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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン39-皇帝軍初敗北

2021.11.24 08:41

1809年4月9日、オーストリアは、イギリスと同盟を結んで資金援助を受けてバイエルンに侵攻した。ナポレオンは、即座に対応したが、実は主力はスペインに釘付けだった。しかしエックミュールの戦いに勝利して、ウィーン再入城を果たした。だがすでに王族は退避済、急所を一撃するナポレオン戦法対策も進んでいた。

墺軍は、ドナウ対岸に集結し、橋をすべて破壊した。仏軍は中州のロバウ島に渡り、そこから渡河しようとした。墺軍は、5月21日に渡河を開始したが、待ち構えた墺軍と激しい戦闘。翌日ナポレオンは全軍撤退を命じ、アルペン・エスリングの戦いに敗北、そしてランヌ元帥が死亡した。ナポレオンを敗北させたカール大公はオイゲン公以来の英雄と称えられた。

その後川を挟んで膠着状態となったが、ナポレオンには各地から援軍が到着し、18万の大軍となった。仏軍の集結したロバウ島は工場と化して、木を切って橋を作った。しかしこれは囮で、ナポレオンは正面突破と見せかけて、東側に迂回路をつくって、暴風雨の夜にあえて渡河作戦を遂行した。

墺軍は4万人の死傷者を出して敗北したが、仏軍も3万2千人に達した。オーストリアはシューンブルンの和約で領土割譲と莫大な賠償金を課せられた。ナポレオンの勝利に見えるが、その間にポルトガルやオランダに英軍が上陸し、広がりすぎたナポレオン帝国は、混乱していくこととなる。