北三陸久慈湾 麦生岬の厳島神社~牛島
北三陸久慈市市街地から約20分、久慈市侍浜町麦生岬に鎮座する厳島神社、麦生集落東南の鳥居をくぐると神社へのアップダウンの道が続く、つらつらと下りながら右手に久慈湾が垣間見え、下りきったところから神社への緩やかな登り道に鮮やかな朱色の手すりが現れ、その左手~北側断崖下に麦生漁港が望める。
坂道の端っこ~断崖上は常に陽射しに恵まれ、ツツジなど早い時期に開花する。以前はシャクナゲ?なども見かけたが・・・。
この場所、晴れた日は北側海上一帯が望めるが「やませ」となれば北東側から寒冷な気流が岬突端~内陸に向けて流れ込む、久慈湾南側の二子・玉の脇から見れば牛島から麦生岬を灰色がかったガス気流が陸地に向け岬から西の海成段丘を呑込む様子が確認できる。
その様は圧巻としか言いようがない。「文化的景観」に選定されているが、大地の成立ちからすれば「Geo的景観」その物と言える。
神社裏西側に、この「厳島神社」を1775年安芸の国(広島)より勧請した現地の人~東廻り海運に従事した桝森丹治の顕彰碑が建てられている。
18世紀後半は、北三陸各所の墓碑などにも見えるように、この時期の墓碑記名が増えだした頃で、盛岡藩、八戸藩とも江戸・関東・関西市場を意識した諸産業が勃興から上昇期に入り、東廻り海運でたたら鉄、銅、琥珀、干鰯いわし、鰯〆粕、魚油、塩魚、海藻、干鮑、海鼠、大豆・雑穀、漆、木材、和薬種など多彩な産品が運ばれた。
帰り荷は布、茶、たばこ、米、竹、和紙、糸、綱などであった。~八戸藩の海運資料、八戸市史通史編Ⅱ近世
今は麦生岬厳島神社周囲はアカマツや雑木林に覆われているが、近世・近代を通して南北東海上を一望できる久慈湾・太平洋を見渡せる絶好の位置であったに違いない。
藩政期の絵図などにも牛島の久慈湾内側に「大間」や「水尻澤」などの地名が見える。大間は波風を避ける牛島西側のえぐれた場所、水尻澤は石油地下備蓄基地北側にある沢の名を指している。
麦生岬の牛島へは、昭和の頃行っているが今回は二度か三度目で、正直一般の方は急傾斜の斜面で道がなく、危険なことから海端へ下ることはお勧めできません。
また、普段は波が荒く高潮などで身をさらわれる危険性があるので高台から木立の間に垣間見える牛島を確認するのが危険回避の最善策でしょう。
麦生岬は北側断崖絶壁下の麦生漁港~北に連なる海景、木立の間から見える久慈湾、牛島眺望のおすすめポイント、地元集落には旧麦生小中学校校舎を芸術村として活用する「あ~とびる・麦生」=多彩な企画展示、コンサート、演奏・上演、ワークショップなどを開催=があります。
ただ今、この5月28日まで花巻市在住の若山拓也氏写真展「悠久海岸SANRIKU2017」を開催中。
若山さんが長年にわたり三陸の海に通いながら撮影した心象風景約25点を展示~開場は毎週土・日曜のみ、10:00~16:00(最終28日は15:00まで)
久慈市街地~夏井町半崎~久慈市地下水族科学館「もぐらんぴあ」・「久慈国家地下石油備蓄基地」~半崎集落~県道279号経由~「あ~とびる・麦生」~麦生岬・厳島神社~麦生漁港~みちのく潮風トレイルロードなどなど、皆さんウォーキングがてらのお出かけは如何でしょうか。