西ローマ滅亡の道1-唯一の国教キリスト教
2017.06.05 03:21
東帝テオドシウスは、388年ついに簒奪者マクシムスをサウァ河畔の戦いで討伐し、ウァレンティアヌス2世を西帝に復帰させた。390年、テサロニケで民衆暴動が起こり、総督が殺害された。テオドシウスは怒り、厳しく鎮圧するように命じた。
その怒りは軍に伝染し、この街で1万5千人が虐殺された。皇帝は鎮めようとしたがあとの祭り。この虐殺に対してミラノ司教アンブロシウスは、皇帝を教会に入れることを拒否、彼を破門して、公開謝罪を要求した。数カ月後、皇帝は悔い改めて破門を取り消された。
この事件は、アンブロシウスの気概やかくもであるが、何者にも勝る皇帝が、聖職者に懺悔するという、以前では考えられない出来事だった。392年、ウァレンティアヌス2世はまたもや反乱で亡くなると、西は簒奪者エウゲニウスが皇帝となった。彼は、元元老院貴族に支持され、ローマの神々の復興を謀った。
テオドシウスは同年、遂にアナタシウス正統派キリスト教以外の宗教をローマで全面的に禁止、キリスト教はローマの独占的国教となった。394年、フリギドゥスの戦いで、簒奪者エウゲニウスを打ち破り、コンスタンティヌス大帝以来、帝国を唯一の皇帝として統治した。
下はファン・ダイク作「聖アンブロジウスに教会入場を拒否される皇帝テオドシウス」