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Hueリリース企画・文章作品

8日目・「Fable」

2017.05.22 11:00

F代ちゃんの末路

by 春子






F代ちゃんは、16歳になった。

朝、リビングへ向かうと、お母さんがぎゅっと抱きしめてくれた。お母さんの胸はとても温かだった。



それから学校へ向かうと、F代ちゃんの机の上には、大量のお菓子が積み上げられてあった。会う友達はみんな「おめでとう!」とF代ちゃんに声をかけた。



たくさんのプレゼントを胸に抱いて家に帰ると、いつもは遅く帰ってくるはずのお父さんが、今日ばかりは早く帰ってきていた。お父さんは、F代ちゃんに綺麗な手鏡を買ってきてくれたーー





私は静かにノートを閉じた。

これは私が書いた物語だ。



まず、F代ちゃんの話をしよう。



F代ちゃんは、昔から私が物語を書くときによく使っている女の子だ。私の空想の中で、とても幸せに生きている。彼女はもちろん架空の存在だけど、生きているから段々成長していく。一昨年書いたF代ちゃんは、14歳。去年書いたときは、15歳。昨日の夜に書いたこの物語の中では、F代ちゃんは16歳になった。



何の悩みもなく過ごすことは、彼女にとってはごくごく当たり前のことだ。ときどき、そんな幸せな日常を私は切り取って、文章に起こしてきた。F代ちゃんはいつでも私の思い通り、美しくて、優しくて、周囲の皆に愛される価値のある女の子なんだ。



それから、私の話をしよう。



私は、ただ、物語を書くことが好きなだけの人間だ。

顔はどの角度から見ても可愛くない。人と上手く付き合えるほどの愛嬌もないし、取り柄もない。そして、自分のことをこんな風にしか説明できない自尊心の低さが、何よりも醜い。だから、家でも学校でも、一人ぼっちなんだと思う。でも、理解者なんていらない。



私には、物語さえあればそれでいい。

小学生のときからずっとそう思っている。



小学生のとき、クラスメイトの女の子たちに物語を読ませた。ひたすらに1人で物語を書くだけで満足したから、親にも先生にもそれを読ませたことがなかった。だけど、その子たちに「見せて見せて」とせがまれて、断る理由もなかった。差し出したのは、私が数ヶ月がかりで書いた、F代ちゃんの冒険物語だった。



F代ちゃんは、両親に黙って船に乗る。帆を掲げて、青い海を渡る。辿り着いた不思議な島で宝の山を見つけて、両親にプレゼントしてあげる。



その子たちがどんな素敵な物語を期待していたのか、今となっては知らない、わからない。でも作者である私に返ってきたのは、心ない言葉だった。



「何これ、全然つまんなーい」

「こんなの書いてて、楽しいの?」



だんだん、その子たちが私を「根暗だ」とバカにするようになった。何も言い返せないまま俯いていたら、そのうちクラスのみんなも口をきいてくれなくなった。



なんでみんなわかってくれないんだろう。空想の世界はこんなにも楽しく美しいのに。



私は不器用で、その素晴らしさを他の誰かに伝えることができなかった。だから、人はその美しさを理解できないまま「つまんない」と評価を下したんだ。でもそれは間違ってる、間違ってる。



だって私の物語が美しくないはずがないんだもの。きっとみんなの感性が可哀想なほど乏しいだけなんだ。



私の物語は私だけのもので、他の誰かのために書いたものじゃない。だから、誰かにわかって貰わなくても構わない。どうせ誰かに読ませても、決して綺麗な世界をわかってくれるはずがない。



私はそう思うことにした。いいや、そう思うしかなかった。大人になった今も、そう思っている。



そう思わなければ……

そうじゃなかったとしたら……

私の世界は途端に崩れ去ってしまう。



だから、それ以来誰にも物語を見せていない。





彼は、突然現れた。



「小説、書いてるの?」



刹那、背後の方で声がして、心臓が止まるかと思った。



夕日が窓から差し込むこの時間。いつもは放課後1人で残ってノートに物語を書いている私以外、誰もいないHR教室だった。今日だって、今の今まで私しかいなかったのに。私は恐る恐る後ろを振り返った。



彼は思ったよりも近くにいて、また驚く。握っていたはずのペンが硬い音を立てて床を転がっていた。私は慌てて席を立った。



あった、椅子の下。

しゃがんでペンを拾った私は、それを机の上に戻した。その時、あることに気づいて背筋が凍りついた。



ない……机の上に置いてあったはずのノートがない……



「へぇー、結構たくさん書いてるんだね。すごい」

「わあああああ!!な、なんで持って、ええ……」



私のノートはいつの間にか彼の手の中に収まっていた。たちまち顔が熱くなって、慌てて取り返そうとしたけど、なかなか上手くいかない。そのうち私が諦めたら、彼は私の隣の席に座って、ノートを読み始めた。



彼は同じクラスの男の子だった。

運動が得意で、明るくて、クラスの人気者。教室の隅で1人でいる私とはまさに正反対の人間だ。名前は……よくわからない。同じクラスになって、何ヶ月か経つけれど、今まで話したこともない。なのに今更、どうして私の物語なんて……



「ふーん、F代ちゃん、ねぇ……」



10分ほど経って、彼はふいにつぶやいた。彼が取ったのは、F代ちゃんの短編のお話ばかりを書き溜めているノートだった。それを読み終わったらしい彼は、なんとも言えない顔で、私とノートをチラチラと見比べる。私は別に感想を期待していたわけじゃなかったけど、作品を勝手に読んでおいて、バカにされるのはもうこりごりだった。そんな私の目には、彼の様子が、小学生の時の一件を彷彿とさせたように映ってしまった。私はとても惨めに感じて、彼の手からノートを思いっきり引き抜いた。



「ど……どうせあなたも、ありきたりでつまんない話だなとか思ってるんでしょ?別に誰かに見せるために書いたんじゃないんだから、放って置いてよ!」



大声が教室中に響き渡る。ネガティヴな言葉しか見つからなかった自分が、嫌になった。



でも、彼は小説に興味があるようには見えない。だとしたら冷やかしか。それとは逆で、小説が大好きだとしたらどうか。私の書く物語が稚拙でバカげているのだと、そう言いにきたんだろうか。



私は彼をギッと睨みつける。一瞬、彼は困惑の表情になったけど、そのあとは「あぁ」と漏らしただけで、屈託のない笑みを浮かべた。



「つまんなくなんかないよ、すごいよ」



その言葉は意外だった。人に褒められたのは随分と久しぶりのことだったから、そもそも褒められていると気づくまで、しばらくかかった。気づいた後も、嬉しさなんかよりも戸惑いや疑いの方が勝った。



しかし、「俺にはそんな文章書けないよ」「すごいよ」と、必死に言う彼の表情は真剣そのものだ。その一生懸命さが眩しくて、私は思わず俯いてしまった。私はさっき、あなたのことを睨んだのに……



「……そうかな」

「そうだよ。君、なんでそんなに自分に自信ないんだよ。人生損してるよ」

「人生を損してるとは思ってないよ。私は別に、物語があればそれでいい……」



私は俯いたまま、目を閉じてみる。途端にあたりは深い闇に包まれる。そこはまるで、星が生まれる前の宇宙だ。

広い宇宙に星々をちりばめるように、暗闇に無数の空想を次々と浮かばせる……私は私の宇宙の創造主だ。



私は、星のように煌めく空想1つ選ぶ。それを手のひらにすくい上げて、言葉にする、文にする、物語にする。積み上がったノートの山が、私の存在証明だ。私には、たったこれだけで十分だ。それを理解してくれる人が、いなくても、別にそれでいい。それでもいいって、思ってた。



「俺はもっと君の書いた小説が読んでみたいよ」



信じられない気持ちで彼を見上げた。全身がこわばったのがわかった。

でも、同時に、私の心の中でくちゃくちゃに絡まっていた何かが、少しずつ解れていくような気がした。



「俺、悲しい小説に最近ハマってるんだ。そうだなぁ……誰かが死ぬとか、そういうの。ねえ、悲しい話、書けない?」



彼は笑って言った。イノセントな笑顔だった。ホントに何の邪念も感じない笑顔だった。ただただ純粋な笑顔だった。



生まれて初めて、誰かが私の宇宙に入ってくる。そんな彼は、突然現れた。私は、1人ぼっちじゃなくなった。



家に帰ると、すぐに机に向かった。悲しい物語はもう長いこと書いていなかった。書いていると自分まで悲しくなってしまうからだ。ましてや、誰かが死ぬ話だなんて、心が痛む。



私は、天井を仰いでため息をついた。少し逡巡したが、頭には彼の真剣な表情が浮かんでいた。私の物語を読みたいと言われたのは、初めてのことだった。



私はペンを取った。開いたのはF代ちゃんの物語のノートだった。たとえF代ちゃんでも、彼女は生きているのだから、いつかはお別れを経験する……今日は、ついにそんな日が来てしまったのだ。うん、そうだよ、仕方ない。

 


私は、胸が踊る思いで、一晩で物語を書き上げた。





F代ちゃんのお母さんは、交通事故で死んでしまった。



お父さんは悲しみのあまりどっと老け込んでしまったけど、F代ちゃんはあくまで気丈に振る舞った。お葬式でも泣かなかった。



遺品の整理中に、押入れから母の中学の卒業文集を見つけた。



そこには母の字で、『将来、立派なお母さんになって、そして、可愛いおばあちゃんになりたい』と書いてあった。F代ちゃんは声を押し殺して泣いた。





彼は喜んだ。



「やっぱり文才あるよね。そうそう、俺、こういう切ない話が好きなんだよ」



彼は感心するように言った。文章を追う目は相変わらず真剣だ。



文章を読んでいるとき、彼の表情はコロコロ変わる。ハッとして目を見開いたり、わずかに口元が緩んだり、悲しそうに眉根を寄せたり。書いたのは私なのに、「どんなシーンを読んでるの?」と聞いてみたくなる。



それに、昨日は気づかなかったけど、夕日に照らされた彼は、かなり精悍な顔立ちをしていた。でもそんなことは全然関係なくて……そりゃあ、低い声も優しくて素敵だと思うけど、ホントに、ホントに、全然関係ない。嬉しそうに私の物語を読んでくれている彼を見るのが、嬉しかった。



彼は、私の理解者だ。



「はい、面白かったよ。ありがとう」



差し出されたノートを受け取る。微かに触れた指先にどきっとした。誰かの人肌に触れることも、もう長いことなかったと思う。



「あの……」



教室を出ようとする彼を、私は呼び止めた。高いところにある顔を、まっすぐ見上げて言った。



「また……明日も書いてくるから、よ、読んでくれないかな?」

「もちろん、また見せてよ」



彼は間を空けずに、そう答えた。

私は心臓が飛び出るほど嬉しかった。

それから毎日私は悲しい物語を書いた。





F代ちゃんのお父さんは、つがいを失った悲しみで、心がおかしくなった。妻の後を追うようにして、ついにビルから飛び降りてしまった。



身寄りをなくしたF代ちゃんは、遠い地方に住む親戚に引き取られ、大好きなお友達と離れ離れになってしまった。



彼女を引き取った親戚の人は、F代ちゃんを「不幸を呼び寄せる子」だと、影でヒソヒソ噂した。F代ちゃんは、それが聞こえて1人で泣いてしまった。気がつけば、かつてのF代ちゃんの幸せな日常は、跡形もなく消え去っていた。そんなF代ちゃんは可哀想ではあった。だけど、逆境に懸命に生きる彼女はますます強く美しくなっていった。





いや、もしかしたらF代ちゃんは昔から何も変わってないのかもしれない。F代ちゃんは昔も、今も、いつでも私の思い通り。彼女は、私が思い描いたシナリオを生きている。私の物語は私だけのもので、他の誰かのために書いたものじゃない。でも、彼は理解してくれた。



私が物語を書いて持っていくと、必ず彼は喜んでくれた。そんな彼の様子を見るだけで、私は毎日が楽しかった。とても幸せだった。



もっと物語を書こう、もっと悲しく、思い通りに悲しくしよう。もっと、もっともっと、もーーーーっと、素晴らしい物語にしよう。そうすれば、彼はもっと笑ってくれる。私はもっと幸せになれる。





「なんかな……最近なんか違うんだよな……」

「現実味が薄すぎるというか……物悲しいって感じじゃない」



最近彼の反応が薄い。



彼の真剣な表情が、次第に退屈そうに崩れていく。嬉しそうに感想を述べていてくれてた声も、言葉がぎこちなくなっていく。



「……もっと悲しい話がいいの?」

「う〜ん……そんな感じなのかな〜……」



私は、彼から返されたノートをぎゅっと掴む。彼を見上げて尋ねるけど、彼は曖昧に返事をしただけだった。もっとちゃんと意見を聞きたかったけど、彼は友達に呼ばれて、教室を出て行ってしまった。



今まで私たちを照らしていた金色の光が、雲に遮られてすうっと熱を失っていった。私は、彼に1人取り残されたように感じた。



私はギリッと歯を鳴らした。これじゃダメだ。もっと悲しくて美しい物語でないと彼は満足しない。ありきたりでつまらない話は、人を繋ぎとめられない。



お願い、私の理解者。どこにもいかないで。ねえ、そんなつまらなさそうな目で、私の物語を見ないで。



私は、すがるような気持ちでペンを走らせる。しっかりしろ。私なら書ける。どんなに悲しい物語でも、美しく見せられる。



さあ、イメージしよう。



花の香りが脳天を貫くような、

ドロドロに潰したクランベリーを指ですくって舐めるような……



激しく、狂おしい感情を恋と呼ぶんだと思った。





親戚の人のお家は元々そこまで裕福でなかった。



F代ちゃんは、できるだけお金は自分で稼ぐようにしていたが、女の子1人分の生活費はその人の家を圧迫した。F代ちゃんは、毎日肩身狭い思いをしていた。



F代ちゃんは、お母さんの遺品も、お父さんの遺品も、売れるものは全て売った。自分の持ち物も、最低限の生活用品以外は全て売った。時計、洋服、家族の思い出の品。16歳の誕生日にお父さんからもらった手鏡も、全て売った。そのお金は全部、お世話になっている家の人に渡した。



親戚のおばさんは、「F代ちゃんのおかげでお金が入ったから、ご馳走を食べに行こう」と、美味しいお寿司屋さんへ連れて行った。F代ちゃんは激しく後悔した。一体どうして、思い出を売ったお金で食べる寿司が、美味しいはずがあるだろうか。こんな風に使って欲しくてお金を渡したんじゃないのに。彼女は、ますます、苦しい思いで毎日を送るようになってしまった。





「うん……やっぱ俺が思ってたのとはちょっと違うかな……」



やっぱり彼の反応は悪い。



私は下唇をぎゅっと噛んで、彼を見上げた。だけど彼の視線は宙を彷徨っている。胸が締め付けられるように痛くなった。もう、彼は物語に関心があまりなくなってきているんだ。



「……ダメ?」

「ダメ……とかじゃないけどさーー」



「だったら!だったら……明日は、も、もっと。今までにないくらい、素敵な物語を持ってくるよ!だから、次も読んで!お願い……」



彼は黙って頷いた。





家に帰って、真っ先に机に向かう。



ねえ、私の物語が読みたいって言ったのは、あなたなのに。私は、あなた好みの物語にしたのに。どうしてそんなつまらなさそうな顔をするの?一瞬だけ湧き上がったのは理不尽な怒りだった。でもそれはすぐに冷めて、底なしの虚しさと孤独感だけが残った。



先走る感情を、理性で抑えつける。一呼吸置いて、冷静に思考を張り巡らせる。毎日関わってわかった。彼は、漫画やアニメの影響で、もの悲しくて、感動的で、ライトな文体の小説が好きなだけの、年相応の男の子だ。



だとしてもやっぱり彼は私の物語を嬉しそうに読んでいたじゃないか。だったら、私の物語は彼にとってちゃんと価値があって、彼を喜ばせることができる。そう信じているから、絶対に諦めない。私はそう思った。



私は机の一番下の引き出しから、大量のノートを取り出した。すべてF代ちゃんの物語だった。私は次々と読み返す。私が書いた、物語たち。どの紙の中でも、F代ちゃんは幸せそうに微笑んでいる。



眩しいほどの愛を、彼女はただ当たり前に両手に抱えている。私には眩しすぎる幸せを、すべて叶えていける。



ホントはF代ちゃんはそういう女の子だった。F代ちゃんは、私の幸せの物語だった。



だから私はF代ちゃんが大好きだった。私の幸せを代わりに叶えてくれるF代ちゃんの物語を作るだけで、私は私の思い通りになれて、満たされた気がしていた。



けれど、F代ちゃんはもう幸せな女の子じゃない。辛い現実をその小さな身に背負うだけの、悲劇のヒロインになり果ててしまった。私がそうさせた。F代ちゃんをあの夢のように幸せな日常から地獄へ引きずり下ろしたのは、この私だ。だから、私はF代ちゃんの物語の続きを作り出しても、もう幸せにはなれないだろう。



彼……



彼はどうしたら私を見てくれるだろうか。その物語を書くためなら、私はなんでもしよう。



すっかり遠ざかってしまった彼の心を繋ぎ止めて、引き戻せるのは、一体どれほど切なく、美しく、感動的な物語なんだろうか。



夜遅くまで、私は考える。

考えて、考えて、考える。



考えて、考えて、また考えた。そして更にたくさん考えた結果、



私はF代ちゃんの物語を終わらせることにした。



私は誰もいない部屋で、うっとりと微笑んだ。



F代ちゃんの悲しく美しい結末に、きっと彼は心奪われる。宝石の青い輝きが目に突き刺さるような、血のように真っ赤な花弁が散るような……痛々しい展開を、私は思いつく限りコピー用紙に書きなぐった。





悲しい毎日に耐えきれなくなったF代ちゃんはついに、生きることを諦めた。そんなところへ、魂の商人が現れた。



彼らは、健康だが命が必要でなくなった人から、生きたいけれど、生きられない体を持つ人へ命を売る商売をしている。心優しいF代ちゃんは、どうせ死ぬのなら、どうぞ私の命を安く誰かに譲って欲しいと彼らに言う。



しかしそんな現実離れした商売が、実際にあるはずもなかった。F代ちゃんは彼らに騙されていたのだ。でも、全部が全部嘘というわけでもなかった。彼らはF代ちゃんを捕えて、そしてーー





ここまで書いたとき、胃がピリピリと痛みだした。何時間も飲まず食わずで作業を続けていたから、空腹で胃がやられたんだろう。私は、コップに水を入れて飲んだ。時計を見ると、もう夜中の3時近かった。作業中は気にならなかった眠気やだるさが、一気に押し寄せてくる。続きを書くのは明日にしよう。彼に見せるのは放課後だから、授業中にでも書けばいい。私はそう思って、ベッドに倒れこんだ。



ところが、次の朝ノートを見て、ぞっとした。昨日書くのをやめたはずの部分から、全く違う物語が始まっていた。誰かが、勝手に物語を書き換えていたんだ。





身の危険を感じたF代ちゃんは、男たちから逃げ、港に辿り着いた。そこで小さな船を1隻盗んで、海に出る。F代ちゃんは呪われた、不幸の大地から離れて、透き通るような青い海と空の下、自由の歌を歌う。不思議な島で、幼い頃のように探検をして、そこで美しい王子と出会う。F代ちゃんと王子は恋に落ちて、そして、結ばれた。ノートにはこういうお話が書かれてあった。





何の特徴もない筆跡、誰のものか全然わからないけど、明らかに私のものではない。ただ、文字の端々から、生々しい欲望や、激しい情動が滲み出ているのを感じた。私はパジャマのままノートを握りしめ、食い入るように見つめる。力を込めすぎて、紙がぐちゃっと折れてしまった。だけどそんなこと気にしない。気にしてらんない。



「誰が勝手に書いたの!?」



冷静に考えたけど、わからなかった。



私には父もない、母もない。兄弟もない。年老いた祖母と2人で暮らしているが、いつも8時に寝ている祖母が、私の寝たあとにこれを書くとも思えない。では、一体誰が……



再び考えてみたら、あまりにもバカらしい考えに至ってしまった。私は思わず自分で失笑してしまった。



「もしかして、F代ちゃんなの……?」



私はノートに語りかけるように言った。そのノートの書き終わりのページでは、F代ちゃんが幸せに微笑んでいる様子が描かれてあった。きっと、F代ちゃんが勝手に物語を変えたんだ。だってもう、そうとしか考えられない。F代ちゃんだ、きっと、F代ちゃんがやったんだ。私は、とても悲しくなった。



「ひどい……どうして勝手に幸せになったりするの?あなたは、私のシナリオを守らなくちゃダメだよ。ねえ、どうして……ねえどうして、私のシナリオを拒むの?私を置いて、勝手に幸せになっちゃうの?!」



いつの間にか頬には涙が伝っていた。こんなありきたりでつまらない終わりでは、彼の心を繋ぎとめられない。どうして、ねえ、どうして。こんな物語じゃ、彼はーー私の大事な理解者は、どこかへ行っちゃうよ……



私は着替えもせず、髪を整えもせず、机に向かった。新しいページを開いて、震える手で、ペンを握った。切実な想いだけが、私を突き動かしていた。





幸せにお城で暮らしていたF代ちゃんだったけど、王子は気まぐれで、そのうちF代ちゃんに飽きてしまった。彼女はお城の人たちに散々バカにされた。



遠くから1人でやってきたF代ちゃんに、味方はいなかった。こうして、F代ちゃんの束の間の幸せは終わった。F代ちゃんは、海に出た結果、本当に居場所をなくしてしまった。彼女は、母が死んで、父が死んで、散々辛い思いをした日々を振り返った。自分は何をしようと、どう足掻いても、「不幸を呼び寄せる子」だった。



最後に幸せだったあの日のことを想って、涙を浮かべた。彼女は新月の夜、海に飛び込んだ。冷たい海水が肺を満たして、彼女は泡となって消えてしまった。





「『藤代ちゃん』……今日、授業休んでまでこれを書いてたの?」



私はおよそ半日がかりで物語を完成させると、ノートを抱えて登校した。着いたのはちょうど、放課後だった。鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる彼に、少し得意げになって、私は「えへへ」と笑った。



「うん。頑張ったよ。F代ちゃんの物語も、もうフィナーレなの。どれだけ悲しくて素敵なものにするか、すごく、悩んだんだから……まぁ、途中流れ変になっちゃったけど……どうかな?」



彼は黙って私の物語を読んでくれた。



彼が喜んでくれる自信ならある。F代ちゃんは、自由を求めた代償に、海の向こうで死んでしまう。悲しく、美しく、F代ちゃんの短く激動の人生にぴったりなラストだ。

 


読んでいる間、彼は、少なくとも面白くなさそうにはしていなかった。口の端がぎゅってなったり、緩んだり。切れ長の目がまん丸になった瞬間も、私は見逃さなかった。



読み終わったらしい彼は、1つため息をついてからノートをパタンと閉じた。



「どうだった?!」



さあ、感想を聞かせて?私は彼に詰め寄った。ねえ。どうだったの。一言でもいい。面白かった?ワクワクした?ゾクゾクした?何か言ってよ、ねえ。私は嘆願するような気持ちで、彼を見つめた。



「……あのさ。最近の藤代ちゃんの物語は悲しいってより、狂気的っていうか、その、グロテスクだよ」



「え……?」



彼の一言に、私は息を詰まらせた。とにかく愕然とした。彼は悪びれる様子もなく、笑って続けた。



「ごめんけど俺、あまりこういうのは好きじゃないんだ。正直に言ったら、苦手っていうか……」

「そ、そんな……だって今まで」



言葉の意味がわからない。だって今まで、あなたは私の物語を読んでくれていたじゃない。苦手ならどうして言ってくれなかったの?



「あ〜それにホラ……F代ちゃんってさ、藤代ちゃんの分身みたいなもんじゃないの?そんなキャラクターをこんな風に書いてさ……君の心は痛まないの?」



心臓をひとつきにされたような気がした.背中から汗が吹き出して、それから冷たく引いていった。そうだ……私は昨日、この物語を書いている間、一回でも良心が揺らいだだろうか。私は足の力が抜けて、思わず床にぺたんと座り込んでしまった。



そんな私を見て、彼の目つきは軽蔑するような、哀れむような、悲しいものに変わっていった気がした。私はその目を見たときはじめて、自分が何だか、無意識のうちに殺人でも犯してきたような、それを今になって思い出したような恐ろしい気分になった。



でも違う。私は何も悪いことはしていないはずだ。私はただ、私は彼に喜んで欲しかっただけ、それだけ、そんな気持ちで書いていた。



それなのにあなたまで、私の世界が美しくないっていうの?そんなの絶対ありえない。だってあなたはたしかに私の理解者だったじゃない。



それとも……ただ私の空想の世界は美しくなかっただけだって言いたいの?そうだとしたら……そうだとしたら……私の世界は途端に崩れ去ってしまいそうだ。



私は立ち上がって、震える声を振り絞った。



「まって、違う……違うよ。あなた言ったでしょ、悲しい物語が見たいって……だから……だってね……その……」

「だから、どうしたの?」



彼は首を傾げて尋ねた。聞き分けのない子供を見るような困り顔に、私はとても決まりが悪くなって俯いた。



この、恐ろしく優しくて、能天気な人たらし。私は、あなたが好きだから書いたのに。



そうだ、あなたの嬉しそうな顔を見るだけで、私は幸せになれた。この言葉だけは伝えるべきだと思った。私はこの通り、閉鎖的で自分に自信がない人間だけど、この言葉ばかりは胸を張って大きな声で伝えるべきだと思った。



「あーいたいた」



そのとき、2人きりの教室の外に、女の子が現れた。見たことのない子だったから、多分違うクラスの子だ。顔も声もとても可愛くて、愛嬌のある子なんだと一目でわかるような、素敵な子だった。彼女は親しげに彼の名前を呼んだ。



「こんなところで何してるの!一緒に帰ろう」



「お!」と返事をする彼の顔は、見たことないほど嬉しそうだった。かつて、私の物語を読んでくれたときよりも、何倍も嬉しそうな顔をしていた。



「じゃあね、藤代ちゃん。今まで読ませてくれて、サンキュー」



私にノートを返して、彼は教室を出た。私は何も言えなかった。女の子と2人、親しげにしゃべる声があっという間に遠ざかっていった。突っ立ったままだった。



夜がそこまで押し寄せていた。オレンジ色に染まる教室に、私の影が伸びていた。私はまた1人ぼっちになった。手には、F代ちゃんのただただ不幸せな物語が残っていた。彼が去ってしまった今、彼のために書いたF代ちゃんの可哀想な人生は、何の意味もなくなっていた。



F代ちゃん……

私は、F代ちゃんが書いた物語を思い出した。救いがあって、眩しいほど希望に満ち溢れていて、そして、ただただ幸せな物語。それはかつての私が、F代ちゃんに与えた物語だった。その物語を見て、私は満たされていた。



「F代ちゃん……ごめんね……」 



F代ちゃんは幸せな日常に戻りたかったのだろうか。それとも、私にもう一度幸せな物語を書かせたかったのだろうか……何にしても、F代ちゃんが思い描いた幸せは叶わなず、また、私の思い通りの幸せも叶わなかった。

私は、何もかも失ってしまったように感じた。



家に帰ったあと、私はF代ちゃんの物語のノートを全て取り出した。かつての幸せな物語も、そうじゃなくなっていった物語も、ノートにはぎっしりびっしりと書いてあった。私は、それを全部ビリビリに破った。それはもうビリビリにして、手が痛くなるほどビリビリにして、ただひたすらにビリビリにして、そして、全部捨てた。





【あとがき】



こんばんは〜

Hue発売おめでとうございます。企画をご覧いただいているみなさま、ありがとうございます!!主催の春子です!稚拙な文章でなんだか申し訳なくなってきます……


これは私が「Fable」を聴いて思い浮かんだお話です。曲の解釈ではないです


わたしは、「Fable」のヴァイオリンとピアノの掛け合いから、悲劇的な結末の台本と、それから逃げる登場人物の話をイメージしました。そしてクラシック味を薄めてライトな文章にしました!


本文に付け加えたら蛇足かな、と思うのであとがきで書きますが、主人公は自己投影のキャラクターを通して夢を見る時期が終わっただけだなんだと思います……



残りの作品も楽しみにしてくださいね!!ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!