【旅の計画】タルクィニア・モンテロッツィのネクロポリ
5月に予定しているローマ旅行では、中3日を使ってプラハに行くが、それ以外にもローマ近郊都市へと足を延ばそうと考えている。
色々候補を挙げて母と相談した結果、行き先はエトルリア時代の大都市タルクィニアに決定した。
ローマの先住民族であるエトルリア人は現在イタリア人が使うラテン語系の民族(インド・ヨーロッパ語族には属さないエトルリア語を使用していたそうで、その文化はどちらかというとギリシャ色の強い古代ローマ文化と違って中近東の香りが漂う。
イタリア半島中部、ちょうど今のローマ・フィウミチーノ空港周辺に文化を築いていたが、古代ローマ人やカルタゴ、ゴート族などの侵略もあり、徐々に古代ローマ人と同化して文化は消滅した。
しかし、歴史に残る登場年は古代ローマよりも古く、初期のローマ人はエトルリアの高度な文化を模倣したといわれている。実際、古代ローマの建築物に特徴的なアーチは元々エトルリア文化の特徴だったそうだ。また、初期の王制ローマの王はエトルリア人であったとも言われ、異民族の王を追放することによってローマは初期の共和制に移行した。
タルクィニアはローマからピサ行きのローカル線に乗って約1時間の場所にある。海に近い海洋都市で、駅からバスに乗って10分ほど行くと旧市街に出る。 エトルリア時代の大都市で起源は紀元前11世紀頃にさかのぼるそうだ。
この旧市街から徒歩で約20分行くと「モンテロッツィのネクロポリ」がある。
「モンテロッツィのネクロポリ」は岩を切り刻んで造った6,000以上の墳墓が発掘されており、そのうち200の墳墓内部が鮮やかな壁画で装飾されているそうだ。
この墳墓内の壁画は、日本国内の徳島県鳴門にある『大塚美術館』で環境展示として再現されている。
『鳥占い師の墓』にある壁画で、『大塚美術館』に訪れるたび、かなり長い時間をここで過ごしていたため、今回の旅で本物を間近に見れると思うと嬉しくて仕方がない。
日本にはエトルリアの文献がほとんどないので、1973年出版の古本をAmazonで購入した。
たまたまだが、「チャタレイ夫人の恋人」の著者が書いたもので、随分と古い時代の描写にはなるがタルクィニアについては思っていたよりしっかり一つ一つの壁画に解説をつけてくれているので、現地で役に立ちそうだ。
タルクィニアから25kmほど離れたチェルヴェテリという街もエトルリア人が築いた都市であり、エトルリア文明を色濃く残す墳墓群がある。このチェルヴェテリのネクロポリとタルクィニアのネクロポリは2つ合わせて2004年に世界遺産登録されている。