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ʻOluʻOlu

原動力が苦しみから喜びに変わるまで

2021.11.26 06:36

羽海野チカさんの

3月のライオンの最新刊を読んだ

 

これを読んでいて自分の中でふっと立ち上がってくるものを感じたので書いてみます。


子供の頃の私は

人より秀でていなければいけない、と強く思っていた。

わかりやすいもので

学校の成績、偏差値、スポーツ、社交、などなど

という刷り込みがすごかった。

両親の私への期待もひしひしと感じていたし

高校受験は何度かここに書いたけれど

監禁されて勉強を強いられていた。

なので、標準ではダメだっていう気持ちが強かったと思う。

(今となっては何が標準だかわからないけれど)

環境だけのせいだけではなくて

私自身もそうゆうものに弱かったのだと思う。

自信のなさ

自己肯定感の低さ

イソップ物語の狐ではないけれど

虎が後ろにいれば自分が偉くなったような気持ちになったり

で、

ヒーリングやロミロミも

最初はこの要素が強かったと思う。

人の役に立ちたいって気持ちは

純粋にあったとしても

何か自分の苦しみから逃れるために

利用していたように感じる。

人を癒したい

助けたいって思いは

病的なものなのです。

私の苦しみからが出発点だった、と感じている。

けれど最近変わったと思う。

本当に

今のお仕事が

本当に楽しいのだ

嬉しいのだ

喜びなのだ

たくさんの人に出会いたいのだ

その純粋度が上がってきた。

原動力が苦しみから喜びに変わったのです

そして、まだまだ未知な世界になれていない私は

手探りでそれを感じながら過ごしています。

そんなことを感じていたら、母から電話があった

「みかんを間違って箱買いしてしまったの、少しだけどおすそ分けするね。風邪ひかないようにね。送るね。」

そんな電話、昔はなかった。

そして、ある記憶の断片が私の中からまた沸き起こる。

昔父にアロハシャツを買ってプレゼントした時のこと

ハワイ島のシグゼーンで買った黒のアロハシャツ。

せっかく買ったのに何年も着てくれなかった。

いつもお土産を、プレゼントを何か贈り物をしても

封を開けず、使わず、そのままにしておくので

いつの間にか私は父にプレゼントすることをやめてしまった

そうするると今度は

お前から何ももらったことがない、

と言われるようになり

私は反論できずに一人で静かに怒っていた。

年月が経って

私の傷が癒えて、

また同じことを言われた時、

たくさん贈り物をしたけれど、

食べ物も食べず、

着るものも着なくて

ありがとう、と言う言葉ももらえず、

どんなものも気に入らないんだって思って

贈ることをやめました

と伝えると

少し驚いた顔で

黙ってしまった

そして、つい先日

例の着てくれなかったアロハシャツのことを言うと

「あんまりにも高価で素敵なシャツで、勿体無くて着れなかったんだよね」

と母が代わりに教えてくれた。

言葉にして伝える、と言うことは本当に大事だと思う。

その母の一言で私はまた一つ過去の記憶が書き換わる。

そして、みかんをありがたく受け取る。

話が断片的で飛んでしまって申し訳ないけれど

なんとなく、一つ何か動くたびに

真実が書き換わり

苦しんでいたことがなくなり

喜びに変わっていく様子を描いてみたくなった。

この3月ライオンから

この記憶達が統合されて

私の今に繋がっていった


日々の喜びは

ここからつくられていく