ねこみみプリンセス 13 おうさまはー、ごろごろー
かなしい。
つらい。
くるしい。
単語にするならば、じゃぱんの心は、そんなものに押しつぶされそうになっていた。そうさせるのは、布からほんの少しずつ染み出していく、ねこみみ姫の赤い血だ。
「とうって、どこにあるのー」
しかし、本人はあまり気にするふうもなく、マーガライトにもたれかかったまま、目線をあたりに走らせる。
「ほら、あのへん、見えますか?」
マーガライトが、顔を向けるだけで方向を示す。腕は軽く姫を抱きかかえたままだ。
「むー、あ、あったー」
それは、塔というより、上のほうがやや細くなった柱のようだった。上方はすっぱりと、水平に切れているように見える。その上は雲のようなもので覆われ、上が見えないのだ。
きゅううう、とペンギンは柱の元に急降下する。なんの装飾もない、ただの柱のようだった。言われなければ、塔とは思えないだろう。
近づくと、塔はそれなりに大きかった。ただ入り口はどこにも見当たらない。一行はペンギンから降りて、何も無い塔の前に立った。
「じゃあ、説明をしますよ」
「はいー」
「ああ」
ちりん。
マーガライトが手のひらを開くと、あるのは小さな白銀色の鈴だった。
「かわいいー」
「これが鍵です。これを使って今から入りますが、中では大きな音をたてたり、怒鳴ったりしてはいけません」
ちょっと髪を揺らして、姫が考え込む。
「わらってもだめー?」
「だめです。塔はタイコの中みたいなもので、ちょっとしたことが大きく響いてしまうんですよ」
魔術師が鈴に通された細いリボンを持つと、鈴はちりり、とはかない音をたてる。
「さあ、手をつなぎましょう、姫、じゃぱんも」
「む」
姫は一瞬、顔をゆがめた。動いた拍子に痛みが走ったようだ。それを見たマーガライトは、軽く眉を動かす。じゃぱんが知る限り、マーガライトのそんな顔を見るのは初めてだった。
「……姫。がんばりましたね」
「むー、ひめはなにもー」
ぎゅ。
じゃぱんの小さな手をそっと掴む、姫とマーガライトの手は、ちょっと冷たく感じた。
ちりりーん。
りりーん。
りりーん……。
あれ? そういえば、手をつないだままで、鈴は鳴らせるのか?
そう思って妖精が目を開けると、手を繋いだ三人の中央に、鈴は浮かび、不思議な波動を鳴らし始めていた。
りりーん、りりーん……。
しゅん。
目の前の二人がかき消えた。
自分も消えたのだろう。
次の刹那、三人は塔の中にいた。
筒状の建物の中、上には果てなく続く螺旋階段。それは半透明の板がただ浮かんでいるだけのような、美しく頼りないものだった。
「まーがり……」
話しかけようとした姫を、しぃ、とマーガライトは唇に指をあてて制した。
まーがり……、がり……。と、反響が上へと登っていく。
マーガライトはそっと態度だけで、階段を登るように促した。先頭はマーガライト、次に姫、最後にじゃぱんがふわふわ浮かんで登っていく。
ちょっと音をたてるたびに、カラン、わん、わーん……。と反響が空間を揺らす。
ふと下を見ると、はてしなく広がる階段と空間。落下の恐怖と、妙な緊張感に、姫は顔を少しひきつらせていた。
じゃぱんは、後ろから、今までとは違う姫の後姿に、切なさを滲ませながら見ていた。ぴこぴこ揺れるねこみみは、もうない。あるのは傷跡だけ。
階段は、延々と続いていた。
静寂は、いつまで続くのだろう。頭の芯がだんだんとだるくなっていく。上の階段はまだはてしなく続き、先が見えない。じゃぱんは、自分が持っているこの塔に関する知識を、思い出そうとしていた。
誰にも辿り着けない塔。どこにも辿り着けない塔、ともいう。
塔の上には雲が広がっているが、雲の中に潜ってみても塔の先は無い。この塔の先は、第十一層に繋がっているという。
キャッスルゲート以外にも層を行き来できる場所はあるが、多くは空間の歪みにより発生した場所であり、このような『塔』という人工的なものは、じゃぱんが知る限りここだけだ。ミスリンの地下は歪みを集めた通路であり、最初から人工的だったわけではない。
何のために、誰が作ったのかは知らない。妖精王なら知っているかもしれないが、普通の妖精は、いくら古い存在であっても基本的には知らないはずだった。
ただ、伝承として語り継がれる中に、この塔はある。
しかし十三層の伝承の中にこの塔の存在があることを知ったときは、驚いたものだった。
がくり。
はっとして、じゃぱんはねこみみ姫を見る。
ずいぶんと足取りは重くなっていたが、姫はとうとう膝を折ってしまった。
マーガライトは階段に座るように促し、姫のてのひらに何かを書いた。
や す み ま し ょ う
す こ し
魔術師の目を見て、こく、と頷くと、姫は階段にもたれかかった。
少しだけ息の荒くなった姫と、まだ穏やかなマーガライトの呼吸。
じゃぱんは思う。ここは本当に、静かだ。
どこかで、機械的な音が遠く聞こえるような気がするが、それは規則正しい呼吸のように、むしろ眠気をさそうようなものだった。あとは、わずかな反響。
この塔は、何のためにあるのだろう。
そして十三層にある、姫の王国の始祖、アレキサンダーがいるという伝承。
ずっと十二層にある塔の存在を、どうして十三層の人間たちが知っているのか。十二層では、十三層のものは生きていけないというのに。
くー。
ふと見ると、ネコミミ姫は、目を閉じていた。
いいのか、と妖精がマーガライトを見ると、いいのです、というように頷いた。そしてマーガライトは、手のひらを突き出してそこに字を書く。
いつたどりつけるか わかりませんから ここにくるのは はじめてですから
ぞく。
変な寒気がじゃぱんの身体をなぞった。なんとなく勝手にマーガライトを信用していたが、いや信用できないのだが、ああ。
頭上を見ても、全く先は見えない。上方はほの明るく、ただ階段が続くだけである。ここで朽ち果ててしまっても全然全くおかしくない気がする……。
うい。
!
びくっ、と姫が目を開ける。
階段が動き出したのだ。
ういいいいー!
じゃぱんは目を泳がせつつ、あわてて階段にしがみつく。階段につかまっていないと、空中に取り残されてしまう。
階段はかなりの高速で動き始め、あわてて階段にしがみつくネコミミ姫の顔にも、タテ線が入っていた。
どんどん上方へ運ばれていくにつれ、やがて光が眩しくなり、何もみえなくなってしばらく、ようやく軽い衝撃とともに、階段は止まった。
がしょん。
「……もう、騒いでもだいじょうぶだよ。あれを登ってくるなんて、無茶をする」
じゃぱんは仰天した。
ネコが喋っていた。その姿は、確かにじゃぱんも見たことがある。歴代王の肖像画の、いちばん端の絵。
「はじめまして、我が子孫よ」
「みたことあるー。おしろに絵があるー」
驚き、ちょっとはしゃいだ声を上げる姫。
「よく来たね」
ネコは親切そうに笑った。少し背をかがめて、マーガライトも声をかける。
「お久しぶりです、アレキサンダー」
「やあ、本当に久しぶりだ。マーガライト」
「顔見知りかい!」
ぱしっとツッコミを入れるじゃぱん。アレキサンダーは、もう果てしなく昔の存在のはずだ。この二人、いつどこでどうやって出会うというんだ。
そんなじゃぱんとは対照的に、姫は初代王をうずうずしながら見ている。
「あのー、なでてもいいですかー?」
「姫、失礼ですよ?」
「……まあ、ちょっとだけなら」
その返事に、うふふー、と笑って、姫はネコを遠慮しがちに撫でる。ごろごろごろ。
じゃぱんは、その様子にため息をつくと、頭上を見上げた。
そこは半球状のドームとなっており、空中には何故か、大量の小さなキューブが不規則に、そして大量に形を成して浮かんでいた。
「はい、もう終わり」
ひとしきり撫でられると、何もなかったように身支度を整えるネコ。その落ち着いた態度は、さすが王様か?
「そういえばマーガライト、どうして普通に、昔あげた鍵を使わなかったんだ? あれは妖精王のだろう?」
「あれは、あまりに昔の代物すぎて、あるとき掴んだら粉になりました」
「またテキトーに保管していたんだろう」
「いいえ、階段だんすの一番上の引き出しに、そのまま入れていましたよ?」
「箱に入れておかないとダメだろう。というか、そうなる前に一度くらい遊びに来たらよかったのに」
和やかに進む、ネコと魔術師の会話に、違和感を感じるじゃぱん。
……。
まて。
「……もしかして……」
「あー、じゃぱん、ツッコミしなくても分かってますから」
「いや言わせろ! お前がちゃんとしてれば、あんな苦労せずに、しかもこいつのネコミミとられなくても良かったんじゃないか!?」
「やだなあ、……誰にも先のことなんてわからないんですから」
「がうあー!」
「まあまあ」
火を吐きそうなじゃぱんをなだめつつ、ネコ王はネコミミ姫に近づいた。
「我が子孫よ。私の、詳しいことは知ってるかい?」
「えーと、おうさまはー、国をまもるために、ネコになったのー」
「それだけ?」
マーガライトは、フォローを入れる。
「そんなものでしょう。恐ろしく時は経ってしまったのですから」
「そうか、じゃあ、おはなししようか」
「はいー、よろしくおねがいしますー」
かたん。
かたん。
頭上の小さな立方体が、ときたま動く音がする。
「……むかし、私がまだ人間だったころの話だよ。何万年経っているのかは、もうわからない」
かたん。
「昔は異層が混沌と、時には渦をなし、時には嵐のように、お互いを蝕みあっていた。そして十三層、十二層、十一層の者たちは話し合い、この混沌を統合し、整理できないかと思ったんだ。その頃は、この三つは、比較的垣根はなかった。明確な肉体という概念もあいまいでね。だから、今でも力の強いものなどは、十二層の者でも十三層の肉体を持つことができる」
それは、姫の母親や、じゃぱん等使役妖精も含まれるだろう。
はいー、と姫は答える。
「我々は、まあ細かくは省くが、それに成功した。今でもミスリンの王宮の地下には整然と、それぞれの異層につながる扉があるはずだ。ただ、それを封じるのは恒久的な力が要る。私は、自らの肉体を『代償』とし、そしてエレメンタルによって管理するため、この塔に永久に存在することになったんだ」
かたん、かたん。
いつ切り出そうかと思っていたのだろうか。髪を指でくるくる回しながら、マーガライトは困ったように言った。
「えー、アレキサンダー。そのことなんですが、我々は昔話をしに来たのではありません。あなたの子孫を使って、その封印に圧力をかけ破壊し、異層の扉を開放しようとする者がいるのです」
……。
かたーん。乾いた音が響く。
「なっにー! あれ作るのに、どれだけ苦労したと思ってるんだー!」
マーガライトの簡潔な説明に、怒り狂うネコ一匹。ぷんすか怒るネコは、申し訳ないが微笑ましい光景にしか見えない。
「まあまあ。過去など忘れて、これからのことを話しましょう」
「……お前、さりげにさっきのことを誤魔化そうとしてないか?」
「じゃぱん、種をまかなければ畑はできないんですよ?」
「煙に巻いて、ますます誤魔化そうとするなー!」
それを見て、じゃぱんとマーガライトの漫才を聞いている場合ではないと思い、ネコ王は少し冷静になって、姿勢を正した。
「何か策はあるのか? マーガライト」
「まあ説明させていただくと、ある者たちによって、あなたの子孫が二人、封印の鍵として拘束され、封印に圧力を掛け続けています。このまま放置し、封印が破綻すると、発生するエレメンタルの反発力によって、二人の王は粉々になって吹き飛びます。悪くすると層内のパワーバランスが崩れ、十三層もぐちゃぐちゃになって消滅します」
「えええー!」
突然知る真実に、ねこみみ姫はわたわたする。
「術をかけている者をぶち殺せばいいのでは?」
「二人の結晶化はかなり進んでおり、今かかっている仮死の魔法が途切れた時点で即死します」
「わあああー」
知っていた真実でも改めて聞かされると、わたわたするねこみみ姫。
「ふう。どうするんだ?」
マーガライトは、また髪をくるくるして、言った。
「まずは、封印の力を、引き上げてください」
「分かっているのか? 封印が解除されれば、異層との扉が開くぞ。下手をすれば入ってきた異界の者に、十三層は全滅させられるかもしれない」
「なーに、事が終わったら、また塞げばいいんです」
「そんなあっさり……」
「まずはそうしないと、二人の肉体をひきはがせないから、治療のしようが無いんですよ」
なんかゴチャゴチャいい出した魔術師とネコに飽きてしまい、姫は上でかちゃかちゃ言っているキューブを眺めだした。
「じゃぱんー、あれなんだろー」
「ああ、伝承をつなぎあわせて考えるとだな、……まゆつばだが、あれで世界のバランスを取っているんだな」
「ばらんすー?」
「そうだ。あれで、十一、十二、十三層のひずみを調整しているらしい。混沌を整理するときに、どうしてもひずみが生まれたんだろうな。それでこの塔を作り、あのアレキサンダーが永遠に管理することで、バランスを保っているわけだ」
どのような仕組みかは全くわからないが、この推察は、真実からはそう遠くないだろうとじゃぱんは思った。あの螺旋階段で大声を出したりしてはいけないのは、それが層のバランスに微妙に影響してくるからだ。
まさしく王様は代償にネコとなり、国どころか三つの層を守り続けていたのだ。
「話はつきましたよ。さあ、帰りましょう」
「もういいのー?」
「ああ、手はずは分かったからね。機会があったらまた会おう、わが子孫よ」
「そういえばー、ねこみみないのにー、どうしてわかったのー?」
そういえば、アレキサンダーは、初対面から姫が子孫だと分かっていた。
「? そうだな、なんとなく」
「なんとなくー?」
「あ、蒼いからかな」
「なるほろー」
ネコとねこみみ姫の、今は失われしネコミミは、同じ青。髪も蒼色は珍しい色だ。アレキサンダーの血と運命は、子孫にねこみみと蒼さを残して続いているのだ。
「じゃあ、さよならー」
ぺっこり礼をするネコミミなし姫。
「あ、待てマーガライト。新しい鍵持っていけ。今度はちゃんと箱に入れろよ」
「……覚えていれば」
「いや覚えてろ!」
ネコと妖精のダブルツッコミを受け、しぶしぶ懐にしまうマーガライト。
「じゃあ十三層のゲートまで転送するから、手をつないで」
「はいー」
親切な伝説の王様である。
ぽちぽち、とネコが何かの機械を操作すると、三人にはさっきと同じ、自分が消えるような感触がした。
目を開けると、そこは蒼い空の広がる城の前。
「カレニーナ!」
聞き覚えのある声に、姫はふりむいた。ジョスリン姫が涙をためて、こちらに走ってくる。
「もう、帰ってこないかと思いましたわ! 二十日も帰ってこないんですもの!」
抱きつきはしないものの、拳を握って、怒ったように叫ぶジョスリン。
「ごめんー」
とりあえず、謝っておく姫。これでこの二人は、バランスがとれているのだろう。
マーガライトが、あたりの様子を見て、ジョスリンにたずねる。
「あれからゲートに、動きはありませんか?」
「ええ、あれっきり……、あれほど強かった風もやんでしまって、危機は完全に去ったように思います」
と言ったとたん。
ウオオオ……、と扉がないた。びくっ! と身を震わせるジョスリン。
完全に油断していた兵士達は、急いで急変を王に知らせにいき、隊列を整えるべく、集まりだした!
騒然となる、場内。
かた、かた、かたかた!
扉は、震えたと思うと、突然開いた。
そして何かが飛び出した!
……巨大なペンギンだ。
それは、ひゅるるるる、と飛んできたと思うと、マーガライトの元に降りた。しゅたっ!
「あ、……忘れてましたね」
「わすれたらあかんでー」
アッサリぱたん、と閉まる扉。妖精王が送り返してくれたのだろうか。
あっさりと開いて閉まった扉を、兵士たちは呆然と見上げていた。ぽかーん。
「……魔術師よ。礼を言わせていただく。貴女のおかげで、この国の苦難は去った」
相変わらず、厚いプレートメイルと、立派なローブ。そして冠に身を包んだ王が現れた。圧倒する威厳は、さすがである。
しかし、マーガライトはあっさり返す。
「借りですね?」
「ああ、借りだな」
「たっぷり返していただきます」
「……」
少女の高い声が、響き渡った。きゃー。
「カレニーナ、どうしたの、ねこみみ!」
「えーと、えーと……。落としちゃってー」
「んなわけないでしょうっ!」
きゃあきゃあ言い合う二人の少女。それに気を緩めて、マーガライトは王に言う。
「……とりあえず、この国でいちばんいいお布団で寝かせてください。あの日当たりのいい部屋で。もーねむくてねむくて」
「わかった手配しよう。目覚めた後が、こわいがな」
「ジョーちゃんのおへやで、いっしょにねるー」
「もうっ、私は眠くありませんわっ!」
それを耳にはさんだ王は、低い声で言った。
「ジョスリン、望みを聞いてやれ。救国の英雄だ」
むぐ、とおかっぱ姫は黙り、一同は城へ戻った。
「わー、ふとんー」
「ああ、いまシーツを変えますからっ!」
結局ジョスリンは、昼から眠くも無いのに一緒にネグリジェを着て、カーテンを閉めて、姫と布団に入ったのだった。
ねこみみ姫は、すぐに深い寝息を立て始めた。
「くあー、くあー」
ジョスリン姫は、それを見守り、血が薄く染みていく枕を見つめて、
ぽたり、
と涙を落とした。
「むー、ねこねこ……」
当の本人は、夢を見ながら、にまっと突然笑ったりしていたのだが。
そういえばー。
どうしてどこにも、だれにもたどりつけないのー?
ネコは微笑む。どこか哀しげに。
自分の心を置いて、どこにも行けないだろう?
自分の心の奥には、だれも、自分さえもたどりつけないだろう?
それでもいつの間にか、ひっそりと誰かがやってきて。
かき乱し、時には滅びてしまうんだよ。
それがわかっていたから、マーガライトは今まで、一度も来なかった。
現に今、私は、とても寂しい気持ちでいるんだ。君たちがいなくなってしまってからね。
むー?
いいんだ。
蒼い髪のねこみみ姫。君の幸せを祈っているよ。