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レポート2 KAZIRO PHOTO TOUR〜下神白篇〜 神城の海

2017.05.16 10:39

 地域学×フォトツアー『KAZIRO PHOTO TOUR ~下神白編〜』レポートの後編です。


 前編では『世界一の漁業無線局』、『未調査の千速古墳』、『魔王の石塔』、『墓地に隣接する神社』などを紹介。後編は神白川を南下し海に向かいます。下神白の過去、現在、未来を感じられるツアーになりました!

 

 さあ、レッツブラカジロ!



 解説:江尻浩二郎(太字)

 文:高木市之助(細字)



 さて、前回の御霊神社から下に降りる所から後編スタート。

 江尻:東側へ抜ける小道を降りましょう。

 江尻:改めて、御霊神社(おれいじんじゃ)の正面鳥居前を通ります。

 神白川沿いに南下してチェックポイントEに向かいます。道も川幅も広くて気持ちがいいです。

 江尻:神白川にかかる神白橋です。小学生の頃、毎週日曜は釣りに行っていましたが、子供がする海釣り(岸壁釣り)は投げてしまえばやることがなくてとても退屈。私はこの橋の下で地味に鮒を釣るのが好きでした。今は川岸が固められてしまって足場がなくなってしまいましたね。

 江尻:立派なイチョウの木の陰に赤いお堂が見えます。あそこがチェックポイントEです。

 江尻:県道側から直接入れないので、対岸を進み、橋を渡ってから、川沿いの未舗装路を戻ります。

 おおー! すごい! この道はよく通っていたのに全く気付かなかったです。こんなところにお堂があったとは。扉には月と太陽のマークが。江尻さん、このお堂は?


 江尻:薬師堂です。県道からは見えないので、ほとんど知られてないと思います。ここは真言宗の医王院というお寺でした。明治元年、神仏分離の影響で永崎にある蓮乗院に合併されています。薬師如来は簡単に言うと病気から守ってくれる仏様。日本でも大変流行した仏様です。月と太陽のマークはちょっと難しい話になるんですけど、薬師如来の脇侍(左右に控える菩薩や明王、天など)が月光菩薩(がっこうぼさつ)と日光菩薩なんですね。それを表しているということでしょう。


 ほほ〜。

 江尻:また石塔があります。「十九夜供養塔」とありますが、これは旧暦の19日に月待をする記念として「十九夜講中」と呼ばれるグループによって造られた塔。十九夜講というのは簡単に言うと、月齢が19の晩に女性たちが集まって飲食を共にし、数珠繰りなどをして安産や子供の健康をお祈りしたものです。山形、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉などに分布するそうですが、このへんは非常に多いですね。

 実は!ここで一番見てほしかったのは、お堂の裏なんです。行ってみましょう。


 お堂の裏...? 一体何があるのかな?

 江尻:よく見ると岩肌に仏様がいらっしゃいませんか。


 本当だ! かなり削れているけど確かに岩肌に直接彫られた仏様がいますね。


 江尻:これは磨崖仏と云って、実は小名浜周辺には結構な規模の磨崖仏がいくつかあるんです。住吉遍照院の裏、馬落前薬師堂の裏、鹿島街道沿い久保、そしてここ下神白の薬師堂裏がおすすめベスト4になります。

 すぐに確認できるもので3体。摩耗しているのでどのような仏様なのかは分かりませんが、かなり早い段階で覆いなどが施されていれば、この地域の古の人々の祈りを感じられたかもしれません。

 日本の磨崖仏の6~7割は大分県にあると言われていますが、地質的にこのへんも似たような砂岩ですし、中世の磐城は仏教が非常に盛んだった地域ですから、そういう意味では条件が揃っていたのでしょう。

 あと、個人的に思うことなのですが、このへんでは、薬師堂の裏に磨崖仏がある、というパターンが多いようです。近くに薬師堂があったらぜひ裏を覗いてみてください。ちなみに江名の真福寺にあるものは薬師堂の「下」にあります。公開されてないので私も拝んだことがないのですが、、


 へ〜。川の向かいにお堂が隠れてただけでも驚きなのに、さらにその裏に磨崖仏が。相当削れちゃってるんで屋根や囲いで雨風を防がないとどんどん風化してしまいますね。

 さあ、さらに南下して次はチェックポイントFへ。

 江尻:川を下り、海が目前ですが、いわき海星高校をまわりこみましょう。いわき海星高校は旧小名浜水産高校ですね。水産関係の学科がある高校は全国に48ありますが、福島県ではここだけです。

 余り知られていないのですが、海星高校には「専攻科」という高校卒業後2年間の専攻課程があります。海洋科、無線通信科、機関科の3学科があり、更に高度な知識や技術を学んでいます。無線通信科からは、先程の漁業無線局に勤めるような人材が出てくるかもしれませんね。

 震災時、いわき海星高校は、津波が1階部分を突き抜けました。生徒は入試関係のために休みで、教職員約50名は全員近くの小名浜高校に避難して無事でした。その後小名浜高校との合同授業等を経て、平成26年9月に、復旧工事落成記念式典。現在は、校舎周辺の海岸堤防工事や川沿いの水門工事が続いている状況ではあるものの、ほぼ震災前の状態に戻りつつあります。

 江尻:さて、海岸へ出ました。ここは神白海岸(または下神白海岸)と呼ばれています。永崎海岸の陰であまり目立ちませんが、自然地形も比較的よく残り、個人的に非常に好きな海岸です。

 私が子供の頃(昭和50年代初め)、ここには多くの廃船が打ち棄てられていて、それはまるで船の墓場のようでした。


 船の墓場...。話は聞いたことがあるけど、まさにこの海岸だったんですね。

 江尻:「写真で綴る実伝・いわきの漁民」草野日出雄(昭和53年)に掲載されている写真です。いくつも廃船が見えるでしょう。私が子供のころは正にこんな感じ。


 これが昔の神白海岸か。確かに廃船が写ってますね。奥の景色は今とほとんど同じだ。


 江尻:昭和の初めごろ、この海岸は座礁の名所だったという話があります。ガスが切れた時に沖から見る灯りの感じが、小名浜と下神白はよく似ていたそうです。また小名浜と下神白の凪(潮の流れ)も実によく似ていたとか。それで、小名浜だと思って近づいてみると下神白海岸へ押し上げてしまったということがあったそうです。

 現在は一艘も見当たりませんが、実は!ここにあった廃船を、みなさんは今もある場所で観ることができるんです。

(「廻光〜竜骨」蔡國強  写真:中村幸稚


 江尻:蔡國強さんの「廻光〜竜骨」はここ神白海岸から掘り出され制作されました。1994年2月、蔡さんと回廊美術館の志賀さんが廃船を探し回っていると、小名浜の知り合いが「水産高校(現・いわき海星高校)の前にいくらでも埋まってる」と教えてくれたそうです。すでに外は真っ暗でしたが、車を走らせ、懐中電灯を手に砂浜を歩くと、深く埋もれた廃船(北洋サケマス船)が、その時まだ三艘あったとか。


 霧の中から船がゆっくり現れる光景が浮かびます。昔の海岸の写真を見ると、蔡さんの作品のタイトル通り、竜の骨が神白の海岸に散らばってるように見えますね...。改めて回廊美術館に行って鑑賞してこよう。

 江尻:河口まで来ました。水門の工事が行われています。今は立ち入りづらいところもあるので、完成したらまたこの周辺を散歩してみましょう。


 そうですね。立派な水門だなあ。


 江尻:さて、ここでぜひ観てもらいたいものがあるんです!雨が上がって本当によかった!防潮堤に登りますよ!

 江尻:海星高校の野球部が練習しています。

 2013年春、海星高校は甲子園に「21世紀枠」で出場しました。炊きたてのお米みたいにかわいらしい坂本キャプテンに浜のおばさまたちが黄色い歓声を上げていたのはまだ記憶に新しいですね。この練習風景を、ぜひこの防潮堤の上から見てほしかったのです。小雨が続けば屋内練習だったでしょうから、雨が上がって本当によかった。・・・あら、今日は練習試合ですね。相手は双葉郡広野町にある「ふたば未来学園高校」ではないですか。背中に「FUTURE」の文字。すごいな、、まさに未来を背負っている。

 ファウルボールが防潮堤を越え、浜まで飛んで行ってしまいました。海星高校の一年生が全速力で拾いに行きます。真新しい防潮堤には多くの父兄がつめかけ、ちゃっかり3塁側スタンドにされています。

 向こうに権現山。王が眠る丘の上には、漁業無線局が立ち、はるか遠くの海で操業する漁船たちと交信しています。そこで活躍するであろう漁師の卵が、いまここ、いわき海星高校で学んでいます。

 神白川は、いくつもの祈りや鎮魂を孕んで、海へ。

 振り返れば、忘れられたようにひっそりとした浜、座礁の名所、廃船の墓場、そしてそこから掘り起こされた蔡國強の作品が日本を、そして世界を飛びまわっています。

 これまで見てきたすべてがここから感じられるはずです。


 すごい!まさにこの場所が「ザ・下神白」ですね! ツアーの全てがいま繋がった...。ほんと感慨深い土地ですね。下神白。いいなあ。


 江尻:では、最後にもうひとつ、こちらを見てツアーを締めくくりたいと思います。


 江尻:左側が県営下神白団地(復興公営住宅)です。2015年2月、いわき市に、原発事故による避難者のための集合住宅が完成しました。ここには富岡、大熊、双葉、浪江の方々が入居しています。収容可能数は200世帯377名。応急仮設住宅は町単位でありますが、こちらは4町が一堂に会しているということで、その立場や背景は大きく異なります。

 そして道を挟んだ右側は、全く同じように見えますが、市営永崎団地(災害公営住宅)になります。2015年10月13日、入居開始。集合住宅165、戸建住宅24です。この真ん中の道が下神白地区と永崎地区の境界なんですが、「県営」と「市営」、「復興公営住宅」と「災害公営住宅」という違いがありますね。こちらはいわき市内の地震や津波被害を受けた方々のための集合住宅なのです。更に大きく立場や背景が異なる方々が、ひとところに住んでいるという訳です。

 双葉郡4町の方々といわき市の方々が顔付き合わせて暮らして行く。ふたば未来学園高校といわき海星高校が共に練習に汗を流す。今日観てきた下神白は、そんなところでもありました。

 ツアーはこれで終わりたいと思います。では、最近下神白に引っ越してきた「ウロコジュウ」で、昨日小名浜に水揚げされた初鰹でも食べましょう。小名浜に揚げてくれた八戸の第26惣宝丸に感謝!

おしまい