西ローマ滅亡の道4-アフリカの危機
2017.06.07 12:30
ローマ帝国はもう癌があちこち転移している末期症状である。今度はアウグスティヌスの居るアフリカ。軍総司令官に任命されていたギルドというムーア人がいる。彼は東西の不和につけこんで、397年東ローマ側につくと宣言した。アフリカはちょうどチュニジアあたりで東西に分けられていた。
元老院はこれを認めず、ギルドはローマへの穀物輸出をストップした。ローマは食糧をアフリカからの輸出に頼り、ギルドはこれを握ることで巨富を得ていた。そしてアフリカでまだ勢力があり、異端とみなされたドナトゥウス派の民衆を味方につけていた。
西ローマの名将スティリコは、ガリアの穀物をローマに送り、西帝をローマで宣戦布告させた。彼は正統派信徒の実弟をアフリカに送り、ドナトゥウス派を孤立させて戦闘に勝利した。ギルドは398年7月に処刑された。
反乱が鎮圧されても、アフリカでのドナトゥウス派は根強く、アウグスティヌスもその対処に追われた。ドナトゥス派は、罪を犯した者は信徒ではないという潔癖主義だったが、自身、罪を犯しまくってきたアウグスティヌスにとっては、人間は罪を犯すものであり、罪を赦すとことがキリスト教だった。論争は長く続いたが、その中から彼の思想が結実してくる。
下はアウグスティヌスの居たヒッポ遺跡と丘の上の聖堂