「春の遺伝子」 稽古場レビュー
公演を二週間後に控えた稽古場にお邪魔した。
目を引いたのは冒頭の場面。研究者たちが物言いたげな身体で客席に無言で詰め寄って来て、「華々しく」「異常な」息づかいが迫ってくる緊張感。「は」「ハ」「Ha」「!」「?」息を吐く、息を吸う。巻き込まれてたまるか、と思ってこちらの呼吸を守ろうとしても、身体と手が運んでくるのは「その研究が成功した時の異常性。肯定的な成果だとは手放しで喜べないものをやり遂げた達成感と、歪んだ尊厳を、華々しく讃える拍手」の迫力である。演出の角ひろみさんは「バランスを崩すための不作法と、崩れたバランスを面白がる乗り熟し」を要求し、その言葉を受けて俳優同士が懸命にやりとりの質感を探り続けている。
物語の中心にいるのは、放射性物質により汚染された帰還困難区域で保護された、記憶のない男。記憶は「ない」のか「失われた」のか、わからない。「人間」の世界に戸惑うこともできない彼の前に、研究者である姉が現れる。姉は疑念と矛盾を抱きながらも、自分の手探りの働きかけに彼が触発される手ごたえを手放せなくなっていく…。
この日の稽古では、このプロセスを丁寧に組み上げていた。演じるやすこさんによれば、姉は「関わることで、『記憶のない男(ヒデ)』を照らす存在」であり、「何のきっかけもなかったら探しには行っていない。稽古で関わり合う時間が増える中で、私のアプローチが彼の存在の質を変えていくのを感じる」「角さんが言う『影響し合って』をずっと意識している。物語が傾く時に『空気の引っ張り合い』が常に変化する。これを効果的に見せるように出来たらと考えていて…まだ思うようには出来てないですけど(笑)」普段は丸くて優しい彼女の眼差しに、こちらが逆に緊張させられた。
物語が二部に進むと、飽くまで人工的な存在である「記憶のない男」の意味は、監視する者・権力・迷いのない研究者・願いを抱く医師、世間の人々、情報を消費するだけのメディア、それぞれにとって別の異様さを深めていく。最先端AIである「深海」の力をも巻き込み、混乱した空気が錯綜する。
強い台詞と短いシーンを積み重ねて構成された台本の展開は、目まぐるしい。その中で「同一人物の集中力を切らさないように」と、演出の角さんからの要求は厳しく、繊細で複雑で矛盾がかき立てられて、息つく隙がない。
その中で姉は謎の解明のために、帰還困難区域へと向かい、稼働し続ける無人研究施設に足を踏み入れることになる。そこで、不穏な社会を背負うジャーナリスト(三村晃庸)に再会する。「ふたりのシーンは緊張するし、好きなシーン。住む世界も遠く、全く色のちがう人間同士、台詞と裏腹に空気が混ざっていく感じ」と語る三村さんにとって、ジャーナリストは「蓋を開けて踏み込んでいく人」。「一般の人ではなくて、よろしくない社会の方に近い。その世界を知ってるからこその人間臭さがある。帰還困難区域があるような状況で、実は訴えたいことをずっと抱えながら自分も直視せずにいたのだが、姉に出会うことで、自分が蓋をしてたものを自分で開けることになる。」
三村さんから見ると、ヒデは「人の話を聞かない、自分の世界に入っている、見るものは自分の目に見えてるものだけ、関わっているようで人を遮断している」と、現代の私たちに最も近い存在とのこと。物語の登場人物それぞれを現実社会の誰と重ねるか、という視点もこの物語の見所といえる。
人間性とは何か、彼は人間なのか。つい最近提示された臓器移植のニュースも、私たちの生命倫理を土台から揺さぶり続けている。戸惑う私たちの前に、舞台「春の遺伝子」は、はっきりと決断を下す。それを安全地帯で受けとめることが出来るかどうか、観客席は人間としてのあり方を試されているのかもしれない。
稽古場では「リアルな人間がいる世界の、リアルじゃない感じ」が醸成されつつある。一人ひとりが事実として存在している、それを積み上げた先に、まだ誰も経験していない世界が浮かび上がってくる。「空気の引っ張り合い」はまるで生き物のように舞台に蠢いていて、全4回の公演それぞれが微妙に変容するはずだ。一度しか見ないのは、惜しいと結ばざるを得ない。
(文/スミカオリ 写真:yukiwo、坂下丈太郎)