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東回りのキリスト教

2018.12.03 14:32

https://www.christiantoday.co.jp/articles/29558/20210603/homori-koichi-184.htm 【不思議な計画 穂森幸一(184)】より

主よ。あなたは私の神。私はあなたをあがめ、あなたの御名をほめたたえます。あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、まことに、忠実に成し遂げられました。(イザヤ25:1)

先日、とても珍しい講演を聞く機会がありました。日本の最高学府で物理学を学ばれた方が「量子力学と人間関係」ということで講演されました。人間関係において私たちが相手に肯定的な気持ちを持つか、マイナスな気持ちを持つかで、別に言葉で伝えなくとも、相手の力が十分に発揮できるかどうかに関わっているというのです。相手を思いやる気持ち、応援する気持ち、支える気持ちがあれば、体内から目に見えない特別な物質が発散されていくのが量子力学で証明できるそうです。さらに、私たちのマインドは宇宙をコントールしている特別の力、サムシング・グレートと直結しているというのです。

私はこの講演を聞きながら、サムシング・グレートとは神様のことだと思いました。科学者たちは気付いているかどうか分からないですが、信仰や祈りの力が科学的に証明される日が来るのではないかと思いました。

日本に初めてキリスト教を伝えたのはフランシスコ・ザビエルであり、それは1549年だったというのは歴史の授業で学びます。そして、豊臣秀吉や徳川家康によって禁教令が敷かれ、しかも江戸時代は鎖国とされて、完全にキリスト教文明とは切り離され、明治になってようやく禁教令が取り下げられたということになっています。

日本に伝えられたキリスト教はローマカトリックです。エルサレムで始まったキリスト教はローマに伝わり、そこから欧州全域に宣教されます。エルサレムより西に伝えられますので、西回りのキリスト教と表現されますが、徹底的にユダヤ的要素をそぎ落とし、欧州文明に色付けられたキリスト教であります。後に中世の時代になり、免罪符の発行や一般の人が聖書を読むことを禁じるなどの行き過ぎた行為があったため、ルターなどの改革者が立ち上がり、プロテスタントが誕生していくようになります。ルター自身は新しい宗派を立ち上げたという意識はなく、あくまでもカトリック内の改革者だったという思いが強かったようです。

よくプロテスタントとカトリックは別物だと強調する人がいますが、プロテスタントはカトリックの中から生まれたものです。ルターに影響されてカトリック内部で多くの改革が起こり、新しい修道会が立ち上がります。その流れの中からザビエルの働きが生まれ、日本にやってくることになります。ですから、カトリックとプロテスタントは別物ですかと質問されることがありますが、私は「本家と分家の関係です」と答えるようにしています。あくまでもカトリックから派生した運動なのではないかと思います。

キリスト教の流れとしては、もう一つの東回りのキリスト教を忘れてはいけないと思います。原始キリスト教の流れをくみ、ユダヤ教の色彩が濃かったといわれます。このグループはインドや中国にまで影響を及ぼします。特に唐の時代には中国全土で布教していて景教と呼ばれていました。唐に留学していた最澄や空海は景教の影響を受けましたので、日本の仏教の中に景教の影響があるのは紛れもない事実です。

しかし、それ以外にも原始キリスト教の影響は日本に及んでいます。早くも2世紀ごろには日本に到達していてもおかしくないといわれます。また、それ以前にも古代ユダヤ教徒が渡来してきて、大和国の成立に関わったのは間違いないと思います。昔から伝わっている皇室の行事から、その名残を見ることができます。5月になりますと、天皇陛下は苗代に籾(もみ)をまく「お手まき」の儀式を行われ、皇后陛下は「御養蚕始(ごようさんはじめ)の儀」に臨まれます。そして、給桑(きゅうそう)の儀式を行われます。古代日本は水稲栽培が基幹産業であり、秦氏のもたらした養蚕や機織りも主要産業になっていたことがうかがえるのでないかと思います。

古代ユダヤ人や原始キリスト教徒の流れをくむとの説もある秦氏が、日本文化に影響をもたらさないはずはないと思ってもいいのではないでしょうか。私はその影響の一つが、日本昔話だと思います。

花咲じいさんの話は子どもの頃、何度も聞かされた記憶があります。「お爺さんとお婆さんが住んでいて、一匹の犬を飼っていました。ある時、お爺さんが犬を山に連れて行くと「ここ掘れ、ワンワン」ということで、掘ると大判小判が出てきます。それを見た隣の欲張り爺さんが犬を無理やり山に連れていきますが、汚いものしか出てきません。怒った欲張り爺さんは犬を殺して埋めてしまいます。良いお爺さんは犬の墓に松の木を植えます。やがて松が大きくなりすぎたので、その木を伐り、臼を造り、餅をつきます。そうすると大判小判が出てきます。それを見た欲張り爺さんは臼を奪い、餅をつきますが汚いものしか出てきません。怒った欲張り爺さんは、その臼を燃やしてしまいます。良い爺さんはその灰を拾いに行きます。その灰を持って帰ってくると、一部が風に吹かれて枯れ木に飛んでいき、花を咲かせました。枯れ木に花を咲かせたお爺さんは、お殿様から褒美が与えられました。真似をして灰を撒いた悪いお爺さんは、お殿様の目に灰を入れてしまい、罰を受けましたという勧善懲悪の物語になっています。

しかし、この昔話の中には墓に植えた木の話や灰の話など、十字架や復活を連想させるストーリーも含まれていて、キリストの生涯を知っていた人が編み出した物語としか思えません。明治時代に初代文部大臣を務めた森有礼は、100年後の日本人に伝わればいいということで、文部省唱歌に賛美歌を作者不詳として取り入れたといわれます。日本昔話の作者も、後世の人に何か伝わるものがあればいいということで物語を生み出したのかもしれません。

この国の文化には、先駆者たちの隠れた祈りと密かな願望が込められているのかもしれないと思うと、わくわくしてくるのは私だけでしょうか。やがて時が満ちるならば、覆いが取れて明らかになるかもしれません。

だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。(マタイ10:26)


https://www.christiantoday.co.jp/articles/29672/20210701/homori-koichi-186.htm 【宗教者の和合 穂森幸一(186)】より

見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。(詩篇133:1)

先日「ミャンマーに平和を」という呼び掛けをアーユス仏教国際ネットワークが行い、全国各地の寺院、教会、神社が、宗教を超えてオンラインでつながりました。そして、奪われていった尊い命を追悼し、平和を求める民衆に連帯するという祈り会が行われました。ここにイスラムの宗教指導者も加わり、とても盛り上がりました。

鹿児島では、サビエル教会にカトリックの司教、プロテスタントの牧師、仏教の僧侶、諸宗教の指導者が集まり、共に祈りました。私がこの通知を受けたのは開催日の10日前でしたが、一人でも多くの市民に届けたいと思い、県庁の広報課を訪ね、プレスリリースの手続きをしました。当日は地元の新聞社が取材に来てくれて、翌日の朝刊に掲載してくれるということでした。

司教が代表の祈りをささげましたが、他の宗教の方々も頭を垂れ、手を合わせていました。宗教を超えて共に祈れるということは何と麗しい光景でしょうか。

鹿児島では10年前に鹿児島県宗教者懇和会が発足し、お互いの宗教施設の訪問、共同の募金活動、研修会、祈りの巡礼などを行い、神主や僧侶と牧師の交流の機会を持っています。最近はイスラム教徒の方も参加してくださるようになっています。

昨晩も共同の勉強会があり、鹿児島を代表する神社の宮司さんが「自然環境と神道」と題して講話されました。「古代神道はもともと自然崇拝のアニミズムであり、経典も教義もないし、宗教と呼べるかどうか分からない。社を造り始めたのも仏教に触発されたからではないかと思う」と話しておられました。

私は神道の中に旧約聖書の影響と見られるものが多々あること、ユダヤの尺度キュビトは日本の尺の図り方にピタッと合うこと、神社の間取りが幕屋と相似していることなどを説明しました。また、ユダヤ人のヨセフ・アイデルバーグが神主見習いとして日本に7年間滞在している間に、日本語の中に見られるヘブル語との共通要素などを指摘していることなどをお話ししました。

北王国イスラエルは紀元前722年にアッシリアに滅ぼされ、イスラエルの10部族は失われたといわれましたが、北王国の人々にとって最大の関心事は、いかにして王家の血統を守り、王国の再建を図るかということではなかったかと思います。

縄文人はシュメール人と交流があったということは、日本の各地から発見されるペトログリフなどから推し量ることができます。アブラハムとサラはシュメール出身ですので、ユダヤ民族はシュメールの系列ということになります。東の果ての島国とシュメールでのつながりがあれば、祖国を追われたユダヤ人が東の果ての地を目指し、王家の再興を試みるということはあり得ない話ではないと思います。

失われた10部族の一部が王家の血筋を引く者を王として擁立し、東の果ての地、日本に渡来人としてやってきて、古事記に示されている神話の世界を展開したと考えるのは誇大妄想でしょうか。神話に登場する人々の髪型や服装は、どう見てもユダヤの影響だと思います。陸伝いに北方から来る人々、南方から黒潮の流れに乗ってくる人々、朝鮮半島伝いに来る人々がいたと思われます。鹿児島の笠沙、宮崎の青島、淡路島、紀伊半島などに神話が伝承されているのは偶然ではないと思います。いずれも黒潮の流れとつながりのある所です。

鹿児島には天皇家の先祖と関わりがあるとされる3つの山稜がありますが、3つとも岩をくり貫いて造られた墓です。エルサレムに現存する古代ユダヤの墓と全く同じ構造です。これをただの偶然と言えますでしょうか。

2600年前に神武天皇が初代天皇として立ちますが、年代的に北王国イスラエルの動きと符合します。さらに、神武天皇の別名はカムヤマトイワレヒコスメラミコト(サマリヤの王、ヤーウェのヘブライ民族の高尚なる創設者)だそうです。

北王国イスラエルの神殿の作り方や作法、伝統、習慣などが持ち込まれ、神道の中に組み込まれたと見るのはいかがでしょうか。ユダヤ教の形と精神は受け継がれているのに、肝心の信仰はどこに行ったのかと不思議に思うところですが、この事態をモーセは預言しています。

主は、あなたと、あなたが自分の上に立てた王とを、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった国に行かせよう。あなたは、そこで木や石のほかの神々に仕えよう。(申命記28:36)

紀元3世紀になると、原始キリスト教徒の流れを持つ景教徒も渡来人として続々やってくるようになります。そして、同じ時期に日本に入り始めた仏教にも景教徒は関与していくようになります。また、仏教の指導者たちも唐で景教の影響を受けていくようになります。一説には、聖徳太子も景教徒であったといわれています。神道と仏教の対立があるときに「和をもって尊しとなす」ということで和合を勧められたのは当然の流れかもしれません。

聖書の精神を引き継ぐキリスト教徒が、率先して宗教者の和合をリードし、世界平和の旗頭となっていかなければいけないと思うのはおかしいでしょうか。日本の天皇家は世界最長の王室だといわれます。大和国の誕生とユダヤのつながりがあるとするなら、その記録はさらに伸びてダビデまで到達するかもしれません。

このような夢物語を語ってしまいましたが、率先して世界のリーダーとなる役割が日本人に与えられていると信じています。

しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、私の友、アブラハムのすえよ。わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった」(イザヤ41:8、9)