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磁力と魔力。

2021.12.06 15:00

Naoyaです。

11月の末、久しぶりに京都へ行ってきました。数えたら、1年10か月ぶり。行かなかったしばらくの間、我慢している気持ちはまったくありませんでした。いつも京都に行くときは、磁力のようなものに引っ張られる感じがして、そのタイミングで自分にGOサインを出して行くのです。この行かなかった期間は、磁力なようなものがほとんど作動しなかったと言ってもいいかもしれません。僕にとっての旅は磁力や引力が連なって、セレンディピティが起きるもの。「呼ばれる」というあの感覚に近いです。

新幹線に乗って西へ向かっているときは、音楽を聴きながらも車窓の風景を眺めています。本を読むとかスマホをいじることよりも、移動している時間を味わいます。今日の表情はどんな感じかなぁと富士山を眺めるとか、浜名湖の湖上を走るときの車体がやや右側に傾く感覚を味わうとか、木曽川の水面に反射する太陽のきらめきとか、晴れていた空の陽がちょっと曇ってエリアによって天気が微妙に移ろっていく様子とか、欠かさず惹きつけられるポイントがいくつかあります。

今回の京都では、いくつかのミッションがありました。すべてのミッションを終えてバスに乗ったら、間違った路線に乗ってしまったのですが、時間に余裕もあることだし、ちょっと遠回りだけど目的地に近い場所も通るからいいや、と思ってそのままでいたところ、同志社大学の前を通りました。

「へぇ、同志社ってここにあったんだ」

同志社大学は僕の祖父の母校。祖父は父が幼い頃に亡くなっているので会ったことはありませんが、年を重ねた今の自分がとても惹かれる人物。うちの家系で京都や関西に縁のある人はまったくいませんが、唯一この祖父だけが京都と深い関係があります。そして、俳句の愛好者。ある日彼の写真を見たら時代にしてはとてもお洒落な服装で、偶然にも今の僕と似た髪型をしていました。父とは違っていて、祖父には僕との共通点がいくつもあることを最近知って、僕が引き寄せられるように京都に来るようになったのも、目には見えない磁力が作用しているのかなと思いました。祖父が見ていた京都の風景を、時代を超えて今自分が見ているのかと思うと胸がいっぱいになります。

同志社を過ぎると、今度は熊野神社に辿り着きました。京都熊野神社。京都にある熊野三山のひとつです。とっさにバスを降りて参拝していたら、いきなりの土砂降り。しばらく境内で雨宿りをしました。以前、熊野大社の本殿の前で祈り始めて、いきなり土砂降りになったことを思い出しました。浄化するような、歓迎するような雨。京都の熊野神社での雨も同じようなニュアンスでした。熊野でも京都でも、不思議なマジカルな出来事がよく起こります。

今日は二十四節気の21番目、大雪(たいせつ)です。ちょうど京都にいる間、冬の匂いをいろんなところで感じました。次の二十四節気は冬至です。

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