【物語】二人称の愛(上):カウンセリング(心理学物語)
2017.09.21(Thu)
【内容紹介】
わたくしの書いた物語「二人称の愛 - Love of the Second Person-」の表紙をご覧ください。
左側の男性が主人公で心理カウンセラーの"倉田 学"で、右側の女性がヒロインで「解離性同一性障害(二重人格)」の病を抱える"木下 彩"です。
彼女は複雑な顔を持っていました。それは「解離性同一性障害(二重人格)」により、彼女の中にもうひとりの人格が存在したからです。彼女は、心理カウンセラーの"倉田 学"が開設している「カウンセリングルーム フィリア」に訪れることになるのですが、そこで心理カウンセラーである"倉田 学"のカウンセリングを受けることとなったのです。
実は彼女の中のもうひとりの人格と言うのは"綾瀬 ひとみ"と言う人物です。"木下 彩"とはまるで性格が違い、"倉田 学"も最初は彼女の豹変に驚き戸惑いました。それは"木下 彩"に対する"倉田 学"の最初の印象が「明朗でおしとやか」な女性だったからです。
一方の"綾瀬 ひとみ"はと言うと、「計算高くかつ大胆」と言った頭のキレる女性だったからでした。昼間は新宿にある建設会社でOLをしている"木下 彩"ですが、夜になると"木下 彩"は、幼なじみであり「新宿歌舞伎町ホストクラブ ACE」の経営者&No1ホストの"樋尻 透"からあるトリックにより、もうひとりの人格の"綾瀬 ひとみ"に人格が入替わり、夜のおとなの街「銀座クラブ」でホステスとして働くことになったのです。
その理由は、彼女が今まで受けてきた治療費やカウンセリング費用を払うための借金があったからでした。もうひとりの人格に入替わった"木下 彩"は、"綾瀬 ひとみ"として"じゅん子ママ"が経営する「銀座クラブ マッド」で妖艶な美しさを醸し出し、たちまち男たちを虜にして行くのでした。
しかし"倉田 学"は次第に、最初に彼女に会った時の「明朗でおしとやか」と言う"木下 彩"に惹かれて行くのだ。そして、もうひとりの人格である"綾瀬 ひとみ"の「計算高くかつ大胆」と言う人格に対して、"倉田 学"は自分の手で"木下 彩"の人格と"綾瀬 ひとみ"の人格をカウンセリングにより統合させて行くことに対して、こころ苦しい気持ちが沸き起こっていったのだった。
さて、ここから"倉田 学"と"木下 彩"、"綾瀬 ひとみ"は今後どのような展開を見せるのであろう。それ以外にも各登場人物が、それぞれ過去を引きずり生きている。この話は「心理カウンセリング業界」に一石を投じる作品であり、また「東日本大震災(3.11)」「福島第一原発事故」そして「豊洲市場移転問題」「東京2020オリンピック・パラリンピック会場施設誘致問題」の話も含まれており三部作の物語となっている。
また、ここには今挙げなかったが、いろんな苦難や出来事を登場人物が経験し乗り越え、そして自分も同じ立場だったらと思い、また感じて欲しい作品であるのだ。そして読み終わった後に「自分だったら・・・」と考えたり、感じたりして欲しい。
そう言う作品を手掛けたつもりであり、また"倉田 学"が何を大切にして生きているのかも感じ取って貰いたい。
【謝辞・気持ち】
私の書いた物語「二人称の愛 -上-(Love of the Second Person -First-)」を読んで下さっている皆さま大変ありがとうございます。
私の書いた物語を皆さまに読んで頂き、また興味を示して下さっていることに大変ありがたく思います。今後の展開も原稿(ワード)で書き進めているのですが、私の気持ちは、きちんとした作品として私の書いている物語を今後も皆さまに読んで頂きたいと思っております。
そして、私の目指しているのはあくまで映画化で、この物語が映画化されることにより「心理カウンセリング」「東日本大震災(3.11)」「福島第一原発事故」「豊洲市場移転問題」そして「東京2020オリンピック・パラリンピック会場施設誘致問題」などについて皆さんにもう一度考えて頂き、また映画化することで東北地方(岩手県・宮城県・福島県)の方たちに勇気や希望を与えられるような作品になるよう私はこの作品を手掛けました。
ですので「映画化」して頂けるのであれば現地に赴き、俳優さんと言った役者さんとともに現地の方たちと交流を持って、そして喜んで頂けるよう、そんな作品を私は今後も書き上げるだけです。
私の想いはいろいろとあるのですが、今の「心理カウンセラー業界」や「東日本大震災(3.11)の被災者たち」そして「福島第一原発事故で故郷を捨てざる負えない方たち」が現実に存在し、わたしはその方たちを無視して自分たちだけ幸せになろうとか、2020年の「東京2020オリンピック・パラリンピック」で、あの震災の出来事や原発の問題を観て見ぬ振りをしてお祭りムードで2020年を迎えようとしていることに憤りと、同じ日本人としてとても残念であり悲しい気持ちでいっぱいです。
私には、国を動かす力もお金もありません。あるのは私の今の「想い」と、それを「文章」として綴るだけです。その中に私の大切なものを散りばめて行き、私が大切にしている物に日本国民が気づいてくれるか私は待つだけです。
この物語の続きについては登場人物も加筆して、今後の(中)そして(下)の三部作として書き上げたいと思っております。しかしわたしが一番こだわっているのは、あくまで「映画化」です。それは、「映画化」することで東北地方の被災者たちに勇気や希望を与えられると思っているからです。
私は今書いているこの作品を、出来るだけ多くのひとに届けて読んで頂きたいと思っています。また五年後ぐらいには、この作品で得られた収益の一部を社会貢献に充てたいと考えています。その場合、そのとき時点で金額設定等の変更も検討しています。
いろいろと私の思いを書かせて頂きましたが、この作品以外の「和歌」「俳句」はTwitterで、「詩」についてはアメブロ(Ameba)で、そして「絵」についてはInstagramで今後も発信して行きたいと思っておりますので、今後とも宜しくお願い致します。
それでは私の書いた物語「二人称の愛 -上-(Love of the Second Person -First-)」をご覧ください。
古畑 時雄(Tokio Furuhata)