸りの愛人宅へ行き二度と彼らの元に戻ることは無く、更に息子に教えたアモンは楽団を解雇され、アモンにすればとばっちりで職を失う理不尽な仕打ちを受けたのである。父1世がなぜそこまで強硬な行動に出たのか不思議であるが、かなり負けず嫌いで息子に対しても強い競争心を持っていたようだ。

オーストリアの音楽界では父1世が家族を顧みず愛人宅に入り浸り、生活費を入れず自分自身が家族を養う健気な息子シュトラウス2世に対して、無慈悲な父シュトラウス1世の構図が出来上がる。そこで父1世は更に様々な妨害工作に出たのである。

父は演奏できるダンスホールや飲食店に圧力をかけ息子が演奏できる場所を無くし、息子の演奏会を酷評する新聞社を買収し、自ら率いる楽団の演奏家にも息子を評価しないように、そして共に演奏しないよう通達を出した。なぜ父がそこまでに息子を窮地に追い込んだかは諸説ある。もともと競争心の強い人物で息子の才能を妬んでいた、妻との確執がそうさせた、仕事が脅かされ今の生活に陰りが出ることを心配したなどだ。今となってはその父の無慈悲な行動が息子の成功に繋がっている。

息子シュトラウス2世は父1世の妨害を逆手にとり、自らの楽団の演奏家を募るときには若手を中心に才能のある人物を獲得し、父の息のかかっていない出展したばかりの飲食店と契約を結び、新聞社には有利な記事を書くよう契約金を払っていたのである。これらの策が功を奏し一躍人気の楽団になった。

彼がなぜそのように動くことができたのか、それは明らかに洞察力が長けていたからである。洞察力とは物事の本質を見抜く力であり、見えていない部分まで想像することである。その洞察力は彼の作品にも活かされ、時代に合わせた遊び心が詰まっていたりする。時代が求めるものを読み取り、いち早く取り入れる決断力はある意味父から譲り受けた才能だったのかもしれない。しかし息子シュトラウス2世は器が大きく後々父と和解する道を選び、父の楽団と自らの楽団を統合し飛躍する道を選んだのである。

では洞察力のある子供に育てるためにはどうすべきか。

それは物事を注意深く観察することを日常から実践させることだ。また人や物事に関心を持たせることも必要で、ただ注意深く観察をするだけでは駄目である。人や物、関係すること全ての状況を察することや想像する、予測するということが洞察力を本物にしてくれる。そしてあらゆる視点で物事を多角的に見て思考できる柔軟性も持たせる必要がある。

シュトラウス2世の幼少期を考えるとその要素は溢れている。父に憧れ演奏家になりたいと父の演奏を隠れてみていたこと、父が許可しないヴァイオリンを購入し習うためにはどうしたらいいのかを8歳で考え実行し、母の苦労や幼き兄弟の生活や行く末を常に長男として直視せざる得なく、父に音楽活動を妨害されたれどうすべきか動向を注視し行動を起こす策を練っていたに違いない。父1世が息子に与えた苦労や苦難がシュトラウス2世を開花させたといえる。

ヨーロッパ全土のスーパースターであるヨハン・シュトラウス2世は、彼の作品である『皇帝円舞曲』を地で行くかのように華々しくクラシック界の皇帝になったわけであるが、くしくも父1世が商人(銀行家)にしたいと願っていた通り晩年はロシアでの演奏活動で多くの富を手に入れた。無慈悲な父とされる1世は皮肉にも子供達の成功を導いたある意味慈悲深き父であったのかもしれない。

次回は次男のヨーゼフ・シュトラウスを予定している。