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本当の成果.

2021.12.01 04:27

わたしたちは


成果=報酬、成績、売上



と、信じている。

モノを売ってお金を得る

それが成果。


カウンセリングをしてお代をいただく。

そのお代が成果。


勉強を教えて生徒の成績があがる。

それが成果。


情報を与えて多くのひとを動員する。

それが成果。


診察をして、薬を出して診療報酬を得る。

それが成果。


だがしかし。



成果はいつもその先にある。



売ったモノがお客様の幸せに繋がる瞬間



カウンセリングを受けてくださった方が、数ヶ月後に新たな心象風景を生き始める瞬間



学んだ生徒が、望んだ進路に進み夢を叶えた瞬間



情報を得た多くの人が、楽しさや安心感を得られた瞬間



診察をして治癒、寛解した患者さんが、生きる希望を見出した瞬間




本当の成果にはいつも

タイムラグがある。




お代をいただいたり、

成績が上がったりしたときに

終わったと、思いがちだけど。



実は何かを手渡して

一定の期間、年数が過ぎてから

忘れたころにどこかで花が咲く。



手渡した方も

受け取った方も

忘れた頃に成果がでる。





わたしのしたことは

何の役にも立たなかった。

結局は無意味だった。

ひとはわたしを忘れて去っていくと、、


ひとは、寂しい方に理解する。




それはとても寂しい考え方だと思う。

本当に。




わたしもずいぶん長い間、この寂しい考え方をしていた。



どんなに子育てに苦労しても、どうせ誰もわたしのことなんか見ていない。大人になったら、わたしのことなんか忘れ去られるんだわ、と。お嫁さんとして家や家族に尽くしても、所詮他人なんだわ、と。





事務の仕事をしていたときもどこかで、主役はあちらで、わたしは黒子。影の存在。代わりなんかいくらでもいる。わたしでなくてもいいんだろう、、と。



拗ねまくっていた(〃ω〃)hehehe




だけどある時気づいたのだ。


わたしは忘れていない。と。


あの時、友が優しい声をかけてくれたことを。母の手料理の温かさを、父の厳しい愛の一言を。



共に働いたひとたちとの、たわいもない語らいの愉しさを。



家族で過ごしたなんでもない穏やかな日々を。



わたしは忘れてはいない。



なかったことになんてなっていない。



今は目の前において触れることはできなくても、その幸せな瞬間は確かにあった。



カウンセリングを受けて

その中のほんのひとことだけを持ち帰り、

魂の気づきにしていただけたなら本望である。



それはその方だけの

無形の財産となり決して失われることはないのだから。



心を込めて手渡したものは

いつか、誰かの幸せの瞬間に繋がっている


それが循環して自分の元に巡ってくる。



だから、どんなことだって感謝して素直に受け取ればいい。遠慮はいらない。



あなたが幸せを感じた瞬間に

それは、手渡してくれた誰かの

本当の成果になるのだから。





Thank you for reading my blog.

Sofie KT.