RYAN GANDER この翼は飛ぶためのものではない @国立国際
ライアン・ガンダーって誰だ?
ライアン・ガンダーは,1976年イギリスに生まれ,母国とオランダで美術を学び,2000年代初頭から世界各地で個展を開催するとともに,『ドクメンタ』や『横浜トリエンナーレ』など著名な展覧会にも参加してきました。この芸術家の仕事は,美術作品や普段の生活で遭遇する物事を素材として,オブジェ,インスタレーション,絵画,写真,映像,印刷物などを制作するもので,多彩であり既成の型にはまっていません。
本展は,新しいコンセプチュアル・アートの旗手と目される芸術家ライアン・ガンダーの重要作と新作約60点による個展です。タイトル『この翼は飛ぶためのものではない』が謎めいているように,展覧会は未知の世界へ誘ってくれるでしょう。
実は今回の展示がきっかけでライアン・ガンダーという作家を知ったし作品も知ったので
実のところ、さほど期待値も高くなかったのですが、、
会場をぐるりとまわって、あちこちに細かーく仕掛けられた作品を大いに楽しめてました。
今年入って一番いい展示だったので、好きそうな人には「行った方がいい!」と薦めると思います。
タイトルも作品番号の振り方にも、ランダムなのか、暗号なのか、
もうもうとにかく謎めいていてますが、
ある意味、こちらが入り込む余地を作るゆるさや
作品の意図を汲み取ろうとする力を引き上げてくれた気がします。
一番引き込まれた展示
会場の中心にこれまた謎めいた映像がディスプレイでループ再生されている空間があります。
ここが一番引き込まれてしまった。
(登場人物の顔が一切見えなかったり、子供達の会話だけがブルースリーンで展開されたりする映像)
おそらくその空間全体には、映像の要素が散りばめられていて、
緩にイメージの連鎖が感じられるような工夫や仕掛けがされていました(それも解釈)
無意識に様々なイメージが自分の中から膨らんでいき
連想ゲームのように楽しんでしまっていました。
ここまでくると、もう作者の意図がわからないくらい暗号ばかりですけれど、
いつのまにか自分のイメージが、今この会場から遠いところに居る、といった感覚が新鮮でした。
空想の世界で遊ぶ、子供のころによく遊んだやり方なのに、今となっては新鮮と感じる自分、、
考えることは答えを出すことではない
作品のモチーフが、絶妙に馴染みのあるものだからこそ、
「個人的な思い入れ」とか「記憶」が、「一般的なモノ」としての印象と混じって
なんとも「モヤモヤ」とした状態にハマってしまうのですが
むしろ、その「モヤモヤ」を、持ち歩いたままでもいいじゃないか?
この「モヤモヤ」を言葉にしたり、明確に答えにしようと意識しちゃうと
感じ取れる幅を狭めてしまうんじゃないか?なんて考えていました。
安易に解釈を添えてしまうよりも、
考え続けること、私たちが何を感じ取って観ているかに集中することに切り替えました。
作者の意図を汲み取ろうとすること自体は半ば放棄気味で、、
「かつてない素晴らしい物語」が実は一番よかったりして
「かつてない素晴らしい物語」は地下1階で開催されいるコレクション
国立国際のコレクション展は割と楽しみに毎回訪れていますが、今回はライアン・ガンダーがキュレーション!
比較して考えるという人間の本能的な能力を前提にして,所蔵品を多数のペアとして紹介しますが,類似に基づきながらも制作場所や制作時期,素材や様式,そして作者の持論や信条などが異なる組合せであるため,コレクションを鑑賞する新鮮な観点を提供してくれるでしょう。
ペア、をルールに展示されており、しかも重要作品(有名なもの)が多いので
「これとこれがペア?!
文脈もつくられた場所も時代も全然ちがう!でも確かに似てる!」
といった、意外な切り口が面白くて、「なるほどなぁ」「おもしろいなぁ」と、こっちもにすごくおもしろかったのでした。
この不思議な感覚はなんなのでしょうか、、、
いつかのパクリ問題を連想させる
「ペア」展示。
今の時代だったら、「これとこれ、似すぎ。君、アイディア パクったやろ!」なんて
著作権・パクリ問題・所有権問題で叱られる声が聞こえてきそうな気がします、、
それくらい「これすっごい似ている、、」とびっくりするような類似作品もありました。
でも制作された背景も時代も国も違っているし、
今ほど情報が世界的に平坦に手に入るわけでもなく
意図的に真似している可能性は低いので、本当に偶然です。
アイディアって似ちゃう
アイディアってやっぱり同じようなこと思いつくんだよ、と思ったし
同じことアプローチしてるアーティストがたくさんいるんだよな、、と改めて思いました。
表現の個性や、斬新さってなんだろう?
もはや今の時代、新しいものやアイディアってあるんだろうか?
個性を発揮する天才は存在しない
ここ数世紀間の美術は多数による集団的な構築物という点に、本展は注意を促す。
「現代美術において確かなのは、単独で存在するのではないということである」
「個性」や「天才」は存在しない。とライアン・ガンダーはこの展示のパンフレットでコメントしていました。
このあたりの解釈、まだ自分のなかで消化できていないけれど、
無意識にインプットされているアイディアやイメージが「集団的な構築物」を生み出していて
「単独で存在する」個性なんてものは存在しないのだよ、
天才と称されている人でさえ、無意識的に様々な欠片をインプットしているので天才は存在しない。
ということなのかな、、とか
やっぱりまだモヤモヤとしながら、もう一度モヤモヤのなかに入り込みたい気持ちになっています。
ライアン・ガンダー ―この翼は飛ぶためのものではない
2017年4月29日(土)―7月2日(日)
http://www.nmao.go.jp/