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まだ上げ初めし前髪の

2017.05.25 02:11

前髪を切られすぎてしまった。


6月に挙式予定で、ヘアセットの時によくある斜め前髪ペタンコ貼り付け、みたいな髪型にはしたくなかったため美容院に行った折、そんな話をしていた。


ヘアカラー、カットと無事に終了し、あとは前髪を残すばかり…というときに美容師さんの口から衝撃の発言が漏れる。


「うーん、今の長さだと下ろすには長いし上げるには短いから斜め前髪のほうが綺麗になりそうですよ。」


えー、そそそそうなのか?


「あと3週間くらいなんですけど、どうすれば良いですかね?」


「思い切って短めにしてみるのもアリかと!ほら、オードリー・ヘップバーンみたいな。」


オードリー・ヘップバーンとはまた大きく出たな美容師殿。


何をやる気になったのか、突然スマホで画像検索までしだした。


「こんなイメージどっすか?」

美容師さんが見せてくれた写真。いや、そりゃアンタ、こんな雰囲気になれるならなってみたいもんだよ。でもさ素材が違うんだからなれるわけねーじゃん。


「おでこ広いし鼻高いし似合うと思います!」


なんか自信持って宣言されちゃったけど、純日本人顔のわたしがやったらコケシみたいにしかならないと思う。


「普段のポニテもこんな可愛くなりますよ〜」

いや、そりゃオードリー・ヘップバーンだったら何でも可愛いだろ。


しかし、なぜか鏡の前でテンションを上げる美容師さんにのせられて、わたしまでテンション上がってしまった。


「でも確かに、こんだけ前髪短かったら流して海苔みたいになったりすることはなさそうですよね。ちょっと個性的で良いかも!(大きな間違い)」


と、前髪を切ることにしてしまったのだった。


で、実際切ってみたらもちろん、コケシになった。

 

出来上がったわたしの顔を見て美容師さんは意気消沈した様子を隠しきれないまま、こう言っていた。


「挙式まで3週間あるから、ドレスを着る頃にはちょうど良くなってると思いますょ…」


『絶対似合う!』と豪語していたあの人は何処へ!?ハナから似合うなんて、どうして思ったんだコイツは藪か、と心の中でツッコミながらも「そうですね、まぁスッキリしたし。」と礼を言って美容院を後にした。


帰宅すると夫はわたしの顔を見た瞬間、吹き出した。友人に会ったら友人もみんな吹き出した。


唯一、母だけは「アンタ似合うじゃないその前髪。オシャレ。」と褒めてくれたが、まぁ親にとって子はどんな子でもどんな格好してても可愛いもんだからね。


とにかく不評極まりない。(当たり前だ)


やはり一般人のアジア民族はどうあがいてもオードリー・ヘップバーンになれるはずもなく、そもそもウェディングドレス姿に個性などを追い求めたのが間違いだったのだと、ここでやっと気付いた。


残されたのは後悔とオードリー・ヘップバーン並みの短さを誇る前髪だけ。


美容師さんの言う通り、挙式までまだあと3週間あるからその頃にはだいぶ伸びていると思うが、何より恥ずかしいのはこのコケシ姿で世界中の観光客が集まるローマに行かねばならぬことである!

超絶短い面白前髪でローマに行ったら、まるでオードリー・ヘップバーンに憧れてファッションまで頑張って真似てみたけど完全に失敗しちゃってるアジア人と思われるではないか。


ただでさえ、前髪を作ることが少ない欧米人の目に、いったいこのコケシ前髪はどのように映るのか。いや、周りの目を気にする以前に、せっかくの旅行中、映る写真すべてがこのスーパーオンザ眉毛なのかと思うと行く前から心が塞がる思いだ。


なにより鏡を見て思わず自分でも吹き出してしまう滑稽さよ。


レトロな着物でも着させたらある意味似合いそうな気がした。昭和の髪型って感じ、しかもナウくないやつ。


実際、昭和の日本女性はどんな髪型をしていたのか、ふいにファッションが気になり調べてみることにした。


左端に前髪短い人もいるいる!女性に華やかさが戻ってきた戦後6年目、でもまだ1951年は米国占領下にあった。そう考えるとファッションひとつ取っても本当に自己表現が自由に出来るように変わったのも驚異的な復興の大きな原動力となったに違いない。


髪型関係ないけど、この丈のスカートってすごく上品でイイネ!

「ローマの休日」は1953年公開だったが、4年経っても日本では最先端のファッション的な感じだったのではないだろうか。


わたしのような(?)オードリー・へップバーンに憧れた系のモデルさんは前髪がかなり短い。60年前の昭和に自分の髪型とシンパシーを感じる姿を見つけるも、オードリー・ヘプバーン全盛期ゆえか、あるいは素材などの違いか、レトロ感があってわたしより間違いなくオードリーに近い。


1960年代以降の流行はミニスカートやパンタロンのほかツィギーなど(ツィギーはまぁ人だけど)で、アラフォーのわたしにとって青春時代にリバイバルヒットしたファッション系統なので身近。今さら調べなくても、と思ったのでもっと歳月を遡ってみることに。

ちょっと遡り過ぎたかも(笑)大正時代の「モガ」達のポートレート。「耳隠し」と言われる髪型が上品だ。


女性の「洋装」や「断髪」も上流社会を中心に広がり始めたこの時代、文明開化後の日清日露戦争を経て第一次世界大戦の特需による好景気に後押しされて、日本全国が一気に洋風化した。現在も残る近代建築はこの頃に建てられたものも多いといわれている。


第二次世界大戦が始まるまでのわずかな期間ではあるが、女性のファッションも多様化し、欧州の影響を強く受けた華やかな「和洋折衷」を感じられる時代でもあるのだ。


それにしても着物から洋服に着替えて、日本髪から洋風の短い髪の毛に変えるだけで「モガ」やら「断髪」やら騒がれたと思うと、当時の女性の苦労がみえてくる。


そういえば、写真に写っている女性の髪型を見てみると、男性受けNo.1の前髪といわれる少し長めの前髪を斜めに流す「斜めバング」は、すでにこの時代から人気があったことが分かるだろう。

こちらの写真も大正時代から昭和にかけての女性の姿を今日に紹介してくれているが、その姿は市井の「モガ」ではなく上流階級のやんごとなき姫君達を写したもののように見受けられる。


写真の中で結婚式か、あるいは相当な儀式に出席されている恐らく皇族の女性に注目してみよう。


前髪が短い!!

短すぎるほど短いし、それがオシャレかとなんともかんとも云々だが、とにかく高貴な方にも好かれる短め前髪。この髪型は洋風化な流行の一つとして作られたものではないかと思う。


髪型の洋服化といえば、上流社会でもやはり耳隠しが大流行り。一方で、断髪のほかモガらしき姿は見られない。やんごとなき姫君が「断髪」や「モガ」になるのはなかなか許されないことだったのかも知れない。


その代わりに流行していたのが「マーガレット」と呼ばれる三つ編みアレンジのヘアスタイルである。後ろ姿もお嬢様らしく欧州貴族のようで漫画「ハイカラさんが通る」などに出てきそうである。


下の写真も両家の子女か?着物姿だが襟元の星柄スカーフが目新しくオシャレだ。そして、この女性も眉毛より上のラインで前髪を切りそろえている。

スカーフはお洒落だし、たぶん明治とか大正時代あたりの方なので格好良く見えるけど、ちょうど顔だけ見ると前髪の長さや顔立ちがわたしに似ているような気がする。やっぱり着物のほうが良さそう。。。少なくとも、この顔立ちと髪型でウエディングドレスってどんだけ盛ってもオードリーにはならんよな。もう笑うしかありません。


もともと日本髪の場合、前髪は子供の象徴で一定の年齢になれば必ず上げるものだった。その風習は島崎藤村の「初恋」の冒頭、「まだ上げ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」という一節からもうかがい知ることができる。


日本髪を結っていた時代、前髪に対する捉え方は「成人前の子供」だったから成人女性が前髪を作ることはなかった。ということはやはり前髪の文化(大人が前髪を作っても良い)は西洋から渡ってきたのだろうか。

続いて1934年の写真。白黒ばかりが続いたので彩色してあるだけでカラフルな感じを受ける。

ここでオカッパ頭登場。当時はたぶん流行の最先端を行く洒落た髪型だったようだ。


ただオカッパ頭とワンピースの相性はあまり良くなさそう。髪型よりも着ている服がとてもお洒落な印象。お嬢様女子校の制服みたいな感じだ。


続いてヘアアレンジ編。 

「若奥様向」「令嬢向」は良いけど「中年向」ってなんかヒドくない?


こちらは戦前期の『婦人画報』的な雑誌に掲載された記事かと思われる。バックスタイルがクルクルと思いっきり巻き上げられていて特徴的だ。この辺りはフランスを中心に1930年代頃に流行したアールデコスタイルのファッションセンスを受け継いでいるように感じる。


日本に本格的な西洋の服飾文化が入ってきた1860年代は、英国のヴィクトリア朝ファッションが流行しており、いま改めて絵画などを見ると日本人が着ている洋装が英国あたりの影響を強く受けていることが分かる。

この絵のような女性が鹿鳴館にたくさんいたのだろう。

男性の服装もどこかで見覚えのあるスタイル。

と思ったら明治から大正時代にかけての日本人男性の服装に似ていた。


袴姿の男性が混ざっていて、全体的にとても粋な雰囲気を漂わせている。


ヴィクトリア朝からアール・デコ期の服装は、堅苦しいスタイルから現代に通じる動きやすいものに変わる変遷期で、とても洗練されたデザインなので未だ根強い人気を誇っている。


日本人は今もファッションに敏感な人が多いが、女性も男性も特に戦前はとてもお洒落だったんだなと改めて実感した。


女性なら一度は子供の頃憧れた、ザ・プリンセスというイメージのふっくらしたドレスもヴィクトリア朝のデザインだ。

ファッションの変遷まで話がだいぶ飛んでしまったが、最後に戦時中のヘアアレンジについて少し言及して今回の記事を締めにしようと思う。

 

西洋のファッションについては歴史や芸術とともに非常に興味のある分野なので、またいずれ深く調べて記事にしていきたい。


さて、戦時中のヘアアレンジだが、ここでは「三角巾」を利用したものを多く紹介しているのが特徴的である。

「三角巾」は髪の毛を清潔にまとめる以外に、急な怪我の手当てに使うことも出来るため、戦時色が濃くなるにつれ推奨される頻度が上がった。


しかしヘアアレンジを見る限り、邪魔にならないようにまとめる必要はあるが、思いの外お洒落な印象を受けた。


特に三つ編みを交差させて作るシニヨンのような頭は、今でもフォーマルな席になる時など活用出来そうだ。


戦時中でもヘアアレンジを紹介するような記事があったということは、案外「パーマ」などを禁じているだけでスタイル的には出来る範囲でお洒落を追求していたのではないか、そう思って婦人用の国民服を検索してみた結果、あっと声に出して驚いてしまった。

戦争を知らない私は終戦直前の悲惨な時期のイメージが強く、女性のファッションといえば戦火に逃げ惑うもんぺ姿しか思い浮かばないのだが、存外にファッショナブルなワンピースが婦人用の国民服として採用されていたようである。


このファッションセンスは当時同盟国だったドイツ(ナチス・ドイツ)の影響を受けていると思われる。

ナチの制服はデザインセンスだけを問うなら今でも世界最高クラスだと感じる。一部では「ココシャネルがデザインした」と噂されているが、それも納得のハイセンスなスタイルだ。


太平洋戦争当時、実際の写真ではやはりもんぺ姿の女性が目立つが、一方で歴史の一部として学ぶときについ、その時代にも自分たちと同じような同じ年代の女性がたくさんいて、今とそれほど変わらない感性で生きていたのだということを忘れがちだ。


だからこそ、時折こうして、お堅い歴史ではなく、ファッションなどの観点から歴史を探ってみると、一層身近に感じられるのではないかと思った。