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ローマ郊外ティヴォリ珍道中【2016.7イタリアン旅行記9】

2017.05.25 14:42

2016年7月イタリア旅行記。

前回までの経緯はコチラ⬇︎

フィレンツェから帰って来た日は母とわたし、ふたりとも疲れてグダグダだった。


しかし翌朝起きた瞬間、

どっか行こう!

と張り切る母上。


旅も6日目になるとだいぶ記憶が薄れて来ているけど、

本来、新婚旅行になるはずだったこのイタリア旅行。

母と二人で遊ぶとは思っていなかったので、かなりの行き当たりばったり状態だった。


ティヴォリも、昨夜「地球の歩き方」を見て行きたくなったらしい。


まぁ時間はあるし、買い物ばかりしててもアレだし、

とにかく暑い!

もう暑いしか書いてないけどね、マジで暑すぎてこんなとき、日本だったら一歩も外出ねーよみたいな感じだったし、実際ローマもランチタイムから夕方までゴーストタウンみたいになってからね。


でも、限られた時間は有効に使わねばならぬ!


というわけで、まずはホテルマンにティヴォリまでの行き方を聞いてみることに。


後になって思い返してみると、この郊外の旅がまた面白くて、母の提案の素晴らしさを改めて実感したのだった。


ティヴォリの行き方

ホテルマンに聞くと、

とのことだった。


地下鉄B線はホテルからアクセスが良いので、早速行ってみよー!とやる気になった二人。


朝食もそぞろに準備をして出発。


しかしいきなりの落とし穴が待ち受けていた。


地下鉄B線「Castro Pretorio」から乗車したのだが乗った電車が、

逆方向だった。


コロッセオで気付いて、改めて乗り直す。

今度こそと思ったら、

Jonio行きだった。

ちょうど電車に乗る直前、やってきた車両に「Jonio」と書いていて、

ジョニオだって!うちの犬(ジョニー)みたい。

と興奮しながらも心のどこかで、

これは路線が違うから「Bologha」で乗り換えないと。

と分かってたんだ!


分かっていたのに…


ジョニオに着いた。

(。º̩̩́⌓º̩̩̀).゜

気を取り直してもう一度「Bologha」まで戻り、そこから「Rebibbia」行きの列車に乗る。


変なタイムロスで暗雲垂れ込めているにも関わらず爆笑できるところが似た者母娘の旅の醍醐味かもしれない。


「Mammlo」駅からのバスは、駅の構内にあるタバッキ(キオスクみたいなやつ)で買えた。1.3€かなんだかでめちゃ安かった。


駅を出てすぐにバスの乗り場があるんだけど、どこに行けば良いか分からず悩んでいたらほかの観光客(欧米人風)に「Villa d'este行くの?じゃあ一緒だよ。」と教えてもらい、無事に乗車できた。


古代ローマ時代から続く石畳の上を走るバスは乗り心地が悪かったけど、車窓から見るローマ郊外の風景は緑豊かな夏場ということもあり、とても綺麗だった。


写真ないけどね(笑)


Villa d'este

「ヴィラ・デ・エステ」はホテルマンに言われた通り「Piazza Galibardi」で降りてすぐの場所にあった。

    

ティヴォリに近いこの街は古代ローマ時代、特に別荘地や浴場作りにこだわったというハドリアヌス帝が避暑地にしていたというだけあって、ローマ市内より数度、気温が低いように感じられた。


高地にあるから当然なんだけど、その涼しさに救われて俄然元気になるわたし達。


ただしハドリアヌス帝の別荘は「Villa adriana」のほうで、ヴィラ・デ・エステはそれよりもだいぶ後の16世紀に当時北イタリアを中心に隆盛を誇っていた貴族エステ家が別荘として建てたものだ。

その栄華を現代に伝えるヴィラ・デ・エステは入り口のある広場より緑豊かな庭園を抜けて小高い丘の上に要塞のような堅固な建物を残している。


眺めも綺麗で、しかも涼しい!こんな場所を避暑地にしてたなんて、

エステ家うらやまし過ぎ!


屋敷の内部はルネサンス後期の特徴を持つ豪華な装飾が至る所に施されていた。

この絵画!彫刻!

見て回っているだけでもエステ家のお嬢様になった気分だ。

全体的に見られるちょっと不思議な装飾は「グロテスク紋様」といってルネサンス後期の芸術家が好んだデザインだ。


人間のデッサンも少し変わっているし、奇妙な生き物やなどの描写も目立つ。


もともとは古代ローマを起源とする異様な人物や動植物とともに曲線模様をあしらったデザインを指しているのだが、この模様が「グロテスク装飾」と呼ばれるようになったのは古代ローマ時代の悪名高い皇帝ネロがドムス・アウレアにこのような装飾を施したからであり、語源は「洞窟」を意味するイタリア語「Grotta」だといわれている。


15世紀にドムス・アウレアが再発見された以降に模倣されるようになっため、この頃の宮殿などの建物の装飾に多く用いられている。


言わずもがな、この「異様な模様」を表す「グロテスク」は、

「グロい」の語源でもある。


「グロい」のイメージとはちょっと違うけど笑

建物の外側も重厚な造りだ。

そして何より景色が良い。


やはり古今東西、金持ちは高いところを好むのだなぁと、ちょっとゲスい感想を抱いた。

ローマって海は近いイメージあったけど、郊外に移動すると一気に山も近くなることを初めて知った。

人とものの運搬が盛んで街を敵から守らなければならなかった古代に栄えたのも分かる気がする。

なんかよく分からんけど綺麗な作り物の紅葉と馬。エステ家が別荘地として使っていた時は厩舎だったのかしら?それにしては豪華。

ここが厩舎だったとしたら、今わたしが住んでいる家は厩舎以下で、わたしは馬以下ってことになる。


うまぁ、馬より役に立つ自信はないから仕方がないか。

ティヴォリの街並みをバックにフィレンツェ坊やとキティーちゃん2ショット。


ちなみに、クソどーでも良いけど、このキティーちゃん2017年1月のイタリア旅行でどこかに落としてしまったらしい。


誰か心優しいローマの人が拾ってくれていたら良いけど。

これまたグロテスク模様が目立つ、美しい装飾の天井。

グロテスク模様は特にラファエロが中心となって復興させたといわれていて、

「ラファエレスク紋様」

とも呼ばれているそうだ。


そういえばローマにあるラファエロが内部装飾を手がけた「ファルネジーナ荘」でもグロテスク模様を多く見かけた。

ヴィラ・デ・エステといえば敷地内に広がる美しい庭園とともに、数々の噴水も有名だ。


壮大な滝の前で記念撮影。

こんな噴水が別荘の敷地内にあると言うのだから、エステ家の栄華は想像を絶する。


ちなみに敷地の広さは4.5ha。

よくある表現で説明すると、

東京ドームとほぼ同じサイズである。

つまり東京ドームがある一族のためだけに提供されたようなイメージだ。


さらに、庭園内に設置された噴水はギリシャ・ローマ時代をモチーフにしたものが、

なんと500ほどもあるそうだ。


「イタリア一美しい噴水庭園」と称されるヴィラ・デ・エステ家別荘の中でも、宮殿前で優美にその姿を飾るこの噴水は一番有名だ。


知名度が高い理由にはもちろんその美しさもあるが、繊細な水の動きを芸術作品のように表現するこの噴水を見た、

フランツ・リストの作品の影響もあるだろう。

彼はこの庭園をモチーフにした曲を3つ書き上げており、中でも『エステ荘の噴水』は壮麗に吹き上げる噴水を表題とした曲として名を馳せている。


なんとこの噴水、一定の時間帯に水圧によってオルガン演奏を行うということでも有名で、

別名「オルガンの噴水」

とも呼ばれているそうだ。


わたし達が散策しているときにも演奏が始まったので、動画撮影をした。

ちょっと離れていたので音がハッキリとは聴こえていないが、素敵な体験が出来た。

こちらは噴水の逆側。大きな池になっていて、青空や背の高い木々が映り込み、美しい反射を作り出している。

フィレンツェ坊や記念撮影。

ヴィラ・デ・エステを散策する猫ちゃん。

噴水の周りはとても涼しいので、暑がりの猫ちゃんも動き回っていた。

こんな庭園で隠れんぼとかして遊んだら楽しいんだろうな。

(発想が貧弱w)

こちらも上から見た庭園。

今でも観光地として、しっかり手入れされているので、エステ家が避暑地として使っていた雰囲気をそのまま味わえる。

ヴィラ・デ・エステを出たわたし達は、Piazza Galibardiでランチを取り、さらなる大冒険「ヴィラ・アドリアーナ行」に出かけた。