レポート1 KAZIRO PHOTO TOUR〜下神白篇〜 千速の跡
地域学とフォトツアーをミックスしたワークショップ『KAZIRO PHOTO TOUR 〜下神白編〜』を5/14に開催しました。
まずは前半部分をレポートいたします。レポーターは高木です。私自身は全く神白についての歴史的な知識はありませんでした。海星高校があって、マルトがあって、近年復興公営住宅ができて、無添加のラーメン屋さんがあって...、と、神白といえばそのくらいの知識です。
しかし、いざツアーで巡ってみると歴史的な痕跡がたくさん! しかも、勿体無いくらいに知られていない!
今回のレポートは僕一人ですと全く説明できないので、ツアーのガイドを務めていただいた、東日本国際大学の講師で誰も行かないような珍しいところを散歩するのが大好きな江尻浩二郎さんに解説をいただきながら書き進めたいと思います(江尻さんの解説部分は太字で記載)。
「神白(かじろ)」という地区は、小名浜地区の東に位置し、ほぼ山の地区です。「上神白(かみかじろ)」「下神白(しもかじろ)」と大きく2つに分けられ、今回ツアーした下神白は海側に位置しています。下の地図は下神白のみの部分となります。
さあ、神白には一体どんな歴史が眠っているのでしょうか。いざ出発です!
平安時代の辞書に登場する『神城』
神白川からツアーはスタート。小雨がパラついていましたが、まあこれはツアーがドラマチックになる演出みたいなもんです。案内人の江尻浩二郎さん(写真中央)より、神白について説明を頂きます。
江尻さん(以下敬称略):和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)という平安時代中期、承平年間(931年-938年)に編纂された辞書があります。それによれば、当時の磐城郡には、蒲津・丸部・神城・荒川・私・磐城・飯野・小高・片依・白田・玉造・楢葉と12の郷が置かれていました。この中の神城(かしろ)郷は現在の「神白(かじろ)」だと考えられていて、もしそうだとすると、千年以上も続く由緒ある地名だということになります。
神白は簡単に言うと、神白川流域の非常に細長い谷です。小名浜の市街地とは低い丘陵で分けられています。余り知られていないのですが、狭い意味での「小名浜」は今のメガネトンネルあたりまで。そこから東側(つまり三崎公園方面)は「下神白」です。マリンタワーも下神白にあると云うことになります。
え〜っ! 神の城! 平安時代の神白、いきなり神聖な予感がするエピソードです。
山の上の5本の鉄塔
それでは最初のチェックポイントAを目指し坂道を歩きます。緑が生い茂っています。
結構歩きます。山の上の方は道が緑に囲まれ、まるで広い緑のトンネルです。マイナスイオンがすごそう。気持ちがいいです。
さあ、第一のチェックポイントに着きました。ここは『福島県漁業無線局』と書いてあります。山のてっぺんにあるこの施設は一体?! 江尻さん教えてください!
江尻:このへんを車で走っていて、山の上に見える5本の鉄塔が気になったことはありませんか。これは漁業のための無線局。漁業無線局は日本各地にあって、操業効率化のための情報連絡、緊急時における救助通信、自然災害時における非常無線通信などを行っています。
大正13年、小名浜古湊にあった福島県水産試験場内に小名浜漁業無線局が開局。昭和26年、小名浜小屋の内に移転。昭和48年、現在地に福島県漁業無線局として開局しました。
震災後は、被害の大きかった宮城県からも委託を受け、さらに昨年4月、相双地区とも委託契約を結んだため、現在、やりとりする漁船の隻数は日本で最多となっています。特殊な事情ではありますが、大変に重要なインフラでして、背筋が伸びる思いです。
ちなみに、「漁業無線局」というものは世界で日本にしかないらしく、多分にトリッキーではありますが、「世界一の漁業無線局」であるといってしまっても、まんざら嘘ではありません。
なんと! あの5本の鉄塔は漁業無線局の鉄塔だったんですね! しかも日本にしかない。世界一の規模の漁業無線局。すごい重要な鉄塔だったんですね。知らなかった。
江尻:福島県無線漁業協同組合のWEBサイトには交信によって得られた入出港船情報が日々掲載されています。覗いてみると面白いでしょう。
2017/05/13 入出港船情報
【 実習船 】
宮城丸 正午-N13.04 W169.25 E4 BC14 気温27.0 水温27.5 再開3回目実習中
福島丸 N13 W178 凪良く実習中
【 鮪延縄船 】
第123勝栄丸 昨1500時ベノア発沖へ
【 旋網船 】
第18常磐丸 14日朝山川に入る
第31音代丸 08時ポナペ発帰航中
第88光洋丸 変わりなく帰航中 16日山川予定
第8共徳丸 日立冲2回オカズに終わり0920時小名浜入港
第81共徳丸 昨夜波崎発、川尻沖1回オカズに終わり、0830時小名浜入港
第1寿和丸 調査に終わり凪悪く八丈に仮泊中
【 鰹船 】
寶栄丸 13日0500時焼津発 餌場へ向け順調に航行中
第28亀洋丸 昨18時 焼津発
江尻:現在アップされている昨日(5月13日)の情報がこちらです。いわき海星高校の実習船「福島丸」は北緯13度西経178度で凪良く実習中。いやあ太平洋のまん真ん中ですよ。気をつけてね。そして見てください。ベノア、山川、ポナペ、波崎、焼津、錚々たる港町の名前です。海の民が感じているもうひとつの世界。なんだかワクワクしませんか。あら、共徳丸はオカズ(おかずにする程度の漁しかないこと≒ほとんど漁獲がないこと)かあ、残念。お、「第1寿和丸」は八丈島。時期的にカツオの群れはまだそのへんですね。早く上って来い。
驚きの事実がわかったところで無線局の敷地内に歩を進めます。
※今回は事前に特別な許可を得て敷地内に立ち入らせていただきました。
おや?これは何でしょうか? 門を抜けて施設に続く小道の両脇に2つのこんもりとした部分があります。江尻さん、これは一体??
江尻:ほとんど知られてないと思うのですが、実は、この漁業無線局の敷地内に古墳が2基並んでいるのです。
最近、小名浜林城にある前方後円墳「塚前古墳」の調査結果が新聞を賑わせましたね。「6世紀のものとしては東北最大」「全長約120m」というような言葉が踊り、非常に大きな扱いとなりました。
個人的には小名浜地区で気になっている古墳があと2つあり、その1つがこちらで、千速古墳(せんぞくこふん)と云います。残念ながら、学術的な調査はまだ行われておりません。
標高約54mの丘陵の先端に、円墳(上から見ると丸い形の古墳)が2基並んでいます。規模はそれぞれ、高さ4m、直径20mほど。神白川流域を支配していた有力者の墓でしょうから、神城(かしろ)という地名に関係するのかもしれません。
ちなみに千速(せんぞく)というのは正にここの地名なんですが、訓読みすれば「ちはや」ですね。「ちはや」は巫女さんの衣装、「ちはやぶる」はみなさんご存知の「神」にかかる枕詞。字面の響き合いもなんとも心地よいです。
現在、この2基のうち西側のものの墳頂に小さな祠があり、「権現様」と呼ばれ地域住民の方々にお祀りされています。そうそう、今登って来たこの丘は地元では権現山と呼ばれているのです。
な!なんですと! 古墳!「ちはやぶる」とは「荒々しい、すさまじい」というニュアンスの神にかかる枕詞ということ。権現様の権現は「仏が神の姿となって民衆の前に現れる」ということのようです。ちはやぶる神城の権現様が祀られているということなのでしょうか...。専門家による調査を強く望みます!!!
そしてそれを絵本にしたい! 夢と妄想が膨らみます。
一箇所目からびっくり! さて、無線局を後にし、次のチェックポイントBへ。
何気なく整地された場所に
はい着きました。整地されています。ちなみに写真右下の木々と空の間に見える小さい四角はマリンタワーの頭の部分です。そうなんです、この山は結構高いです。さて江尻さん、ここは一体。この鉄塔ですか??
江尻:これはNTTドコモの無線中継局。さっきは敢えて何も言わずに通り過ぎたのですが、この周辺が千速A遺跡です。無線中継局を建設する際にいわき市の調査が入りました。平成12年12月のことです。
神白川流域には様々な時代の遺跡が20ほど確認されています。山頂に先程の古墳が認められてますし、この周辺は集落跡が発掘されるのではないかと考えられていましたが、年代不明の掘立柱建物跡と、予想されていなかった弥生土器などが検出されました。調査報告書は図書館でも読めますし、パラパラ眺めるだけでも面白いかもしれません。
なんとまあ。知らないことだらけ。遺跡が20も確認されているとは。つくづくこのツアーを企画してよかったと思います。
信長が信奉した魔王の碑
続いてチェックポイントCへ到着。山を降りた平地部分に石碑がありました。これは一体?
江尻:いろんな石塔が並んでいます。こういう場所をこのへんでは塔中(たっちゅう)などと呼んだりします。摩耗してしまって字が読めないものが多いのですが、子待供養塔、大六天、湯殿山、八日塔などが確認できます。石碑を見ると、そこで暮らしていた人たちが、何を恐れ、何を望み、何を祈っていたのかということを感じることができます。それぞれの意味合いが分かると散歩の楽しみが広がるかも。(ツアーではひとつひとつ解説しました。)
「大六天」は少々珍しいように思います。織田信長は「大六天」を厚く信奉し、自ら「第六天魔王」と名乗ったという話がありますから、信長好きの方、ぜひお参り下さい。ま、厄病除けを祈るものですけどね。
さあ、お隣のチェックポイントDへ
墓地のある神社
江尻:塔中から山に登って行く小道があります。好きな道です。竹藪を抜け、神社の石段に出るのですが敢えて横切り、そのまま道なりに左手に周りこむと、ぽっかりした墓地に出ます。ここは下神白地区の墓地なのですが、現在の御霊神社と不可分な位置関係にあるにも関わらず、強引に植え込みで仕切って行き来できないようにしてあり、「違うんです!関係ないんです!」と苦しい言い訳をしているようでなんとも面白いです。
江尻:おそらく明治の御一新で神仏を整理することになり、このような不自然な形になったのでしょう。墓地と隣接する御霊神社、寺跡に建つ御霊神社は小名浜エリア周辺でいくつか見たことがあります。神社の参道を登ってくるよりこちらのほうが面白いだろうということで、敢えて塔中からの小道を登ってきました。
江尻:御霊神社(ごりょうじんじゃ)という名前の神社は、日本各地に存在して、その祭神・性格は様々ですが、こちらの御霊神社は「おれいじんじゃ」と呼ばれています。鎮座地はいわき市小名浜下神白字千速177。祭神は神白和泉守(かじろいずみのかみ)といって、下神白村の館主、神白和泉守の霊を祀る杜だと言われています。
御霊神社より南西方向を撮影。
さて、前半はこれにて終了! 後半は海に向かって歩きながら歴史の痕跡と出会います。
次回もお楽しみに!