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のらくらり。

そして二度目の恋をする

2021.12.03 07:51

65話ベースのアルルイ。

ルイスによる兄様呼びが兄さん呼びに変化した理由のお話。


ウィリアム以外に初めて自分のことを見てくれた人。

自分を弟として迎え入れ、新しく兄になってくれた人。

そして何より、ルイスに初めての恋を教えてくれた人。

ルイスにとってのアルバート・ジェームズ・モリアーティとは、最初で最後の恋人だった。


「兄様と一緒にいると心臓がドキドキします」

「私もルイスと一緒にいるとドキドキしているよ。お揃いだな」

「お揃い…」


まだ精神的にも幼かったルイスに対し、ゆっくりと優しく恋を教えてくれたアルバート。

聞けば、アルバートも恋をするのは初めてだったという。

お互い初めて同士なのだからともに学んでいこうと言っていたのに、結局はアルバートの方が理解に早いようで、いつもルイスは彼の後を追いながら初めての恋を昇華していたように思う。

恋ゆえに生じる胸の高鳴りを異常ではないと教えてくれたのはウィリアムで、その高鳴りを段々と悪化させつつ優しく慈しんでくれたのはアルバートだった。

ルイスの恋はアルバート以外に存在しない。


「アルバート兄様」

「何だい、ルイス」

「…ふふ。呼んでみただけです、兄様」

「おや、可愛いことをするね」


誰より潔癖で、曲がったことが嫌いで、いつだって正しくあることを愛しているアルバート。

そんな彼は恋人である以前にルイスの兄だった。

ルイスはアルバートに拾われたためにモリアーティ家の養子として属している。

初めて彼のことを兄と呼んだときはとても緊張したし、いつもゆったりと余裕を構えている彼が驚きで目を見開いた姿は忘れようにも忘れられない。

間違えてしまっただろうかと真っ青になるルイスを優しく抱きしめ、嬉しいよ、と伝えてくれたアルバートの姿はまさしく兄だった。

まるでウィリアムの影を背負ったような、完璧で素晴らしい兄としての顔。

以来、ルイスはアルバートの名を呼ぶことを気に入っている。

ルイスにとって兄とは特別な存在だ。

自分の命を望み懸命に愛してくれたウィリアムと同じ立場になるのだから、他の何より「兄」という存在には形容しがたい特別を孕んでいる。

そんな特別へアルバートを置くことに、ルイスはとても安堵していた。


「そういえば…」

「何です?」

「昔からルイスは私のことを兄さんではなく兄様と呼ぶね。何か理由があるのかい?」

「…理由」


何気ない日常の瞬間に、ルイスは一度だけアルバートに尋ねられたことがある。

それがいつだったかももう分からない、ただルイスがアルバートのことを兄と呼んだ以降の話だということしか覚えていないほど、ありふれた日常の中の思い出話だ。

きっと彼も深く追求するつもりはない疑問だったのだと思う。

曖昧な返答をしたルイスへ朗らかに笑いかけながら見守っていた。


「…考えたこともありませんでした。アルバート兄様は僕にとっての兄様で…強いて言うならば、兄さんと呼ぶとウィリアム兄さんと紛らわしくなるからでしょうか?」

「ふ…私が聞いているのだから、私に尋ねられても分からないな」

「す、すみません」


あのときのアルバートは気にせず笑っているようにルイスの目には見えた。

問われるまで気にしたこともなかった、自分だけの彼への呼称。

よくよく考えてみれば彼を「アルバート様」と呼んでいたルイスが、弟になったことをきっかけに「アルバート兄様」と呼ぶようになるのはごく自然な流れだろう。

そのことに気が付かないほどアルバートは疎くない。

けれどルイスは深く気にしないまま、そうして彼と恋を深めていった。


「…きっと、あの人は分かっていたのでしょうね」


ルイスがアルバートを兄様と呼ぶ理由に、アルバートは一人気付いていたのだろう。

もしかするとウィリアムにも見当がついていたのかもしれない。

いつだって兄弟の中でルイスだけが疎くて、鈍くて、結局最後まで二人の間に入れてもらえなかったのだから。

けれどそんな自分のままではせっかく望まれ生きている命に申し訳がないと、ルイスは懸命に二人の兄に恥じない弟であろうと心に強く念じて生きてきた。

愛した人はどこにもいなくて、恋した人は己を拒絶し孤独を選んだ。

三年という長い時間が過ぎたというのに、今でもその事実はルイスの心を鋭く抉り取っている。


「アルバート兄様、か…」


ルイスにとって、アルバートは兄から恋人になってくれた人だ。

そして彼が兄になるよりも前、ルイスにとってのアルバートとは大嫌いな貴族でしかなかった。

最下層出身の孤児である自分とは遠く離れた場所にいる、この国の階級に選ばれた人。

大嫌いな貴族達と彼は違うのだと認識するまでに時間はかかったけれど、それを乗り越えてルイスは彼の弟になった。

貴族だったアルバートを、もう一人の兄として認めた。

ルイスがアルバートを「兄様」と呼ぶのは家族になりきれていなかったあの頃の名残りなのだろう。

アルバート・ジェームズ・モリアーティは僕とも兄さんとも違う世界の人間。

そんな無意識がルイスの中にあったからこそ、彼への呼称に様が抜けないまま兄と呼ぶようになったのだ。

どうやらルイス自身も気付かないまま、ルイスは彼に壁を作っていたらしい。

自分とアルバートは決して相容れない違う次元の人間なのだと、無意識に呼んでいた彼への呼び名がそう証明している。

アルバートの弟になろうと恋人になろうと関係ない。

初めての出会いが貴族と孤児だったのだから、無意識が根付いてしまうのは無理もないことだろう。

けれどそんな無意識がアルバートの心に僅かな影を作っていたからこそ、あの日のあの問いかけが生まれてしまったのだ。

ルイスはアルバートの恋人だったのに、アルバートに対しずっと距離を取っていた。


「…兄様」


世界でたった一人、彼のことを「アルバート兄様」と呼べるのはルイスしかいない。

その優越感に心地良さを感じない訳ではないけれど、敬愛する兄達と離れて一人生きている今のルイスにとっては空寒くなるような虚しさがあった。

ウィリアムもアルバートもいない生活に、ますますの距離を作って何になるというのだろう。

彼の後継である"M"として生きるルイスには途方もないほどに時間があって、そのほとんどをこの国のために費やしてきた。

そんな中で僅かにある自分のための時間に考えるのは、やはり大切な兄のことばかりだ。

ウィリアムはきっと生きている。

ルイスはそう信じて彼に恥じないようこの国を美しく保つために尽力している。

けれどアルバートは、己の罪と向き合うためルイスを拒絶して一人悔い改めている最中だ。

ウィリアムを思い出させる自分の顔は、きっとアルバートの後悔を後押ししてしまう。

それが分かっているからこそ、ルイスは彼と会うに会えなかった。




そんな日々にようやく終わりが来たのは、ルイスがずっと願ってやまない尊い時間が訪れた瞬間だった。


「私のせいですまなかった…」


そう言ったアルバートの顔は悲痛に染まっていて、けれどどこかスッキリしたような表情をしていた。

久しぶりに見る、ルイスにとって大切な恋人の顔。

過去に一度だけ幽閉されていた彼へ会いに行ったとき、その顔は暗く沈んでいたように思う。

それがこうも穏やかな顔をしているのは、間違いなく隣にいるウィリアムのおかげなのだろう。

ルイスは敬愛する兄が二人、自分の元に帰ってきてくれたのだという事実を一人静かに噛み締めた。

そうして一度だけ伏せた瞳を開け、強い意志を秘めた赤い瞳で恋しい人の顔を見る。


「謝る必要はありませんよ」


そう、謝る必要などどこにもない。

こうして自分の元へちゃんと帰ってきてくれただけで十分幸せだ。

彼らの分まで背負うと決めたのは他の誰でもないルイス自身で、二人のために生きると決めたあの日々と何ら変わりない毎日を過ごしていただけなのだから。

一人で過ごしてきた毎日は、決してアルバートのせいではない。

ルイスは本心からの言葉を返すとともに、今の彼を初めて呼んだ。


「アルバート兄さん」


大切な恋だった。

自分に初めての恋を教えてくれた、最初で最後の恋しい人。

かつて出会ったときとは違う、爵位も何も持たないアルバートはより一層に魅力的だ。

何の垣根もなく正真正銘同じ立場でアルバートと出会うのは、ルイスにとってはこれが初めてである。

貴族ではないアルバートはただひたすらにルイスの家族、大切な兄でしかない。

ルイスの兄で、そしてルイスの恋人だ。

もう彼に壁を作るような真似をしたくなかった。

様などと敬称を付けて自分からアルバートを遠くに追いやるような愚行を、ルイスはもう絶対にしたくない。


「…逞しくなったな…」


ルイスが初めて「兄様」ではなく「兄さん」と呼んだことに、アルバートならば気付いているはずだ。

もうあなたは貴族ではない、僕の大切な兄。

ルイスにとって絶対であるウィリアムと差異なく同等の兄であり、そして誰より恋しい大切な人。

初めての恋をともに育んできたあの日々を決して忘れはしないし、今もこれからもルイスにとって大切で淡い記憶の一つだ。

けれど無意識にアルバートに壁を作っていたあの頃の恋とはもう決別するのだと、長く離れていた彼ともう一度出会った瞬間にルイスはそう心に決めた。

あなたは僕の兄様ではなく、僕のもう一人の兄さん。

今のアルバートは貴族から兄に、そして恋人になってくれたあの頃の彼ではなく、ようやくまた出会えた恋しいお人。


「おかえりなさい、アルバート兄さん」


ルイスにとっての「アルバート兄様」とは、初めての恋を教えてくれた大切な人。

ルイスにとっての「アルバート兄さん」とは、二度目の恋を紡いでくれるだろう恋しい人。

自分の元に帰ってきてくれたことを、ルイスは心から嬉しく思う。


「ーーただいま、ルイス」


憤ることなくただひたすらに慈愛に満ちた精神で兄を迎え入れ、逞しくも美しく成長していた末の弟。

過去を抱えながらもしかと前に進むルイスの強さを見て、かつての恋人でありこれからの恋人となる彼はその眩しさに心を焼かれるようだった。




(兄様と、もう呼んではくれないんだね)

(えぇ。兄であるあなたに敬称を付けるなど、弟としても恋人としてもおかしいことでしょう?)

(…そうだな、その通りだ)

(もしご希望とあるならば今後も兄様とお呼びしますが)

(いや、今の呼び名で構わない。…ようやく、君の中での私が深い部分に入ったような心地だよ)

(…アルバート兄さんはいつだって僕の特別でした。僕の心の深い場所にいる、恋しい人でした。けれど無知だった僕が兄さんに壁を作っていたこと、これは言い訳しようもない事実です。長い時間すみませんでした、兄さん)

(っ、謝らないでくれ、ルイス。私は決して責めているわけではない。お前の特別であることなど分かっていたはずなのに、つまらない私欲に囚われていただけなのだから)

(…あのアルバート兄さんがそれほど僕を気にかけていたこと、時間が経った今こうして知ることが出来て嬉しいです。…アルバート兄さん)

(ルイス)

(僕とまた、恋をしていただけますか?)

(……あぁ。私の方からお願いしたいくらいだよ、ルイス)