ねこみみプリンセス 08 とっくんはー、ままならぬものー
チャトルネカルネ魔法学校の図書室。
ここは、本が沢山あるだけではなく、特殊な魔力が満ちているそうだ。
ほんの少しだけ魔法使いの手を引いてくれる、そんな場所。
「にゃふーん!」
「にゃふーん!」
姫は学校に戻り、魔法の実践訓練に入っていた。ここからは、それぞれのエレメンタルごとに教授が変わる。
「にゃふーん!」
おがくずが、ちょっと焦げたが、火を熾すというわけでもない。
「頑張ってね。相性が悪いエレメンタルから訓練したほうが、覚えが早いから」
火のエレメンタルはほがらかで、優しそうな女教授が指導してくれている。時々、見た目ほど優しくはない感じがして、そこもまた怖い。
「ふええ……、はいー」
にゃふーんを言い過ぎて、息が荒くなるネコミミ姫。眺めるじゃぱんは、自分が浮いてしまわないように、姫の魔力を弾くコートを着ている。
「にゃふーん!」
時折赤い火が生まれるが、次第に消えていく。
「……あいつ、全然駄目だなあ、コツとか無いのか?」
「こればっかりは、自分でやるしかないのよ。扉が開く感覚を覚えていくうち、呪文も使えるようになるから」
「にゃふーん!」
やってもやっても、火種は出来ない。
「……そうだ、感情が高ぶれば、魔力は増すとか言ってなかったか?」
教授に尋ねるじゃぱん。しかし、相手は顔も動かすことなく答える。
「それは危険だとも言ってなかった?」
「にゃふーん!」
ぽわ。
火が少し赤く灯り、そして消える。
「はあはあ……、にゃふーん!」
今度は煙も立たない。教授の口から、痛いため息が、ひとつ。
「姫、宿題ですよ」
「はいー……」
空は明るくなっている。今日は潮時だろう。
ベッドの上。姫は肩を落として、まくらを抱きしめた。むぎゅー。
「むー、うまくいかないー」
「まああせるなよ。まだ始めたばかりなんだから」
ここ毎日、朝から始まる睡眠に姫はアイマスクを使用していたが、今日はつけようとしない。そして、立ち上がった。
「おいどうした?」
「できるまでやるー」
「おい。寝てからにしろよ」
「やるー」
「……お前、意外と頑固だな……」
「にゃふーん!」
いきなり開始する姫。目標の、机上のろうそくは、陽炎のような熱がゆらぐが、火はつかない。
「にゃふ、にゃふ、にゃふーん!」
「活用をきかしてもダメだろ……」
よっぽど相性が悪いのか、単に未熟なのか、ろうそくに火は、なかなかつかない。
「にゃふーん!」
火はつかない。ただ何時間も、声だけが響く。
時はただ朝の変化だけを刻み、カーテン越しにもわかるくらい、陽は高くなっていった。
それでも姫は、何時間も同じ作業を、繰り返す。
しかし少しずつ、『あっ惜しいっ』という時の回数は、確実に増えていった。
やがて、昼休みになったのだろうか。廊下からパタパタと、生徒のざわめきを感じ始めた。じゃぱんは流石に、姫を止めることにした。
「おい。もう休めよ。一休みしたほうが、ふいに出来るようになるかもしれないぞ」
「にゃふーん」
ドタ、ドタ、ドタ、バターン!
突然、扉が豪快に開き(カギかけてなかった)、そこに、一人の少女が入ってきた。
漆黒のおかっぱ髪の少女は、赤い顔をして激昂しているようだ。はあはあと、息をつきながら怒鳴った。
「いい加減になさいませ! 朝から昼までにゃふにゃふと! わたくしの我慢ももう限界。学校長に圧力をかけて、学園から登録抹消させますわよ!」
あまりのことに、固まる姫とじゃぱん。この学校に来て、誰かから声を掛けられることなどあまりなかったため、いろんな意味で驚いた。
「にゃ……、にゃふーん」
「! なにが、にゃ……」
髪が。
燃える匂いがした。
姫の何気ないにゃふーんは、少女の髪に引火した。
「! ヤバい!」
じゃぱんは即座に対応した。魔力で水をかき集めて少女にぶっかける!
顔の近く。こげる匂い。突然の火に混乱する少女。
それを見て、姫も混乱する!
「わあ、あー……」
そして。つい、言ってはならぬひとことを。
「にゃふーん!」
「なに?」
どばっしゃあああああん!
一瞬何があったのかわからなかった。
とにかく現れたのは、でかい水球だ。
姫の魔力とじゃぱんの魔法があいまってしまい、かなり巨大な水の球が少女に激突した……。
バシャアアア! べしゃっ、ドガン!
あわれ少女は、水にふっとばされ、壁に激突した。不幸。
そして水の球は、あっという間に引力に屈し、洪水と化した。
水は廊下にまで漏れ出し、人が集まりはじめる。開いていたドアから、幾人かが覗き込む。
少女は水浸しで、タンコブ作って倒れている。そこに教師らしき人物がかけよった。
「し、しっかりなさい!」
「げふん、げふん!」
「何事ですか!」
「わ、わたくしの鼻に、水が……! げふん!」
わけもわからず、ショックをうけるおかっぱの少女。この様子では、パンツまでずぶぬれだ。
「きゃー! なになにっ!」
「三階! 下まで浸水してますよ! 何事ですか!」
「教授をだれか呼んで!」
おおさわぎ。
姫とじゃぱんは、揃って、すすすすす、と窓際まで進んだ……。
「じゃぱんー、逃げちゃだめかなー……」
「ああ、一緒に逃げたいな……」
「窓から、飛び降りたらどうかなー」
「いや多分、お前は首の骨折れて即死だからやめとけ……」
「……そうです姫。やめときなさい」
!
外。
カーテンと、窓の向こうに、人がいた。
最初に出会った、フードをかぶった教授だ。昼に見ると、けっこう変な感じだ。
教授は窓を開け、よいしょ、と部屋に入ると、なにやら魔法を使った。
霧のような湿気があたりを包んだかと思うと、水はあっという間に消えうせた。部屋は、濡れてもいない。
ただ教授の指先には、ちいさな雲が浮かんでいた。
「サンデルマン教授! 何事ですか!」
「いや、不幸な偶然が重なった事故です。その生徒は、医務室へ運んでください。こちらは任せて」
「……わかりました」
そういうことですね、という顔をして、教師は少女の肩を抱いて、部屋の外へ出た。
「むー、たいへんなことにー」
「やばかったな……」
「びっくりしましたね」
いつの間にか部屋には、三人だけになっていた。
「なあ、あんたどうして窓の外に」
じゃぱんの問いに、教授はサラリと答える。
「学園内の魔法使用は、授業外では生徒の担当教授が責任を持つことになっているのです。使っているようだったので、こっそり、監視を」
「……もしかしてあんた、ずっと朝から、窓の外にはりついてたのか……」
「その通り。できれば練習は予約を入れて欲しいものだが、注意を忘れたので仕方ない」
この教授も、実は変な人だったのかもしれないと疑念を生むじゃぱん。
「ということで、次の授業まで寝なさい姫。私は午後から授業があるし」
「はいー、ねますー……。ごめんなさいー……」
耳がしょげかえる姫。
「にゃふーんには、気をつけるんだよ。寝言で言っても作動するんだから。寝ている間に火事になったら大変だからね」
「はいー……」
頑張ったわりには、怒られどおしの姫。まあこんな日なのだろう。
仕方なく、きちんとカーテンを閉めて、布団に入った。
すぐに午後の授業が始まったようで、しばらくすると部屋は、静かになった。
夜になった。
「にゃふーん」
ほわ、とほんわり火がついた。持っていくろうそくに、試しにかけてみたのだ。
「やったー」
「よかったなあ」
喜ぶ二人。頑張ったかいがあったようだ。
足取り軽くとっとこと図書館へ行くと、昨日と違う教授がいた。メガネをかけた、物腰のやわらかそうな男だ。
「あれー?」
「はじめまして。今日から私が担当になります。火は使えるようになったようですね」
「なんで知ってるんだ?」
「ここに来るときに、できるようになったでしょう?」
ごく自然に微笑む教授。
……。
この学校、怖いな……。そう思うじゃぱん。
「はい、じゃあ今日から水を使えるように勉強しましょうか。いつもじゃぱん君が近くにいるから、これはすぐできるようになると思いますよ」
「あれ? 順当にいくと、風とかじゃないのか?」
じゃぱんが口をはさむ。
「今まで火をやっていたのだから、火と風が混ざると、大火事になるでしょう? だから火の次は、火の反対です」
……そうか。
納得して授業に入る。テーブルの上には、銀の小さめの盥があった。水が半分ほど入っている。
「水に触れて。感じて。そうすれば、水の魔力のありかがわかるはずですよ」
「はいー」
ぱっしゃんと、水に両手をつける姫。
冷たい水は心地よく、そして静かに、ぬるくなっていく。
揺れる炎。誰も何も言わない。静かに、姫が世界の向こうを、水の源を見つけるのを待っているのだ。
やがて。
ろうそくの燃える音が聞こえるほど、静かな空間に、音が響いた。
……ぽちゃん。
ぽちゃん。
それは癒されるような、ひそやかで微かな水音。
何の音かと見れば。
姫は、涙を流していた。
肘をたてて、身を乗り出し。辛そうに眼を閉じて。
涙を流している。
ぽちゃん。
ぽちゃん。
「……どうしたのですか? 姫」
「ううー」
ぽちゃん。ぽちゃん。
なかなか答えない姫。教授とじゃぱんに、不安の色がよぎる。
「だれかよんでるー」
「……誰が?」
静かに、問いかける教授。
「わからないー。くるしいー」
ぽちゃん。
異変を感じた教授はそっと、後ろから姫の腕を掴んで、水から離す。
そのまま、くってりと、姫は背もたれによりかかった。
……そして、寝息をたてはじめる。
くーくー言い出した姫を、教授は呆然と見下ろす。
「……どういうことでしょうか」
教授のつぶやきに、じゃぱんが返す。苦しげな表情で。
じゃぱんには、心当たりがあったのだ。
「……わけがあるんだ」
「わけ?」
「ああ。詳しくは言えないが……。こいつはもう、水の魔法は使えると思う。ただ、水の『世界』に関わらせることは、少し危ないんだ」
教授は、指で少し姫の涙をぬぐってから、頷いた。
「……わかりました。姫が気がついたら、一度水の魔法を使わせて、今日は終わりにすることにしましょう。他の教授には、水の魔法のことは私から伝えておきます」
「ああ」
姫は眠りながら、妙な汗をかいているようだ。うなされるようなら、無理やり起こさなくてはならない。
姫の体を、熱っぽい汗が、流れた。
ちがうー。
ちがうー。
かえらない、かえらないから、もうやめてー。
その頃。
暗闇を、黒い獣が飛んでいた。
誰も見たことのない生き物。作り出された体。
使役妖精だ。
その影はミスリンの城の窓に飛び込み、くるる、と声を上げて主人を探した。
プラータは、傍にやってきた黒い梟を肩に乗せ、その伝言を聞いた。
「珍しいね。あの子に異変があっただなんて……。へえ。面白いなあ、面白い。まさかねえ」
たいして期待もせずに聞き始めた話に、プラータはにこにこと機嫌が良くなる。聞き終わると、広間のカーテンに向かって、声をかけた。
「カーさん。いるんだろう。出ておいで」
同じく漆黒の、細く長い髪が流れた。
虚ろな眼をしたカサンドラは、それでも幸せそうな笑みを浮かべて、静かにプラータに近づいた。
ただ、傍にいるだけでも幸せ、とでも言うように。
「ねえカーさん。ちょっと君に、迎えに行ってほしい子がいるんだ。久しぶりに、様子を見たいと思ってね」
その言葉に、カサンドラは顔を曇らせる。すがるような表情。一秒たりとも、あなたと離れていたくなんかないのに。そんな顔。
「ごめんねカーさん。でも、是非君に行ってもらいたいんだ。僕はここでずっと、君を待ってるからね」
カサンドラはそのまま、プラータの言葉が翻るのを待ったが、変わらないことを知って、やがて小さく頷いた。辛そうに。
「ありがとう。ある魔法学校にいる、ネコミミの生えた女の子を連れてきてほしいんだ。この梟が場所を知っているから」
ばさ、と黒い梟はプラータから、カサンドラの肩に移った。そして耳元に、何事かを囁く。
一礼して、一人と一匹は部屋を出て行ってしまった。夜だというのに、これから出かけていくのだろう。
プラータは、一息ついて肩を動かす。
「姫はたいした器だねえ。ひどく人に思われるってのは……重いからねえ」
ここ最近、ストーカーのごとくカサンドラにつきまとわれていた彼は、久しぶりに心から安眠すべく、自らのベッドに向かった。
「さて……、姫が戻ってきたら、何を食べさせてあげようかな」
うきうきとプラータは、そんなことを思いながら眠りに落ちていったのだった。