Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン41-ナポレオン2世の運命

2021.11.26 09:51

1811年3月20日、ナポレオンに待望の息子が誕生した。彼が皇帝になったのは自分の息子に帝位を継がすためだった。ところがジョゼフィーヌには子ができない、実は愛人には子供ができているのでやはり妻に問題がある。そしてオーストリア皇女マリア・ルイーザと再婚した。

結婚戦略はお得意のオーストリア、主導したのはメッテルニヒとタレーランである。皇女マリアは「死んだほうがマシ」と言ったらしいが、結婚すると、ナポレオンはジェントルマンになっていて、深窓の令嬢マリアはすっかり好きになった。つつましやかで浮気もしない新皇后は手が焼けなかった。

出産は難産で、万一の場合は母を救うよう皇帝は指示を出した。男児誕生にナポレオンは大喜びで、パリノートルダムで盛大な洗礼式が挙行された。さらに13年に神聖ローマの伝統にのっとり、息子をローマ王にしようと、まあ幽閉中の教皇ピウス7世と和解をしようとする。が、結局戴冠はできなかった。

ナポレオン退位後、息子は1か月だけフランス皇帝となり、ナポレオン2世の称号を得た。ナポレオン2世は、ウィーンで腫物を扱うように育てられ、ライシュタット公の称号を得た。フランスでの2世への期待は強かったが、彼は病弱で、32年に若死した。ルイ・ナポレオンが3世を名乗れるのは彼が死んだおかげである。