カタック留学3年目を振り返る
気温38度のコルカタから46度のデリーに戻りました。日本にいたら38度だって相当の温度に感じるはずですが、46度のデリーから比べると38度でも涼しく快適に感じられます。気温という些細ないことでも、物事の見方や考え方はどこにいて何を基準に生きるかで大きく変わるということを、多様性に富んだインドは日々私に教えてくれていると思います。
そして、この世界は様々だからどんな基準でも大丈夫な自分を持っていないと簡単に戸惑い、挫けてしまう。反対に、頑丈な意思と努力で積み重ねられたものは、どんなに押し潰されても輝きを放つ。だから、どんな分野でも本物は並外れて素晴らしいのだと思います。特にカタックに関しては、そんな気がします。
昨年、20歳前後ののダンス・メイトの口から「騙すより騙される方が悪いよね、騙されるほどバカだから」という言葉を聞いて衝撃を受けましたが、時間が経ってこの言葉を思い出すと、社会で生きるにはこの考え方のほうが「騙す方が悪い」という考え方よりも実用的です。日本の教育では、人を騙すのは絶対的な悪で騙された人は被害者で同情されますが、ここではあまりにも詐欺やら盗難やら何やら多すぎて、自分の身の危険を自分で守れずにボーっとして騙されるほうが悪いという結果に落ち着くのです(もちろん、表面上は人を騙すのは悪いことになっていますが…)。平和な日本で育った私ですが、きっと社会の大部分は、そうやって成り立っているのだと気づき、弱肉強食な広い世界を見渡して生き抜くなら「騙すよりも騙される方が悪い」と思っていたほうが実際社会で生き抜いていくためには、役に立つと思えます。
また、周りの雰囲気も、みんな自分の生活に必死で、よほど助けることにメリットがない場合、手を差し伸べてくれる人があまりいないのに、困ったときだけ100パーセント利用され、必要あらば裏切られるのも現実。特にデリーに限って言えば、カタックを習いたいというよりも、コースを修了したという事実が欲しい、パフォーマンスだけ出たいみたいな人も多く、自分の成長より人の足の引っ張り合いをしている光景も珍しくなく、民度の低さに憂鬱になることも多いです。(昨日ポストした通り、コルカタでは、こういったバカバカしい光景は少なくともワークショップでは感じられませんでした。)
その結果、人を信じるよりも警戒することを覚え、人との距離も簡単に縮められなくなりました。最後は一人。信じられるのは我が身だけ。周りがどうであれ、やるべきことを一人で無心にやり続けよという結論になりました。さらに、それがどんなにセコくてズルい相手だったとしても、知識や能力は分け与えるべき。分け与え続けても光る力が本物だから、そこは出し惜しまない、という考えにまで辿り着きました。
すごくシンプルで当たり前の結論ですが、大きな夢と希望を抱いてデリーに来た私がこの考えに辿り着くのには時間がかかりました。異なる文化、モノの見方・考え方、人間関係、政治的なゲーム…色んなものの渦中にいると、自分の価値観も変わり、冷静に周りが見えなくなりがちです。
最近は、焦ってももがいても、カタックはそんなにすぐに上達するものではないので、欲張らず、毎日少しずつ時間をかけて積み上げていくことが自然と結果になるのだと考えるようになりました。自分がやってきたことに自信を持って、できることをできる限りでやるしかありません。この3年、色んなことがあったけど、ここでしか習えないことのために、デリーまで来て良かったと思います。
特に、カタックとどうやって向き合っていくか、自分の目的やゴールを考えることが多かったこの半年。先週のコルカタでのワークショップの最後の最後に、ディーディーが他の生徒たちに言っている言葉が、すごく響きました。
「上手く見せようとか上手くなろうと思うんじゃなくて、ずっと学んでいくこと」
これが私にはピッタリな気がしています。デリー大学でウルドゥー語を専攻しながら、カタックもかじった10年前。カタックを習うためだけにデリーに住むことは夢、大学を卒業して就職するのが現実だった。10年経った今、やっと少し目が覚めた気がします。
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写真は、コルカタのワークショップ最終日に、誰かがマハーラージ師匠とディーディーにプレゼントした(?)ジャスミンの花輪。お孫さんのラーギニーちゃんが一つ、もう一つをラーギニーちゃんが私にくれました。
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