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「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 45分で8年分を一気に進めたが本来はその間に三島中洲と「論語と算盤」の基礎が出来た回

2021.11.30 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 45分で8年分を一気に進めたが本来はその間に三島中洲と「論語と算盤」の基礎が出来た回


水曜日は、大河ドラマ「青天を衝け」についてお話ししている。今回を含めあと5回になった「青天を衝け」も、相変わらず視聴率が高い。なかなか興味深いのは、この時代になって急に速度が上がったことであろう。今回は明治15年に妻千代が亡くなってから、一気に明治22年の大日本帝国憲法の発布迄時代が進んだ。この間に、岩倉具視、岩崎弥太郎、五代友厚と、明治維新からここに来るまで活躍していた人物が亡くなっている場面が描かれた。本来であれば、この間に伊藤兼子との間に生まれた三男と四男も夭折し、四女は死産であったが、その辺の個人的なことはドラマの中では書かれていない。ある意味でこの時代は渋沢栄一にとって、身近な人物が多くなくなっている時代であり、個人的にはかなり苦難が続いた時代ではなかったか。

ドラマでは、そこまでの心の動きを描き切れないというか45分で8年もの月日を書くのはやはり細かいところまで掛けないので、なかなか苦労したのではないかと思う。そのために「千代の死を克服できないで、意固地になってしまう渋沢栄一」と「渋沢栄一の肩書に気圧されて妻になり切れない伊藤兼子」ということに集約して書かれていたのではないか。

前半は船会社の競争ということになり、その競争の中において「本来最も大事な事は何か」ということを見失ってしまう渋沢栄一の姿が見て取れる。人間というものは、「これがい自分は正しい」と思うと、それ以外の道を示している人を否定するということを行ってしまう。現在のネット言論などはそのようなことが十分にあるのではないかという気がするものであり、NHKはドラマを通して、「他の考えを許容すること」という子尾を伊藤博文に語らせている。

また、五代友厚を使って「小さい国内の争いをしている間に、外部(この場合は外国)に後れを取って漁夫の利を取られてしまう」ということを伝え、渋沢栄一と三菱を和解させるようにしているのである。

史実ではこの間に「東京電力」「浅野セメント(のちの太平洋セメント)」「大阪紡績(のちの東洋紡)」「ジャパンブリュワリー(後のキリンビール)」などを支援している。五代友厚との会話の中に少し出てくるのであるが、この辺で、河井継之助をみとった外山修造などとの接点が出てくることになる。

青天を衝け:大物が次々と! 岩倉具視、岩崎弥太郎、五代友厚までもが…

 俳優の吉沢亮さん主演のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(総合、日曜午後8時ほか)第37回「栄一、あがく」が11月28日に放送され、大物が次々と退場する展開に「どんどんいなくなっていくなぁ…」「退場者多すぎんか」「重要人物がどんどん亡くなっていく、、終わりが迫ってる、、」といった声が上がった。

 第37回では、政府の命により、再び岩崎弥太郎(中村芝翫さん)に対抗するため、海運会社・共同運輸会社が設立された。しかし、栄一(吉沢さん)は、千代(橋本愛さん)を亡くして憔悴(しょうすい)していた。その様子を見かねた知人らの勧めで、栄一は伊藤兼子(大島優子さん)と再婚する。

 共同と三菱が熾烈(しれつ)な競争を繰り広げ、両社消耗していく中、突然、弥太郎が病に倒れる。これ以上の争いは不毛と、五代友厚(ディーン・フジオカさん)は、栄一と弥太郎の弟・岩崎弥之助(忍成修吾さん)との間を取り持とうとする……。

 同回ではまず最初に岩倉具視(山内圭哉さん)、続いて岩崎弥太郎(芝翫さん)が最期を迎え、ついには五代友厚(ディーン・フジオカさん)までもが、この世を去ったことが明かされた。

 SNSでは「岩倉さん逝ってしまわれた」「え? 弥太郎も」「五代さん…」「ナレ死……」などと視聴者は反応。「彼らしい最期のシーンだった」「幕末を駆け抜けた諸氏が次々」「時代が移り変わる」といった感想のほか、ヒロインの身近な人々の死が次々と描かれた続テレビ小説(朝ドラ)「カムカムエヴリバディ」を引き合いに「NHK訃報多すぎ」といった意見もあった。

 「青天を衝け」は、“日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が主人公で、連続テレビ小説(朝ドラ)「風のハルカ」(2005年度後期)、「あさが来た」(2015年度後期)などの大森美香さんが脚本を担当。「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢の生きざまを描く。

2021年11月28日 マンタンウエブ

https://mantan-web.jp/article/20211128dog00m200017000c.html

さて、後半は渋沢栄一の後妻、伊藤兼子について書きたいが、その前に一言だけ。実は千代の死の前後の明治15年9月から、渋沢栄一は東京帝国大学講師として日本財政論を担当するようになっている。そのさなかに妻の千代が死ぬのであるが、その時に千代の墓碑文を、私が小説に書いた山田方谷の弟子である三島中洲に依頼することから、渋沢栄一と三島中洲の交際が始まる。そして、山田方谷の藩政改革や、論語などの思想を聞き、渋沢栄一は、「論語」の倫理思想を現代的に解釈し、「道徳経済合一説」を説供養になるのである。その成果が「論語とそろばん」という本にあらわされている。なお、三島中洲との関係は、後に渋沢栄一が三島中洲が学祖となった二松学舎の三代目舎長になることなどでその関係を知ることができるのではないか。

さて、伊藤兼子である。

伊藤兼子の実家は、伊勢八という屋号の大店、伊藤八兵衛の娘であった。伊勢八とは、水戸藩御用達の油問屋である。元治元年に水戸天狗党が乱を起こした時は、水戸藩から五万両もの大金を要求され、そのうち三万両を寄付したという話が残るほどであった。しかし、明治になり横浜居留区のアメリカ商人との間でうまく商売がゆかず、もしかしたら政府が保護をすることが無かったのでだまされたというような話もあるのだが、その夫妻が元で伊勢八は倒産してしまうのである。

そこで、伊藤兼子は、家を保つために芸妓になったといわれている。芸妓になるのは「現在の水商売」とはイメージが異なり、ある意味で現在の「アイドルになる」というような感じに近いのかもしれない。越前藩主松平春嶽の娘絲子ですら芸者になったほどである。

さて史実では明治16年には、すでに渋沢英一の子を身籠っていたというので、芸妓の間に渋沢栄一との間に関係があったと考えるべきであるが、さすがにNHKはそのような描写はできないので、平岡円四郎の未亡人やすを出して、見合いをさせるということにしたのである。もちろん、一橋家、つまりは水戸家の関係ということになるし、または、今回のドラマで冒頭部分に、徳川慶喜が出てきて徳川昭武の話をすることから、当時の水戸藩主であった徳川昭武が、独り身になった渋沢栄一を気遣っての事であったのかもしれない。ドラマではなかなか美しく書かれているが、まあ、男女の仲は、まあ、そのようなものではない。

さて、今回はその伊藤兼子が、「妻」というよりは「千代の代わり」になれるかということが大きな問題になる。外で三菱と死闘を繰り広げた渋沢栄一の心のよりどころとなることが、どのようなことなのか。そして、千代の息子篤二との間がどうなるのかということになる。

この篤二との間が、次回になるということであり、今回は、「切り替わり」の一階であったのではないか。しかし、五代友厚や岩崎弥太郎、そして前回の千代の死で、時代が急激に変わったという印象をつける手法はなかなか面白く見ることができた