知識
知識って必要な時に必要なだけあればいい。
そう考えてます。
道具と同じですね。
現代はPCとインターネットがあります。
本で読めない記事も検索してヒットしたりします。
本の中を探すより圧倒的に速い。
本も複雑な内容を簡単に集約してくれているような本が沢山でています。
でもその知識を学ぶ前になぜその知識が必要なのか?
単なる趣味なのか?
それとも必要に迫られて学ぼうとしているのか?
そこをよく考えて学んだ方がいいですね。
そうでないと不必要なことを覚えて身体が重くなります。
そう考えると必要な知識ってそう多くないことに気づきます。
この前書いた記事と同じです。
PCに不必要なことが多すぎて重くなった。
つまり使いにくくなった。
それにみんなが気づいたからスマホになった。
PCより主体がスマホになりつつあります。
殆どの人は記事を読んでちょっと投稿したりするだけ・・・。
つまりそれで事足りる訳です。
何十万もするPCはいらない訳です。
知識も能力もあれば良い訳ではありません。
必要もないのにあるとね。
心もえらっそうになるし・・・。
身体も重くなります。
想像しているより身体が重くなるんですよ。
不思議とね。
なぜなら人間の脳は沢山血液を使っているんですよ。
それを考えただけで如何に重要かがわかりますよね。
でも調べたいという意欲さえあったら徹底的に調べることもできる時代です。
しかし、その知識は長く留めない。
脳もパソコンと一緒です。
作業するのは一時メモリに記憶しておけば十分です。
一時メモリがパンパンになるとハングアップしてしまう。
リセットして初期化しないとね。
だから全く違うことをする。
身体の動かし方と同じなんですよ。
同じことばかりしていたら疲れます。
殆どの病気の場合、一定の動きしかしなくなった時に起こります。
いわゆる気血水が滞った状態。
というやつですね。
そんな状態の場所は触れば直ぐわかります。
高い機械を使わなくても一瞬でわかります。
素人でも十分わかります。
病名はわからなくても異常な場所は触れるだけでも十分わかります。
それならそこを動かせば良いのでは?
単純なことです。
それにどれだけの知識が必要か?
もちろん身体の中がどうなっているのかを知っている必要はあります。
それなら解剖図も沢山でています。
インターネットで調べれば素人でもすぐにある程度のことはわかる。
そこからは直感が勝負です。
同じことをしていても駄目なら発想を変えて全く違うことをする。
その潔さが成功につながる訳です。
その時に不必要なものが知識なのです。
下手に不必要な知識があると知識にしばられます。
そしてここはこうすべきだと決めつけて考えてしまう訳です。
これがもの凄く重い。
知識が邪魔していることに気づかない知識学者は世の中に沢山います。
直感を馬鹿にして知識に溺れてしまう人ってギラギラしてて気持ち悪いんですよね。
逆に直感を働かそうにも知識がないために直感が働かないこともあります。
しかし、一時メモリに記憶されるその知識は基本的な知識で十分働くはずです。
素朴な疑問ってそこで起こる訳です。
一般の方に教えるとそういうことを学べます。
素人の人ってすごいなって思う訳です。
もの凄く基本的なことが直感を働かせます。
複雑で高度な疑問は記憶は必要としますがあまり直感を必要としない。
直感はもの凄く単純なことからしか生まれません。
ニュートンはリンゴが木から落ちることで思いついたんでしょ。
それと一緒なんですよね。
新しい発想は設計を何度も何度も見直すことです。
基本概念が間違っていてうまくいかない。
これを見直すことでしか新しいものは生まれません。
しかし、基本概念をやり直すのは苦労します。
苦労するからやらないのか?
それともそれをわからずに知識をため込んでいるから基本概念を取り払うという選択枝がないのか?
苦労するからやらないというタイプの人の方が希望はあります。
気づかない人は受け付けない。
どちらにしても考え方が固まってしまうと陳腐なものができあがってしまいます。
大病院の電子カルテは、それを物語っているように思えてなりません。
あれではなぁ~。使いにくいやろな~。
って思ったりします。