「霊の言葉」
6月4日 ペンテコステ
使徒言行録2章1-13節
ペンテコステは教会が誕生した日。
教会が何かを告げている日。
ペンテコスの日に起こったこと、それを今日も行うのが教会。
ペンテコステに何が起こったのか。
主イエスが見えなくなった後、弟子たちだけの時間が始まる。
彼らの上に聖霊が下る。
突然 他国の言葉を語り出す。
その言葉を耳にする者がいた。
異国からエルサレムに帰ってきた信仰深いユダヤ人たち。
彼らはガリラヤの人々が多国の言葉を語っているのに驚愕する。
帰ってきたユダヤ人。
それは他国で暮らす体験を持っている。
他国で暮らす原因。
それは戦争に負けたから。
捕虜として、奴隷として、
あるいは自ら進んで母国を捨てて戦勝国に身を寄せて安寧を図ろうとしたのか。
いずれにせよ敗戦・神に叱られた負の記憶を背負ったもの。
彼らはエルサレムに帰る時、捨ててきたはず。
暮らしていた国の言葉を。
その国の文化を。
自分が生まれ育った国のものであっても、エルサレムに帰るには、
神様を待ち望むには不必要なもの、汚れたものとして捨ててきた。
歴史の過去を、
闇を捨ててきた。
エルサレムの言葉を話す。
綺麗な私になって神を待つ。
それが信仰の姿勢だと思っていた。
その彼らの耳に飛び込んできたのは捨てたはずの言葉だった。
汚れた言葉、罪の歴史を背負った言葉、
その言葉が聞こえてきた。
その言葉が神を褒め称えている。
醜い言葉が美しい事柄を語っている。
捨てなければならないもの、隠しておかなければならないもの、
それが神に用いられている。
神の方から出てきて、人の言葉を語る。
神、自らが人の闇を光に変える。
ペンテコステに何が起こったのか。
教会はこのペンテコステを今日も実現するところ。
ペンテコステには何があるのか。
ペンテコステには愛がある。
出かけて行って言葉を引き受ける。
主イエスがなしてきたこと。
それができる力を与えられている。
互いに愛し合う。
ペンテコステから今日まで変わらない教会の業。