ジャガイモが供えられているお墓
ジャガイモは、アンデス中南部のペルー南部にあるチチカカ湖畔が発祥とされています。
1570年頃にスペイン人の船乗りや兵士が、新大陸の「お土産」として持って帰ったのだろうと言われているようです。その後、スペインからヨーロッパ各地に伝わって行ったとされていますが、はっきりとは判っていないようです。
伝わった当初は、植物学者たちによって研究用菜園で栽培されていたようですが、プロイセン王国のフリードリヒ2世が、飢餓対策として栽培を奨励したことによって一般家庭にも食糧として広まったと言われています。
フリードリヒ2世は、寒冷でもやせた土地でも育つジャガイモに注目し、休耕地となっていた土地にジャガイモの栽培を奨めるとともに率先垂範して毎日ジャガイモを食べるなどのキャンペーンを行ったそうです。
さらに民衆の興味を引くために日中は、わざとジャガイモ畑を軍隊に警備させ、夜は警備を解いて盗みやすくしたという逸話も残っています。
彼の努力もあって、地下に実るので踏み荒らしの影響が少ないジャガイモは、農民たちに受け入れられたようです。
老後、彼が過ごしたドイツ北東部ポツダムにあるサンスーシ宮殿の彼の墓には、今もジャガイモが供えられています。
フリードリヒ2世には子供がいなかったので甥のハインリッヒをわが子のように可愛がっていましたが、ハインリッヒが若くして命を落としたために、悲しさに明け暮れた彼は、しだいに孤独で人間嫌いになり、人を遠ざけ、11匹のグレーハウンド犬と一緒に暮らしたそうです。そして愛犬を埋葬した墓地に自分用の墓を造らせ、死後は犬と一緒に自分の亡骸を葬るようにと遺言を残したのだそうです。
しかし、その遺言は無視され、父親と同じポツダムのガルニソン教会へ葬られましたが、第2次世界大戦中には遺体は各地を転々とさせられました。やっと彼の遺言どおりにサンスーシ宮殿の庭先の芝生の墓に移されたのは、ドイツ再統一後の1991年のことでした。
軍事的才能と合理的な国家経営手腕だけでなく、フルートの演奏を始めとした芸術的才能も併せ持ち、学問と芸術に明るく、プロイセン王国の全盛期をもたらした彼も自分の希望した墓に入るまでには205年の時が必要だったようです。