Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

じゅんじゅんホームページ

写仏と出張マッサージと私の想い。

2021.11.26 15:11

毎日がEveryday過ぎて、濃密な時間を過ごしています。

日記を書くこと、ストレッチ、半身浴しながらの読書は、自分自身と向き合うことであり、朝のお散歩は自分とのデートだと思っている。

ついつい予定を入れてしまい、スケジュールをぎちぎちにしてしまう癖があるが、一定数は自分自身に自分を独り占めさせてあげるべきと最近よく思う。

私も、じゅんじゅんと遊びたいらしい。

かまってほしいよね。

よしよし。

自分に人気者って、無敵だし素敵なことだよね。

たくさんの人に、この秘技を伝え広めてゆきたい。

自分で自分を愛せたら、多分向かうところ敵なしなんだもん。

写仏をしました。

勤写は、名前の後に書くんだったね。

てへへ。

お久しぶりの写仏の会、私は相変わらず誰よりも筆が遅くて、気付いたら客殿のテーブルにだれもいなくなっていた。

それでも、以前あった焦りは、まったくもって無くなっていて。

いいよ、いいよ、大丈夫、いっこずつやろうねと自分に心の中でつぶやいて筆を進める。

今回のモデルさんは、南無大輪金剛菩薩。

ひとつの中に多が存在し、多数の中にひとつが存在するという大原則を司るとされる仏様。

たとえば私の身体は、幾億もの細胞により構成されたもので、その私は、日本という国を作るひとりの人間であって。

ひとつの中に宇宙があり、宇宙のなかにはひとつが存在する。

目眩のしそうな話である。

でも、そう思うことで、なんだかあらゆるものに親近感が湧く気がして。

遍く一切は同一なのかもしれないと思うと、その全てに、愛おしささえ感じる。

またひとつ、新しく学ばせて戴けました。

酒井少年パパと、えまんもすママ、ふわり姫のおうちへ、出張マッサージへ伺ってきました。

先月末振りに会ったふわりちゃんは、歩き方が安定していて、あかちゃんの成長スピードに驚かされた。

私のことを覚えていてくれたようで、にっこにこでふわりちゃん語で話かけてくれて、お膝に座ってくれたりして、めちゃんこ幸せでした。

30分ずつパパママの施術をさせて戴いたのだが、最近嫉妬心を覚えるようになったというふわりちゃんが泣き出してしまった。

大人の階段を、着実に登っている。

素晴らしい。

そんな貴重な瞬間に居合わせる事が出来て、本当に幸せである。

「ごめんね、パパもママもとらないから、大丈夫だよ。」

と話しかけた。

今回も、たくさん遊んで戴いちゃったよ。


えまちゃんの提案で、施術後そのまま宅呑みすることに。

私は手羽元のビール煮を作って行ったのだが、えまちゃんも鶏肉の煮物を作ってくれていて、まさかのビンゴ。

味玉が入っているのと、大根の切り方まで一緒という奇跡。

前世では双子だったのかもしれない。

えまちゃんのハッピーな性格にも、前々から親近感を感じている。

えまちゃんが、冷凍みかんでサワーを作ってくれた。

めちゃめちゃ美味しかった。

これはおうちでもやりたいなあ。



マッサージの翌日えまちゃんが、

「起きたら身体がすごく軽くて、どこも痛くなくて感動しています!」

とご連絡をくれた。

良かったあ。

整体のご依頼も少しずつ増えてきて、本当に本当に喜ばしくて。

私がいくら望んでも、施術を受けたいと言って下さる方がいなければ、やっぱり成り立たなくって。

リラクゼーションサロンに勤めていた頃との違いも、最近、とても感じています。

店舗で、いちセラピストとして常駐して施術するのと、じゅんじゅんにマッサージして欲しいとご依頼戴く現在とでは、効果にまで影響があると分かりました。

受け入れて、心を開いてくれている状態からの施術は、本当に効果が如実だと感じる。

実際、お身体を触らせて戴くと、現役時代の苦悩が無くてビックリする。

警戒とまではいかなくとも、やはり緊張されているお客様もいるし、本当にほぐれるのですかと思っている方もいれば、これだけ対価を支払っているのだから一定の効果がないと損だ、という気持ちの方もいらっしゃる。

マッサージは決して安いものではないし、時給換算したら、支払いだけを考えれば、通常のアルバイトでは考えられない額であって。

だからこそ、結果が目に見えてあらわれて欲しいと思うのは、当たり前の事なのだと思う。

私も出来得る限り、少しでも楽になって欲しいと祈るような気持ちで、お身体と相対させて戴いています。

勿論お金を支払って、それだけ身体が軽くなれば越したことはないし、しんどくなったらいつでもほぐしに来て戴いてよいと思います。

勿論、それもひとつですが、私は、私のマッサージが、ご自分のお身体に心を配るひとつのきっかけになったらいいなあと思いながら、過ごしています。


現代の多くの方は、自分のお身体や心との対話そのものに気付かないまま、忙しない日々を過ごし、なんとか床に就いて眠り、朝になればまた、駆け出さねばなりません。

スローライフが素敵だと思えど、先行きの不安や財産について、家族のことなどを思えば、現実はそうもいきません。

そういう、生きていくために必要と思える不安全般が、ストレスという形で、心身に影を落としてしまう。

ストレスは悪しきものとされがちですが、本来は、程良い心のハリとして、ある程度の心の緊張感は必要とされています。

ふにゃふにゃでは、誰かを守ることも、夢へ向かって努力することもできないのです。

ストレス自体は悪くないけれども、それによる不安や負の感情をぐつぐつと煮詰めてしまうと、非常に危険な状態になる。

その回避方法や解消法について、多くの人が知らないまま、日々を過ごしている。

これはとても危険なことなのだと深く感じている、今日この頃です。

一時的な、付け焼き刃のような施術や不安の払拭ではなく、それをある程度自分で自分に施すことができるようになれたら、この後何十年と続く人生がより豊かなものになると、そう思って止まないのです。


私自身、まだまだ練習している最中です。

恐らく命が絶えるその時まで、ずっとずっと学び続けて、その度にハッとして、目に耳にする世界は彩りを増してゆくのでしょう。

唄うことを嬉々としている私が、この聴覚を、声を失くしたとき、果たしてどんな気付きや新たな表現と喜びが待ち受けているのだろうかと思いを馳せては、胸がいっぱいになります。

昔は怖かったし、いざその状況に陥れば、泣きじゃくったりするのでしょう。

でも今は、全ての無常が、愛おしい。

明日は、高円寺無力無善寺にて、中村アリーちゃんとツーマンライブ。

アリーちゃんも、自分とたくさん相対して、戦って、たくさん抱きしめてきている方です。

なかなか、できることではないです。

私が本当に敬意の止まない、ひとりのシンガーであり、ひとりの人なのです。

お互いが常に自分の最前線を燃やしてきているから、会っていない時間なんて関係なくて、

「やあ!きみも元気にやっていたかい!」

と、音を迸らせることができるのだと強く思う。

私はあなたの観ている世界が観たいし、聴きたいし、感じたい。

だからどうか、私とてんで違う栄養をたくさんたくさん浴びて、また私と乾杯して笑ってお話して欲しい。

関わった全ての人間ひとり残さず、翌朝、さあ行こうと先を見据えられるように、私は今日も模索を続けます。

不器用ながら、少しずつ。

本当に、すべてのあなたに、ありがとう。

一緒に世界を生きていこう。

ありがとう。