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超人ザオタル(44)道への覚悟

2021.11.30 00:09

困惑していたふたりの顔に静けさが戻ってきた。

「ふたりの気持ちはよく分かるよ。

これも道なのだ。

足で歩く道ではなく、そういった気づきの変化を行く道だ。


それが新しい道になったのだ。

つまり心の道だ。

ただ、道の目指すところは同じだ。

自分とは誰なのか。


自分とは誰なのか、だ。

瞑想の心地いい体験を求めているのではない。

もちろん静けさや思考や夢を求めているのでもない。

いまは自分とは誰なのかだけを求めるときなのだ。


いままでの自分の思考は当然、このことに批判的になる。

それがそれまでの生き方とはまったく違ったものになるからだ。

そこにいたたまれなくなることもあるだろう。

そんなことに意味はあるのかと何度も自問する。


だが、そんな問い掛けに答えられるわけもない。

何しろ、その自分が誰かなど、まだ皆目見当がつかないのだ。

思考にはいままでの実績というものがある。

それに従ってこれまで生きてこられた。


そうして幸せな生活を築いてきた。

それを踏み越えてまで、そんな自分を求める必要があるのか理解できない。

瞑想者は必ずこの壁にぶち当たる。

そして、ほとんどの場合、その思考に負けて潰えてしまうのだ。


自分とは誰かという道はそこで失われてしまう。

そして世界での堅実な実生活に戻っていくのだ。

そこで歓びを見つけ、満たされて生きていく。

それが儚いものだと知っていたとしてもだ。


ある意味、そうなることも必要なのかもしれない。

道が誰かを拒絶することはない。

人が道を拒絶するだけだ。

そうして道を拒絶しても、まだ道の上に立っている。


そう知るときが必ずやってくる。

そして、そこからまた一歩を踏み出せば、すぐに道に戻るのだ。

瞑想でのことをどう捉えるかは二人の自由だ。

だが、そこにしか道はないとふたりとも知っているだろう。


この壁を超えていくのだ。

そして自分は誰なのかだけを静けさの中に見出すのだ。

そうすれば、また道は輝きを取り戻していくだろう。

いや、それはさらに過酷な道かもしれない。


しかも理不尽な過酷さがそこにはある。

自分を知ったとしても、何の利益もないのだ。

何の利益もないことを続けていくことは困難を極める。

終着地でさえ何処にあるかも分からず、それがあるかどうかも確かではない。


この道に必要なことは覚悟だ。

真実には何の利益もないことを潔く受け止めて歩いていく。

思考や周りの人間は批判的になるだろう。

もちろん、この道が必ず正しくて成功する保証などもない。


もしかすると大嘘かもしれないのだ。

いや、それは少し言いすぎかもしれないが。

ただ、偽りか真実かは自分で確かめていくことになる。

誰かの言葉を信じる必要はない。


自分で足元を踏みしめながら、その一歩を自らの力で踏み出していく。

油断なく絶え間なく、目を見開いて進むのだ。

これが瞑想の道であり、自分を知るための探求の旅なのだ」

私が言葉を終えると、部屋はあの静けさで満たされていた。