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【引っ越しポスト】歩け、歩け 野良犬の死体を超えて

2017.06.06 13:00

※およそ3年前、マレーシアに一時移住したばかりの頃に別のブログで書いたものを、まったくいじくらずにまとめ直しています。


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2014年11月23日


先週末KLに行く用事が出来たので、Big Aeonの裏手にあるらしいKTMのスバンジャヤ駅まで歩き、電車でKLまで行ってみようと思いついた。



ハイウェイの入り口がすぐそこだからかもしれないが、うちの前の道路はもう車がビュンビュン飛ばしているようなところ。カーブになっているので、まるでサーキットのように車が走り抜けていく。



歩道なんてないのだから車道の端を後ろから来る車に注意しながら少しずつ歩く。モーターバイクにかっさらわれる可能性もあるので、手荷物は植え込み側のほうにしてしっかり持つ。



少し歩くと警察が検問をやっていた。その後ろで野良犬が5匹くらいゴミを漁っている。



残飯が入っているらしいビニール袋を口にくわえてのろのろ歩いている。

警察がいてよかった。私は愛犬家だが、小さい頃追いかけられた経験があるので野良犬はこわいのだ。



怖いなあ・・と思いながら歩くと早足のはずの自分の歩みがものすごく遅く感じるものだなと思った。



新興国によく見られるように、マレーシアの道端にもたくさんのゴミが落ちている。男性の靴(両足)、新聞紙、残飯の入ったスチロールのタッパー、軍手、ダンボール、ティッシュ、吸い殻。水路にはフタがなくて水は油と泥で濁ってすえた匂いがする。ここに落ちたらやばすぎる。



犬が付いて来ていないか振り返り確認しつつ、足下は得体の知れないものを踏んだり足を踏み外さないように気をつけて歩く。



高級ショッピング・モール&ホテルであるEmpireをすぎ、Subang Paradeのあたりにくる。ここまで約20分。たぶんあと5分くらいで駅につくはず。



その時、私はあるものを見てしまったのだ。



路上で車に轢かれた犬が死んでいた。



轢かれた後引きずられたようで、死体まで1メートルくらい赤い直線が出来ている。ああ、いやなものを見てしまったな、と思いながら駆け足で通りすぎた。



駅はすぐに見つかった。電車に乗ってからもなんとなく嫌な気持ちが残っていたけど、KLに着き、H&Mにて予定外の浪費をしているうちに忘れた。

待ち合わせした方と初めての南インド料理を初めて手で食べた。とても楽しく、おいしかった。



デザートのアイスを楽しんだ後、どこも寄ることなくスバンジャヤに戻った。タクシーを使ってもよかったが、H&Mでの浪費を思い出して自分を戒め、片道1.6リンギの電車でまた戻ることにした。



スバンジャヤ駅に着いたらスコールだった。ひどい時はバケツをひっくり返したようになるが、今はまだましなので歩きだすことにした。



歩き出したとき、さっきの轢かれた犬のことを思い出した。その場所の横をちらりと盗み見したら、もう犬はいなかった。



よかった、誰か片付けたんだな。そう思って朝死体があった道路の脇の木の横を通り過ぎようとした。



木の下に黒いものが見えた。嫌な予感に、心臓が一瞬跳ね上がった。



道の真ん中にあると邪魔だから、誰かがそこに動かしたのだろう。



犬はそこにいた。大きな木の下で、徐々に強さを増した雨が、その上に容赦なく降っていた。雨は血痕をきれいに洗い流していた。



私はそこで動けなくなった。



そこで感じたのはなんだっただろう。



直感的に、私もこうして死ぬのかもしれないと思った。誰も知らないところで、誰も知らないうちに、一切の証拠を雨に流されて、死ぬのかもしれないと思った。



私が車に轢かれて道で死んだとして、その後誰かが何とかしてくれるんだろうか?私の死体を、せめて歩道にどかしてくれるだろうか。そしてそれは誰が?



今までにもたくさん動物の死体を見たことがあるのに、マレーシアの野良犬だけにそう思ったのは多分、こちらに来たばっかりで感傷的な気分になっているんだろう。でも。



自分の死体は自分で処理できない。

自分の後始末は自分でしたいと思っても、有機的に存在する肉体は必ず誰かに片付けてもらわなくてはならない。

肉体を重い荷物だなあと感じたのは初めてのことかも知れない。不老不死は人類の永遠の願いだというけど、そんな魔法があっても私は欲しくない。



欲しいのは、心臓が止まったとたん、肉体がシュッと蒸発して消えてしまうような魔法だ。私の肉体は一瞬にしてこの世から跡形もなく消えてなくなり、書いたものと人の記憶にだけ残る。もしかしたらもっと歳をとったら考えが変わるかも知れないけど。



自分自身に対しては今はそう思うけど、家族や友人の亡がらに会えないのは淋しい。私に対してそう思ってくれる人もいるだろう。しかし願わずともいずれにせよ肉体(焼いたら骨が)は残ってしまうのだから、せめて亡がらを見て偲んでくれる人を大切にして生きていくしかない。



だから、道端の犬の死に立ち止まりはするし、死後を片付けることになる人には申し訳ないと思うけど、私は歩き続けるしかない。後戻りはできない。



歩け、歩け。

野良犬の死を超えて。


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(2017年に読み直した感想)


だから写真入れろって‼︎(´Д` )