ねこみみプリンセス 16 ひめねーおよめさんになるのー
死ぬことは、永遠に会えないことじゃないの。
カレニーナ。
わたしはずっと、あなたのそばにいることができる。これまで以上に。
「おかーさまー」
いままでずっと、さみしくさせてごめんね、カレニーナ。
おかあさまも。
あなたに会えなくて。
ずっとずっと、さみしかったの。
でももうすぐ、さみしくなくなる。あなたも、わたしも。
だからどうか、許して。
お願い。
「王、王」
侍女の声で、弟王は現実にひきもどされた。
「席次について相談したいのですが、いかがなさいましょうか」
「ああ……」
ここのところ、この国は忙しい。カレニーナの結婚式が迫っているからだ。
兄上は料理と引き出物のことであちこち駆け回っているし、こっちはこっちで問い合わせだなんだとゴチャゴチャしていて、人の話を理解するだけでも一苦労なのだ。
(こんなとき、プラータがいてくれたらな)
そう、兄も思ったのがわかった。双子だから。
こう言ってはなんだが、カサンドラがいてくれたら、と思ったことはなかった。
けれど、カサンドラだけでもいてくれたら、こんなことには決してならなかっただろう。
あれから三年。
二人は、帰ってこなかった。
マーガライトは、何もなかったように山へ帰った。
封印も完了し、危機は去ったが、あとには破壊された国と借金だけが残った。ファランティーヌ国から出兵した費用も、何割かこちらで負担することになった。
出現した魔物の死骸で海が多少汚れた上、海産物を製品化する設備も壊れたりで、すぐには国の経済を立て直すことはできなかった。
結局はファランティーヌからの借金を重ねることとなったが、それでも王達は、ゆっくりと返していくつもりだった。
やがて、ファランティーヌの出資で船を作らないか、という話になった。商船も、軍船も。
それも断ると、縁談が来た。
しかも相手はジョルディス王子ではなく、国王本人だった。
断ろうと思ったら、たまたまそこにいたカレニーナは、『いく』と言ったのだ。
悪いことに、それを使者が聞いてしまった。
本人は同意した、ということになり、どんどん縁談が進む羽目になった。
……しばらく、カレニーナと会っていない。忙しいうえに、避けられている気がする。
不安がうずまく。何かしなくてはならないと思う。しかしどんな言葉も、どうしても届かないのだ。
いったいどうなってしまうのだろう。
あの子はもう、花も育てなくなってしまった。
「おい、ここにいたのか」
「……じゃぱん」
姫は空の上にいた。
ぷかぷかとした雲の上に。
城も国も海も山も、一目で見下ろすことができる場所。
「仮縫い終わったら消えてしまったって、侍女が困ってたぞ」
「……うん」
力なく相槌をうつ姫。
雲はすぐ傍を流れている。海は輝く。
ここから見る世界はゆっくりと動いて、ゆっくりと流れているように思える。
「ジョスリンのことだけどな」
「……うん」
「やっぱり、見つからないそうだ。あれから」
「……そう」
ジョスリン姫は、あの騒ぎのさなかに、いなくなってしまったのだ。二年たっても、その行方はわからない。
「……なあ、ネコミミ。気持ちは変わらないのか?」
「うん」
「……そうか」
流れる風。
じゃぱんには、言わなければならないことがあった。
下を見下ろしたままの姫の後姿をみながら、できるだけ静かに、言った。
「俺は、……第十二層に帰ることにした」
さすがに姫は、身を起こした。
「じゃぱん?」
「俺まで行く必要、ないだろう? ファランティーヌまで」
驚いて見開いた瞳は、ゆっくりと哀しみにかわり、そして涙がこぼれおちた。
じゃぱんは思う。
どうしてこいつは、こんなに涙もろくなってしまったんだろう。もっと、驚くほど強い姫だった。滅多に泣かないやつだったのに。
「いやだ……、いや、ひとりにしないで、ひとりにしないで、じゃぱん……」
懇願は覚悟していた。だから、じゃぱんの心はゆるがない。
「なあネコミミ。正直言うと、俺は耐えられそうにないんだ。お前がファランティーヌに行ってしまうことに。それを……、見たくない。どうしても。だから俺は肉体を捨てて、十二層に戻ることにしたんだ」
ぽたぽたと雲に吸い込まれていく涙。
いつか。
雨になればいい。
全てが。
じゃぱんは、何度繰り返したかわからない言葉を、また言った。最後かもしれないから。思いをこめて。
「……なあ、どうしても、気持ちは変わらないのか?」
……いつも、姫の返事は、曖昧な笑顔を返すだけだった。
しかし今日は違った。姫はうなだれて言った。
「……だって、この国が、つぶれちゃう」
そっと、じゃぱんは、よりそうように姫の膝に降りる。
この雲の上で、やっと本音を聞くことができるかもしれない。ずっといえなかった言葉を、この雲の上なら。
「……だがそこまで思いつめなくても、いざとなれば、借金なら他からだってできるだろう?」
しかし姫は涙を振り払うように、首を横に振った。
「だめ、他の国から借りたりしたら、利権を求めた国たちが、ミスリンを食い合っちゃう。そうでなくても、いくつかの国の間に挟まれて、兄上たちが困ったことになる。そして国民もこれ以上困ってしまうから。それにドルジュ国王は、隙を見せたら策をかけて、そうした争いを最初から狙ってくるかもしれない」
じゃぱんは驚いた。
小さな、国力の低いミスリン。
ちょっとした口実を与えれば、簡単に他の国に乗っ取られてしまうだろう。
今までは、誰にも気に止められていなかっただけ。しかし今は、ファランティーヌが狙っていると皆が気付きだしている。
「……行けばそれでいいの。行けば少しの間は、止めることもできるかもしれない」
「だがどうして、そこまで」
「あの封印の門を、誰かに奪われたら大変なことになってしまう……。この国は封印の殻。王家の者はなんとしても守らなければならない」
「……お前」
姫は変わった。
姫はカレニーナではなく、『姫』となった。
二年前大事なものを失ったカレニーナは自身は辛さのあまりどこかへ消えうせて、『姫』というものだけが残ったかのように。
だが。
お前の気持ちはどうなるんだ。
お前はどこへいったんだ。
お前は誰なんだ。
明るさが失われ、沈み込み、気がつくとすぐどこかへ行ってしまう。
廊下も走らなくなった。『ろうかははしらない』の張り紙は、城の者が昔の姫をなつかしむように、そのまま貼がされずにある。
急速に大人びて、いつも遠くをみつめている。
俺はもう耐えられない。
耐えられないんだ。
「……ごめんな、ネコミミ」
俺はまだ、この呼び方で呼ぶ。もうネコミミは、どこにもないというのに。
「……」
もうネコミミは泣いてはいなかった。
覚悟は、もうずっと前にできていたのだろう。
ネコミミも、昔の姫も。
もう元にはもどらないのだ。
結婚式は盛大なものとなりそうだった。
魔物に壊された場所は、現在ではそのまま広場となっている。そこには式のために新しく建てられた教会があり、そこからまっすぐ道が広がっている。そこで披露パレードが行われるのだ。
沿道の両側には惜しげなく蒼い色の花が植えられており、そこで国民が祝福を送る予定だ。
今はまだ、道は封鎖されておらず、様々な人々が菓子などを食べながら、結婚式について語っていた。
そこへ、ドラジェをポリポリ食べながら、ペンギンと歩く女がいた。
言わなくてもわかるが、マーガライトだ。コーヒー屋と世間話をしたりなんかしている。
「ふーん、金かかってますねー」
「全部向こうもちらしいよ。向こうも体裁だけでも整えたいんだろうさ。うちの姫は身請けみたいなもんだからね。可哀相に。こんなんじゃ、前に国が誰かにのっとられたままのほうが、まだよかったかしれないね」
「そうですねえ。好きでもない中年と結婚するのは生き地獄にひとしいですからねえ」
気楽な花が咲く井戸端。
そこにペンギンが声をかけた。
「おい、後ろにまたストーカーおるでー」
「まったく……。ジェート! ちょっと来なさい」
振り向きもせずに声をかけると、黒マントの男が全身でびびった後、近づいてきた。平和なコーヒーテラスに怪しい人影。
突如形成された、ペンギンと黒マントとお菓子を食べ続ける女のトリオを、一般の人々は避けていった。
「ま、マーガライト。元気かな?」
その言葉に、わざとそっぽを向く魔術師。緑の髪がゆれる。
「見ればわかるでしょう。何度も言うの飽きましたが、私を見るのは禁止です。2キロ以上近寄るのも禁止」
「それは知っているが! ……許してくれ、古い付き合いじゃないか!」
「古すぎてカビが生えました」
ばっさり切って捨てるマーガライト。こんなとき、もててるほうが有利です。
哀しみに傷つくジェオートに、くるりと緑の魔術師は振り向いた。
「……まあいいです。ちょっと城に忍び込むのを手伝ってください。私は、あなたがプラータに手を貸して封印にちょっかいかけたことも許してないんですから」
「うっ……」
「ホラ早く」
のこのことマーガライトについていくジェオート。
ジェオートは、マーガライトのことが好きだった。というか、ひどく興味があるというのに近い。
優秀な魔術師は例外なく、不死に手を染めるが、永遠の命を手に入れたものは大概、あまりいい生き方も死に方もできない。
孤独に染まり。
研究に飽き。
生きていることに飽きる。
権力に手を染めた者は、もっと飽きる。
何もかもに飽きると、自ら命を終わらせる。そうでなくとも、狂い、破綻する者。禁忌の術に手を出し、異形になったり、生きながら燃え続ける者もいる。
そこまで行かなくても、ジェオートも例にもれなく、退屈だった。ものすごく退屈より数億倍退屈だ。たまに悪いことをして暇つぶししたりして、魔術師の悪いイメージを深めることに一役かっていたりする。
そんなときプラータが尋ねてきた。ぶっちゃけ、古すぎる自分の存在を知っているだけでもビックリだったのだ。嬉しくてついお願いを聞いちゃったのだった。
「あ、あれなんだろ。買って来てくださいジェート」
「は、はい」
とことこと、使い走りに走りだすジェオート。彼は小銭を握り締めながら思う。
マーガライトは、長いこと生きているわりには、健全だ。
普通の人と人間関係まで築いているのは大変珍しい。一人暮らしが長すぎて、口もきけなくなった者も珍しくないのだ。
永遠に生きている者には、その者にしかわからない恐ろしい孤独がある。マーガライトにもあるはずだが、それに蝕まれてはいないように見えるのだ。
それが、どうしてなのか、知りたい。
その渇きは、今の乾ききったジェオートにとって、唯一の感情だった。
謎のお菓子を買って振り返ると、マーガライトはペンギンと話しており、何がおかしかったのか、ちょっと笑った。それがジェオートには、とても魅力的に見えた。
まあいい。
長く想いすぎて、感情をなくしすぎて、なんだかどうでもよくなってしまった。
どんな形であれ、いつまでもあの人が幸せであればいいと思う。
もうすぐ式がはじまる。
姫は、特別なシルクが使われているという、艶やかで上品なウェディングドレスに身を包んでいた。
髪には小さく、しかし高価なティアラが飾られている。
姫が、髪に花を飾るのは嫌だといったから。
「準備はできたか?」
じゃぱんは姫に声をかける。式が終われば、声もかけずに出て行く、とすでに言ってある。
「うん……、じゃぱん」
「なんだ?」
「遠い何処かにいってしまうのは、死んでしまうよりずっとさみしいね」
ティアラが落ちないように、頭を動かさないまま姫は言った。
「……どうして、そんなことをいうんだ?」
じゃぱんの苦しげな問いに、姫は、とてもゆっくりと、呟くようにこたえる。
「死んでしまったら、それからは、ずっと傍にいてくれている気がするの。生きていて遠くにいるのは、さみしい。どうしても会うことができないから……」
じゃぱんは、この期に及んで思った。この姫は寂しいのだ。
母親を失い、父親を失い、兄達は多忙だった。だからこそ、いつもいるカサンドラと、たまに来るプラータの存在は、大きかった。
曇ったじゃぱんの顔に気付き、明るさをとりもどして笑う姫。
「だいじょうぶ。さみしくても、我慢するから」
明るくされると、不思議に、かえって涙が零れそうになる。
「それは……、王たちが、言ったからか?」
「? どうだったかな……」
言ったのかもしれない。いや、言ったような気がする。さみしくても、我慢しなくてはならないよ。カレニーナ。
何か。
何かいってやりたい。この姫に。
俺は今まで、こいつに、言ってやれることなんて何もなかった。こんなとき、何かいいたいのに。最後なのに。
「……だがな、ネコミミ。死んでしまったら……」
コツコツ。
「姫、控え室へお移りください」
呼ぶ声に、姫はすっ、と立ち上がった。二人を、白いベールがさえぎる。
けれど見詰め合った。これが、一緒にいられる最後の別れ。
姫の瞳が一瞬ゆらいだように見えたあと、じゃぱんに聞こえてきたもの。
「じゃぱん、ひめのこと、わすれないでね……」
それはかなしい、別れの言葉だった。
式というのは、機械的だ。
見知らぬ、係に連れられてドアの前に行くと、そこにはいきなりドルジュ国王がいた。
「準備ができるまで、少しお待ちください」
そういわれて、しばし、ふたりきりになってしまう。
しかし、何故かそれがあたりまえのことのように、二人とも沈黙に身をまかせていた。
何も聞こえない。心臓の音も。何も。
しかしふと、遠いどこかで、コトリ、と音がした気がした。
それがきっかけだったのだろうか。
国王は姫に話しかけた。
「……姫。私は、あなたを気に入っている」
低い、静かな声だった。
姫は、聞こえていたが、反応はしなかった。聞くことだけを、望まれている気がしたから。
「あなたは賢い姫だ。自分というものを知っている。何ができるのか。何ができないのか。それを知って行動するのが、『わきまえる』ということだ。それができるのは、残念ながら僅かしかいないのだよ。カレニーナ姫」
姫は無言を返す。
本当は、何かしなくてはと思った。少しは笑えればいいと思っていた。けれど、笑えば涙が溢れてしまいそうだった。
「お待たせいたしました、扉が開いたら、祭壇の前に進んでください」
早口な声のあと、扉の向こうから、音楽が聞こえてきた。
入場を迎えるメロディ。
扉が、静かに開く。
(じゃぱんは……)
姫は、妖精の最後の言葉を、ふと思い出していた。
(じゃぱんは、なんて言おうとしてたのかな……)
『……だがな、ネコミミ。死んでしまったら……』
国王が手を差し出したので、姫はためらいなく、手をのせた。
音楽と拍手の中、ゆっくりと進み、祭壇の前に、二人で並んで立つ。
音楽が、終わった。
誰もが何も言わずに、式の始まりを待っていた。ただ静かに。
やがて司会の人が壇上に登り、セリフをいうために息を吸う音が聞こえた。
すうー。
「……では……」
「あー、その結婚、ちょっとまったー」
「まてやー」
客席から唐突に、やる気の無い、のんきな声が響いた。
一気にぶちこわされる空気。しかもその声に、姫は振り向き、驚いて声を上げてしまった。
「マーガりん!」
「いえいえ私は、パーティーに呼ばれなかった、悪い魔法使いですよ~」
ぽりん。歯の奥で砕けるドラジェ。
実際は、兄上たちが招待状を出したのだが。
とにかく、お菓子の袋を椅子に置く魔術師。
ぱたぱた。
スカートのお菓子くずを払いのけてから、マーガライトは祭壇に進んだ。
「王。借りはたっぷり返してもらう、といいましたね。まだ返してもらっていなかったので、利息をつけて意趣返しです。この結婚式ぶちこわします」
……あっさり断頭台の斧を振り下ろすように言う魔術師。息を飲む招待客。
「……この国を救うことで、払ったはずだが?」
「あれは姫の分。私はなんにも貰ってません。城の宿代は引いときました。では意趣返し開始」
パッキャーン!
窓ガラスが、外へ向かって粉々に砕けた。
そしてゆっくりと天井から舞い降りてきたのは。
黒い羽。
……来場者全員の顔に、タテ線が入った。
バササ……。
二階の窓から逆光で現れた髪の長い女のシルエットは、一歳以上なら誰でも知ってる恐怖の代名詞。
皆は、カ……、カカカカカ! と、変な声を上げるのが精一杯だった。
「許さん……、お前の親父はお前に似て、本当にスケベでバカだな……」
「否定はできないけどね~」
横から顔を出したのは、プラータだった。
「プラータ、貴様……。くそっ、であ……」
兵士を呼ぼうとした国王の声は、それっきり漏れることはなかった。ギイイイン! と魔法音が響いた。
王の足元に紫色の魔方陣が光る。捕縛結界だ。
「貴方も相当好きになさっているようです。私も好きにさせていただきます……、父上」
そこに現れたのは、美しい少女。
肩まで伸びた黒髪。着物を着て、扇子でやや口元を隠した女。それはジョスリン姫だった。
国王は見る間に魔法の紐によって拘束され、ダン! と床に叩きつけられる。
それを軽蔑するように見下げる瞳。
姫は呆然と、三人の顔をじゅんぐりに見つめた。
(カーさん……、ぶーたん……、ジョーちゃん……)
そのときカレニーナ姫には、じゃぱんの言いたかった言葉の続きがわかった。なぜか理解した。
『……だがな、ネコミミ。死んでしまったら、……もう二度と出会うことは、できないだろう?』
スタッ! とカサンドラは二階から飛び降り、姫の前にひざまづいた。そして手を差し伸べる。
「さあ、姫、参りましょう。あなたを悲しませることなど、相手が神であろうと悪魔であろうとスケベであろうと、私が許しません」
「おいで、姫」
プラータもその後ろから声をかける。その微笑に、胸をうたれる姫。
「あ、でも、でも……」
心底困りながら、姫は首を振る。
そして、すがるように兄たちを見ると、二人は、シンクロして頷いた。
「いきなさい、カレニーナ。心配しなくてもいいから。僕たちは父上や母上に誓った。お前を必ず幸せにすると。僕たちは、お前を幸せにしなくちゃならないんだよ」
「ああ。まあ国がつぶれたって、結界は、どうせマーガライトがなんとかしてくれる。あれだけ手間がかかったんだから、黙って奪われているはずはないよ。いきなさい、カレニーナ」
「行ってください」
「どうか行ってくださいませ、姫様」
「お幸せになってくださいませ、姫様」
周りにいた城の者は、一人残らず声を上げ、姫が行くことを願った。
それでも惑う姫だったが、プラータの言葉に、姫は動きをぴたりと止めた。
「……姫。君にとって、このまま結婚してしまうことほど辛いことがあるかい?」
見つめる、深い瞳。
「姫。兄上たちや、カサンドラ、じゃぱんも、城のみんなも、国民のみんなも、君がこのまま結婚してしまうことよりも辛いことがあると思うかい?」
プラータは、手を伸ばす。
「……僕は、君が結婚してしまうことより、辛いことなんてないよ」
呆然と。
姫は、そっと。
右手をのばした。その手へ。
「ぶーたん……」
とてもとても、嬉しかったから。
ほんとうはずっと、待っていたから。
僅かに手に触れると、そのまま、泣き場所を求めるように、姫はその胸の中に飛び込んだ。なんだか、耳も心も、きいんとなる気がした。
後頭部に、大きな手を感じる。
「よしよし、遅くなってごめんね」
「……ぶーたん、すきー」
メキイ!
カサンドラが嫉妬のあまり後ろ手で壁を殴ると、十メートル四方が砂となった。これでも手加減したのだが。
その時、風がふき、砂が舞った。
「……引き出物に持ってきたのだが、要らなくなったな。だが捨てるのもなんだ。持っていくがいい」
風のような声が聞こえた。
ぴこっ。
何かが、生えた。
「ひ、姫、ねこみみが……」
「え?」
カサンドラの声に、姫がさわさわと頭上を触ってみると、そこには、懐かしい触りごこちのフカフカがあった。
「あーもー、あなたたちがいると騒ぎが大きくなる一方だから、早く城を出て、どこへなりとも行ってしまいなさい。姫、お兄さんの葬式には戻ってくるのですよ」
縁起でもない促し方をするマーガライト。
「さあ、行きましょう姫」
しかし、姫は、きょろきょろとあたりを見回し、足を動かそうとしない。
やがて、探していたものを見つけ、顔を輝かせた。
かたすみで見ていた、小さなじゃぱんを。
「あ……」
じゃぱんは、黙ってみていた。
昔愛した自分の姫が、行ってしまう時のように。
ねこみみの姫は、叫んだ。手を自分のほうに、思い切り伸ばして。
「じゃぱんー! いこー!」
差し出された、白いてのひら。
じゃぱんは、もう何も考えなかった。考えるのはやめることにした。
ただねこみみ姫の望むままに、まっすぐに飛んでいった。
「うおー!」
「おい、姫たちが来るぞ!」
マーガライトのサービスで沿道に据えられた魔法の水鏡により、教会の一部始終を見ていた沿道の国民は、走って出てきた四人に拍手喝采を与えた。
「おしあわせに!」
「姫、おめでとうございます!」
びっくりしてお礼をふりまくプリンセス。
「ありがとうー、ありがとうー。あっ」
ぽて。
姫はベールが長くて躓いたが、転ぶ前にプラータが支えた。そして姫を一気に抱きかかえて走り出すと、ひときわ歓声は高くなった。
しかし四人が去っていったその後には、殺意の名残をあらわす、数枚の黒い羽が散っていた……。
ファランティーヌの軍隊も沿道に控えていたのだが、四人を阻んで、あのカサンドラを敵に回すなど考えることはできなかったし、ジョルディス王子も、そんな命令は出さなかった。
魔法の水鏡は場面が切り替わり、教会のステージ上が映し出される。
「あーあー、ご来賓のみなさん、ごらんの通り、結婚式は私がぶち壊しました。お祝い金は受付で返金してもらってください。今回のために新調したスーツの代金とかは保障できませんので、あしからず。この国に災いをもたらす者は、私を敵に回す覚悟をしてからお願いいたします。私も戦うのいやなんですよね。だからお願い」
魔術師のその言葉に、国民は歓声を上げ、抱きしめあう。これは、偉大なる魔法使いがこの国を守るという宣言だ。たぶん。
自国の平和と、姫の幸せを願う歌と宴は、そのまま夜明けまで続いた。
騒動もまだ静まらぬ、教会の床。
「父上、大丈夫ですか?」
捕縛結界を解除した後、ジョルディス王子は父親に声をかけた。
「あいつは腕を上げたな。捕縛も麻痺付きだ」
国王は床に倒れたままだ。まだ痺れている様子の父親を、黙って見つめる長男。
「お前、ジョスリンの行方を、知っていただろう? あいつは、お前には心配かけたくないだろうからな」
父の問いに、皇太子は視線をはずして、そして困ったように少しだけ笑った。
「まあいい。帰るぞ。隠密のカルージャも帰国させてやれ。新婚なのに、三年も帰っていないからな」
「もうこの国に手を出すのは、おやめになるので?」
ふふ、と国王は笑う。痺れてますけど。
「マーガライトが本気であの国を守ろうとしていたとは思わなかったからな。下手に手出しをしたら、もう一度キャッスルゲートを開けるくらいは平気でする魔術師だ。しばらくは諦めるさ。なかなか楽しめたし、プラータとジョスリンが面白く成長したところも見ることができたから、まあ満足した」
ふう、とジョルディス王子はため息をつく。けして言わないが、あの国はうちの壮大な親子ゲンカに巻き込まれたといえなくもない気がするのだ。
「お前は、国を出て行かんのか?」
「私は好きにやらせてもらっておりますから」
「そうかつまらん。まあ、お前がいるから私も好き勝手なことができているのだが」
ぴくり、と皇太子の愁眉が微妙な動きをした。
「……父上の勝手は、私のせいなのですか?」
イヤな考えになってしまった。
王子は諸悪の根源が自分なような気がして、肩が重くなってくる。
父はちょっと目を見開くと、ははははは、と豪快に笑った。
そうかもな、と付け加えて。
城内では、全員がマーガライトにお礼をのべて、感謝を表していた。本人は言葉よりも、出された大量のお菓子のほうが気に入っていたようだが。
ともあれ、何十回言ったかわからないが、それしかいえないので二人の国王はまたお礼を言っていた。
「マーガライト……、ありがとう。なんとお礼を言ったらいいか」
とりあえず目の前のケーキを全種類制覇した魔術師は、けぷ、と一息ついてから、初めてまともに返事を返した。
「いえ、自分の所有国のことですから。危機をぶちこわすのは当然です」
へ? というマヌケ面をする国王二人に、魔術師は、こういってのけた。
「この国は、封印を作り上げてから、管理のために私とアレキサンドラが作ったのです。だから、私の国です。誰かがちょっかいかけようとしたら、シメます。何のためにあそこにずっと住んでいると思ってたんですか?」
……いや、考えたこともありませんでした。
「お茶のおかわりどやー」
「いただきます」
こぽこぽこぽ。静かになる執務室。何故ここなのかといえば、こじんまりして落ち着くからなのだった。
ふいー、と王達は、同時にため息をついた。
「……しかし、プラータがカレニーナを連れて行ってくれてよかった」
「ああ。借金はカニを売って、のんびり返せばいいさ」
基本的にはのほほんとした、のんびり兄弟。あまりお金持ちにはなれないタイプである。
それを聞くと、マーガライトは、ふむ、と顎に手をあてた。
「それでは、私からの引き出物に、これを差し上げましょう」
スカートのポケットからテキトーに出したそれは、小さな鍵だった。見たことがあるような、見たこともないような。
「……これは?」
「封印の洞窟に入って右に折れて、つきあたりを左に曲がったところの12番目の扉の鍵です。そこの床にはサファイアが敷き詰められていますから、金に困ったらバレないようにこそっと盗んできて来てください。くれぐれも長居は無用です。長くいると帰れなくなったりしますから」
固まる王ふたり。
そこは、死んでから行くというところに情景が似てはいませんか。
ずずずー。
苺の紅茶を一気飲みすると、一息つき、魔術師はがたりと立ち上がった。
「それでは日を改めて、また遊びに来ます。まだ約束の、カニ食べ放題させてもらっていませんから。そろそろ海も綺麗になるでしょう。ではまた」
「じゃーなー」
「え」
ばんっ!
ペンギンが膨張し、そのまま魔術師は乗り込んで、あっという間に飛び去っていった。小さくなる影。
窓からそれを見送る王たち。
マーガライトはまた山に帰るのだろう。
このうえなく愛する自分の生活と、畑を守るために。
魔術師が見えなくなっても、王達はまた窓の外を見ていた。
それは自分達にも、同じことがいえるだろう。目の前には守るべきミスリンが広がっている。
「……俺たちも、やるか」
「片付けることは、山ほどあるからな」
双子の王は、同じ顔で見つめあい、そして軽やかに微笑んだ。
遠い空。
いつか死ぬときにでも会える、愛する妹の幸せを。
俺たちはここで、ずっと願っている。
海風が優しく吹き抜ける、このミスリンの地。俺たちは永遠にこの場所を愛し続けるだろう。
ここはカレニーナという、だれもが愛するねこみみの姫が守りぬいた、大切な場所なのだから。
空も世界も、ゆっくりと流れていき、そして時は世界を覆っていく。
いつしか第十三層の安定は、ゆっくりと終わりに近づいていた。
エピローグ
ぽてぽてぽて。
第十五層に繋がる小さな次元のひずみ(やや強引に作成)はちょっと遠い。
プラータの魔法で行くと、魔力が場所に少し歪みをもたらしてしまうので、ミスリンから少し離れた道を、四人はてくてくと歩いていた。
「遅くなって、申し訳ありませんでした、姫。十五層と十三層の次元のすきま……、無次元領域というそうですが、あそこで迷って、困っていたのです。ついさきほどマーガライトさんとやらが助けに来てくださって」
「いいのー。カーさん、ありがとう。やくそくまもってくれてー」
姫の笑顔に、苦労もふっとぶカサンドラ。プラータの身体を治すためとか、十五層にあるゲートを通るためとか、明日のごはんのためとかで、殺したり殺したり殺したりした疲れも真夏の雪のように溶けていった。
じゃぱんも、プラータに語りかける。
「身体は治ったのか?」
「うん。もう幻術を使わなくても大丈夫なくらいにはね。それより、姫にあげるものがあるよ。わかるかな?」
「むー? なんですかー?」
がさがさ、とプラータは紙包みをあけた。
「あっ」
「これは……」
その瓶の形と書かれたラベルは。
姫は叫んだ。
「ダイギンジョー!?」
「そうそう。姫が大人になったらあげるって約束したの、覚えてるかな?」
「うれしいー。ありがとうぶーたんー。のんでいいー?」
しかし、そっと瓶に手を置くカサンドラ。
「ダメですよ、姫。向こうに行ってからにしましょう」
「むこう?」
「そう、十五層に行ってからですよ」
「そっちで宿を予約してあるんだ。温泉旅行の続きをしようね、姫」
ぱああああ、と顔を輝かせる姫。おんせんはいいものだー。
「わああー、わああー、ぶーたん、一緒に入ってもいいー?」
「ダメですっ!」
「いや、この二人なら、もう入ってもいいような気がするが……」
「ダメっ! まだダメですっ! 許しません!」
「じゃあみんなで一緒に入ろうか~」
「それは私がイヤだっ!」
なんだかんだと大騒ぎをしながら、歩いていく曲がり道。
ぴこぴこと揺れる、なつかしいねこみみを感じる。
ねこみみプリンセスは、ちょっとだけ駆けて、空いていた大好きな青年の左手を、きゅっと握り締めた。
もう風は、暖かい。
青い空はどこまでも高く、かぎりなく明るく広がっていた。