「宇田川源流」【日本万歳!】 本日は「万歳!」ではないが人間国宝が亡くなった訃報に多くの日本人が悲しむことについて
「宇田川源流」【日本万歳!】 本日は「万歳!」ではないが人間国宝が亡くなった訃報に多くの日本人が悲しむことについて
月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。普段は、日本人の素晴らしい所や、日本人の優れているところをご紹介するという連載である。もちろん、その内容を描くことによって、現代に生きる日本人が、自分に自信を持つことができるようにするということが大きな目的である。
つまり、ここで紹介する内容は、日本人の多くが持っている日本人国民性であり、我々も、称賛されている人や、出来事において、皆がその同じ国民税を持っているということになり、その内容を享受できるということを示してゆく内容である。
つまり、日本人が日本人として世界から称賛されているというニュースを取り上げ、その「称賛されている同じ国民性」を、我々一人一人が同じ内容を持っているということをこの中で話してゆきたいのである。そのようにすることによって、日本人の多くは、このコロナウイルス禍の中であっても、自分自身の行動に自信をもって自分たちの月曜日から頑張るということになる。
しかし、今回はちょっと異なり、まずはその内容が日本人を称賛する者ではなく「訃報」である。歌舞伎役者で人間国宝、文化功労者の中村吉右衛門氏が亡くなったのである。
まずは謹んでお悔やみを申し上げるとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。
実際に、歌舞伎界では当然のことながらテレビドラマやバラエティなども積極的に出ている。そのことは、「歌舞伎を世に広める」という意味で、非常に貢献している。実際に、そのような活動をしている人々は、玄人好みの評論家などには酷評されることが多い。クラッシック音楽を一般に広めたヘルベルト・フォン・カラヤンなどは、やはり音楽を専門にしている人々からすると酷評されることが少なくないのであるが、しかし、カラヤンの功績によって、それまでクラッシック音楽を聴かなかった人々が、ちょっと聞いてみようとか、何かの挿入曲になった時に「あっ!これ」というような感覚を持つようになったのである。
歌舞伎に関しても同様で、歌舞伎が素晴らしいこともみな知っている。しかし、それまであまりふれていない人々にとっては少し敷居が高い文化であり、中で掛け声などもどのようにかけて良いかわからないというような感じになって、十分に楽しめなくなる。しかし、歌舞伎役者が一般のテレビに「降りてきて」そして、お茶の間に出てきて人気を博すということは、そのことで歌舞伎ファンの間口を広げることになる。多少歌舞伎の本筋とは異なるかもしれないが、そのようにして間口を広げ新しいファンを獲得することが、日本の伝統文化には必要であったのだ。
現在でもそうであるが、日本人の場合「細かいこと」や「暗黙の了解」「阿吽の呼吸」のような者を大事にしてしまい、そのことによってかなりマニアックなことを知っていることが珍重される文化がある。これは私が行っている歴史などに関しても同じであるし、また、伝統文化など、歴史が深いことに関しては、だいたいにおいてマニアックなことを湿地ているということを自慢し、新たなファンを排除するような風潮があり、新規の人々が入りにくいことになってしまうのである。
中村吉右衛門さんは、その風潮を恐れ、何にでも自分自身が挑戦し、そして、その中において歌舞伎の心を、忘れずに新しいファン層を獲得した。現在市川海老蔵さんや、中村獅童さん、尾上松也さんなど、若手の歌舞伎俳優がテレビなどで人気が出ているのも、そのような下地があったからに他ならない。そして、そのことが、日本人の心をどれだけ豊かにしてくれたのであろうか。
中村吉右衛門さん死去 77歳 歌舞伎俳優 文化功労者・人間国宝
時代物から世話物までを自在に演じる歌舞伎界屈指の立ち役俳優で文化功労者、人間国宝、日本芸術院会員の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名・波野辰次郎=なみの・たつじろう)さんが11月28日、死去した。77歳。
歌舞伎俳優、初代松本白鸚(八代幸四郎)の次男に生まれ、母方の祖父、初代吉右衛門の養子となり、1948年に中村萬之助(まんのすけ)を名乗り初舞台を踏んだ。
その後は実父のもとで修業を積み、父や兄の現白鸚と共に所属会社を松竹から東宝に移し、66年に二代目として吉右衛門を襲名。東宝時代は主演女優の相手役をつとめるなど現代劇でも活躍したが、歌舞伎に打ち込みたいと松竹に戻り、研さんに励んだ。
時代物では「勧進帳」の弁慶、「俊寛」の俊寛、「熊谷陣屋」の熊谷直実、「盛綱陣屋」の佐々木盛綱、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助、「義経千本桜」の平知盛、「石切梶原」の梶原平三など、世話物では「法界坊」「幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)」「河内(こうち)山(やま)」など当たり役は数多い。
テレビでは人気ドラマ「鬼平犯科帳」の火付盗賊改方長官、長谷川平蔵役を89年から2001年まで9シリーズでつとめ、その後も単発放送で演じ、16年末に締めくくるまで、150本に主演した。
最後の舞台は21年3月、東京・歌舞伎座の「三月大歌舞伎」第3部「楼門五三桐」の石川五右衛門で千秋楽前日の同28日まで舞台をつとめた。
02年日本芸術院会員、06年度毎日芸術賞、11年人間国宝、17年文化功労者。歌舞伎俳優の尾上菊之助さんは四女の夫。
演劇評論家・水落潔さんの話 祖父であり養父となった名優・初代吉右衛門の芸の継承に一生をささげ、それを立派に成し遂げられました。初代を師とも目標ともされましたが、初代よりいいものが幾つもあったと思います。特に義太夫狂言や時代物が見事で、「寺子屋」の松王丸、「引窓」の南与兵衛など初代をきちんと継承しながら初代より線の太い俳優になられたのではないでしょうか。
2021年12月1日 16時0分 毎日新聞
https://news.livedoor.com/article/detail/21282649/
鬼平・中村吉右衛門さん死去 ネットでは悲痛な声「お頭も…」「粂八、五郎蔵、彦十に会えたかな」
歌舞伎俳優の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名・波野辰次郎=なみの たつじろう)さんが11月28日、心不全のため東京都内の病院で死去した。77歳だった。東京都出身。1日、松竹が発表した。
ネットでは、吉右衛門さんが火付盗賊改方長官の長谷川平蔵を演じたフジテレビのドラマ「鬼平犯科帳」ファンからも惜しむ声が多く上がった。同ドラマは1989年7月から、2017年のシリーズ終了まで28年間で150本、劇場版も放映された。
同ドラマで、密偵の相模の彦十を演じた三代目江戸家猫八さんが01年12月10日、小房の粂八役の蟹江敬三さんが14年3月30日、大滝の五郎蔵役の綿引勝彦さんが20年12月30日に死去。火付盗賊改方では、与力・佐嶋忠介役の高橋悦史さんが96年5月19日、天野甚造役の御木本伸介さんが02年8月5日、同心・沢田小平次の役の真田健一郎さんも08年12月17日に亡くなっている。
ネット上では「鬼の平蔵、長谷川平蔵が逝く…与力の佐島さんや沢田さん…密偵の相模の彦十 小房の粂八 大滝の五郎蔵親分…迎えに来てくれたのかな…」「きっと、あちらで佐嶋さんや五郎蔵さんや彦十がお頭を待っていなさるよ。寂しいなぁ…」「粂八も五郎蔵も彦十のとっつぁんも言ってるよ…お頭、来るの早えって 本当に悲しい」「ああ。ついに鬼平も逝ってしまった。佐嶋も天野も彦十も粂八も五郎蔵も。みんな逝ってしまった。とても寂しい。めちゃくちゃ寂しい」「これはショックすぎる…粂八や五郎蔵、彦十。皆に会えたかな。軍鶏をつついて、美味い酒を呑んでください」「佐嶋、天野、彦十、粂八、五郎蔵があの世の人となり、ここでお頭も逝ってしまうとは…」など、冥福を祈る声が多く上がった。
2021年12月1日 19時26分 スポニチアネックス
https://news.livedoor.com/article/detail/21284153/
今日は前置きが長くなってしまっただけでなく、記事も二つ出させていただいているので、かなり長くなってしまっている。
そもそも「人間国宝」という制度があって、かなり日本人は素晴らしい文化を継承できるようになっている。他の国にはないが、同時にほかの国にとってはそこまでしっかりとした継承しなければならない文化もないのかもしえれない。しかし、あえて苦言を出せば、「人間国宝」は、年齢がかなり高齢になってしまい、功績を残した人々に対して、出しているということになってしまい、本来最も活躍している時期に国宝を出せないでいる、つまり、日本人の多くが「国宝を感じる」時間があまりにも短い。そのことがなんと残念な事であろうか。
さて、中村吉右衛門さんといえば、テレビドラマの「鬼平犯科帳」であろう。人情味あふれる長谷川平蔵役は、それまでも萬屋錦之介さんなど、名優が演じているが、やはり現代の人々にとっては中村吉右衛門さんの鬼平が最も記憶にあるのではないか。時代劇がテレビからなくなって久しいが、その中で多くの人の記憶に残っているということは、やはりその印象が多く、そして広く国民の中に入っているということであろう。逆に言えば、中村吉右衛門さんがまだ若いころから取り組んでいた「歌舞伎を多くの人に知ってもらう」ということに関して、その狙いがしっかりとできていたということであろう。
現在の松本白鴎さんや、中村勘九郎さん(先代)など、また中村吉右衛門さんの前であれば、四代目の中村梅之助さんなどが時代劇に出て広めていた。もちろん、歌舞伎界の中にはテレビに出ることを快く思わない人も少なかったのに違いない。また歌舞伎の舞台演技をテレビで行ってしまうと、すべての振りが大きく大げさに見えてしまうので、自然な演技にならない、つまり、立ち居振る舞いを全てテレビ用と歌舞伎用に作り変えなければならない。しかし、批判を受けながらも二倍の努力をしてこれらの事をやっていたことが、最近になってやっと目が出てきているのではないか。
歌舞伎も若いファンが多くなり、また、市川海老蔵さんや尾上松也さんがテレビのバラエティ番組に出ても、また、多くの歌舞伎俳優が現代劇(例えば半沢直樹など)に出ても、誰も違和感を持たなくなったのである。
そして、日本人はそのようなことを受け入れる土壌の中にいる。我々の中には「古い伝統文化を、現代の文化とオーバーラップさせて楽しむ」ということができる性質をもっているということが最も素晴らしいことなのではないかと思う。
非常に残念な訃報であり、残念である。しかし、そのようなきっかけに、日本人が伝統の文化を大事にしながら生きている、そして現代の文化に合わせて楽しんでいる、単純に時代を超えた二つの文化を融合することによって、より深い楽しみ方ができる民族であるということが、改めてわかったのかもしれない。