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豊橋さんぽ:葦毛湿原

2021.12.26 11:00

豊橋には湿原がある

「豊橋には湿原がある」 ――そう聞いたとき、一体豊橋のどこに湿原があるのか、全く見当がつかなかった。

豊橋市は愛知県のなかで五指に入る大都市で、大変バラエティに富んだ土地である。東は弓張山地、南は丘陵が断崖となって遠州灘に切れ落ち、西に工業地帯を擁し、北は豊川を挟んで豊川市へと続く大都市圏となっている。とはいえ、弓張山地は高山ではなく、丘陵は概して水はけがよいもので、工業地帯と都市部は開発が進んでいるため、じめじめとした原っぱの在処などどこにもないと考えられた。

それもそのはず、私は湿原について大きな誤解をしていたのだ。それらの誤解を解く過程をたどりつつ、豊橋にある湿原とはいかなるものであるのか、皆さんに説明しよう。


湿原とはなにか?

「湿原とはなにか?」この問いに対して適切に答えることは意外に難しい。湿原の定義は分野によって異なるため、簡潔な説明を見つけることはできなかったのだ。

よく見かける説明は「低温過湿な環境で泥炭が堆積してできる地形が湿原である」というものだが、これに当てはまらない湿原も存在するし、「湿原性の植物が生えているところが湿原である」といった、思わず首をかしげるような説明もみられた。

なお、「湿地」は「湿原」よりも広い概念で、湖沼などの完全に水没している地形や、田んぼなどの人工的な地形などを含み、湿地は必ずしも湿原ではないので注意されたい。

低温過湿な環境で泥炭が堆積してできた湿原といえば、日本国内で最も有名かつ典型的なものが釧路湿原だ。泥炭地は水はけが悪く、釧路川によって絶えず過剰な水分が供給されているため、さらに泥炭の堆積が進んでいく。このサイクルによって森林の進出が阻まれ、独特の景観を維持し続けているのである。

では、豊橋のどこに広大な湿原があるのだろうか? 実は、「現存しない」が答えである。広大な沖積平野は稲作の発達とともに水田として開発され、現在では宅地となっている地域も多い。ロワジールホテル豊橋から景色を眺めてわかる通り、広大な湿原などどこにもないのだ。なお、豊橋市の最高地点は標高464mであるため、高山湿原も存在し得ない。


葦毛湿原

さて、前置きが長くなったが、今回紹介する湿原は「葦毛湿原」である。

ちなみに、読み方は「あしげしつげん」ではないのだが、この地名は源頼朝と葦毛(あしげ)の馬にまつわる伝説に由来するようで、素直に「あしげ」と読まないことはなんとも不思議だ。

この葦毛湿原は、「湧水湿原」と呼ばれるタイプの湿原で、常に湧水が土壌を洗い流し続けているために一帯の栄養が乏しく、また常に過湿であるために森林が進出できずにいる地形である。

湧水湿原自体がそもそも希少であるほか、標高60~70m程度であるにもかかわらず高山植物が自生している、東海地方に特有の植物がみられるなど、その植生は独特である。これらの希少性からか、愛知県の天然記念物に指定されている。


葦毛湿原の地質的特徴

葦毛湿原は弓張山地の末端部に存在する。チャートという硬く水を通しにくい地層が表出しているところに絶えず水が湧き続けているため、湧水湿原が成立しているのだ。チャートの層は斜度が5%ほどだが、背後の山地は斜度が20~30%である。この急激な斜度の変化が湧水をもたらすとともに、チャートの層がちょうどいい傾斜となっているために水が淀まず、急速に流れゆくこともない。この絶妙な斜度のおかげで、貧栄養でありながら常に水に涵養されている状態が保たれている。

ところで、日本の国土の3分の2は森林である。これはつまり、日本の多くの地域は「森林に向いている」ということを意味する。葦毛湿原がこれまで森林の進出を阻み続けてきた要因のひとつは、間違いなくこのチャートである。葦毛湿原の周囲に生えている樹木のなかには、根が地表付近を這うように張っているものがみられる。これは、樹木の根はチャートを突き破って深くに根を張ることができない、ということを意味していて、チャートの地層が樹木にとって過酷な環境であることを物語っている。


植生

樹木が根を張ることができないチャートの地層を、栄養に乏しい湧水が絶えず洗い流していても、逞しく生育する植物はあるものだ。コケや食虫植物、高山植物など、栄養の乏しいところにはそれに適した植物が自生している。そのうちのいくつかをご紹介しよう。

サワギキョウ

茎の上部にある膨らみのひとつひとつが花を咲かせる。下の方から開花していく性質があるため、上端のみ花が咲いているこの写真は花期の終わり頃をとらえたものである。

シラタマホシクサ

写真の小さな白い点々はすべてシラタマホシクサの花だ。他の花と比べても華奢であるが、見かけによらず丈夫であり、初秋から晩秋まで花が咲き続ける。

ヤマラッキョウ

ラッキョウという名の通り葉や茎は食べることができるが、湿原内で採取を行うことは禁止されている。

取材に訪れた時期が11月初頭であったため、観察される植物の種類には限りがあったが、季節によってはミカワシンジュガヤやミカワバイケイソウなどの東海地方に固有の種や、ヒメミミカキグサなどの絶滅危惧種を観察することができる。皆さんには、ぜひ四季折々の葦毛湿原に足を運んでみてほしいと思う。


人間の活動と湿原

葦毛湿原が森林化の圧力から守られている要因の1つはチャートの地層である、ということは先述したとおりだが、それでも最終的に森林へ遷移してしまうものと考えられている。では、なぜ今日まで葦毛湿原は湿原のままでいることができたのだろうか。

これには人間の活動が深く関わっている。1960年代の写真では周囲の山々を含めて木々はまばらであることが確認できるが、1980年代の写真では森林と呼ぶのがふさわしいほどに木々が茂っている。この時期に森林化が急速に進んだことは偶然ではなく、一般家庭にガスが普及したことにより森林の伐採が激減したことが大きな要因だ(他には植林活動の影響などもある)。

このことは、放っておけばものの数十年で葦毛湿原は森林と化してしまうかもしれない、ということを示唆している。そして、近隣の住民はそれに逆らうことができる分、相当量の森林を伐採してきたのだ。

すなわち、人間の活動なしには、葦毛湿原はその姿を保ち続けることはできないということであり、実際に今日では様々な保護活動によって葦毛湿原の景観は維持されている。

環境の「保護」は、とにかく人間が手を加えずにそのままにしておくことだけで達成できるものではない、ということである。さかのぼれば1500年以上にわたって、人々は葦毛湿原の近隣で生活をしてきた。時代によって目的は異なれど、長きにわたって手を加えてきたものをいきなり放り出してしまったとしたら、はたしてそれは本当に「自然」なのだろうか。

これはよく「里山の自然」などという文脈で登場する問題提起だ。人間が程よく手を加えてきた環境が近代化とともに放置され、荒廃してしまうことで生態系の変化などが引き起こされることを問題視するものであり、人間もまた自然の一部であるということを説いている。

一方で、「保護」と銘打って様々に手を加えることの意味もよく検討されなければならない。あくまで、保護の必要性から活動まですべて、人間の要請に基づいているのであり、環境を保護するという発想自体が人間中心的なものだ。

自然の営みとは異なり、人間の判断は恣意的である。人間中心的であるということは、自然に対して価値判断を行い、ここからここまでは保護すべきである、と線引きをすることだ。このことに自覚的でなければ、いたずらに自然を毀損してしまうことに繋がりかねない。

そして、様々な選択肢のなかから豊橋の人々が選んだのは、葦毛湿原のあるべき姿を見定め、手を加え守り続けていくことだった。このことについては賛否両論あろうが、人々が信念に基づき行動し、実際に湿原を森林化の圧力から守りぬいてきたことには敬意を表したい。

あらゆる物事はなにかに向かおうとする力をもっていて、その相互作用によって現在のありようが形作られている。森林化しようとする木々の力、森林の生育を阻むチャートの力、栄養を押し流し湿潤をもたらす湧水の力、そこに生きようとする動植物の力、そして、湿原を理想の姿にとどめておこうとする人々の力。これらの力が、葦毛湿原のこれからを形作っていくのである。